自称チートは即吸収!~好きなお酒が切れたら容赦なしの令嬢様、転移者保護施設へ骨までご案内~

五平

第1話:黄金の令嬢は酒精の香りに微睡む

 その日は、あまりに平穏な午後だった。

 公爵家の広大な敷地の中心に鎮座する、アウローラ家の本邸。その最上階にある執務室には、外の世界の喧騒など微塵も届かない。厚手のカーテンが午後の柔らかな日差しを適度に遮り、部屋の空気はひんやりと、そして重厚な静寂に満たされている。


 エリザベス・ローゼ・フォン・アウローラは、革張りの重厚な椅子に身を預け、ただ一点を見つめていた。

 彼女の視線の先にあるのは、クリスタルカットが施された小ぶりのグラス。その中には、琥珀色に輝く液体が満たされている。伯爵家から献上されたばかりの秘蔵のブランデー。数十年もの間、地下の冷暗所で眠り続けていたというその酒精は、グラスをわずかに揺らすだけで、芳醇な、あまりに濃厚な香りを空気中に解き放った。


「……ふふ。やはり、これがなくては」


 エリザベスは、白磁のように滑らかな指先でグラスの脚をなぞった。彼女の黄金の髪が、微かな光を反射してさらさらと流れる。

 彼女にとって、この時間は単なる休息ではない。それは、自身の内側に渦巻く「巨大な力」を御し、世界の均衡を保つための、聖なる儀式にも等しい時間だった。一口、その琥珀色の液体を舌に乗せる。舌の上で熱が広がり、鼻腔を抜ける果実とスパイスの複雑な香りが、彼女の精神を深い安らぎへと誘っていく。


 酒精が血に混じり、魔力の奔流を緩やかに鎮めていく感覚。

 エリザベスの瞳――深淵のようなアメジスト色の「神眼」が、満足げに細められた。このお酒がある限り、彼女は完璧な公爵令嬢でいられる。慈悲深く、優雅で、そして何より「手加減」を知る、世界の守護者として。


 しかし、その静寂を破る影があった。

 部屋の隅に音もなく控えていた老執事が、懐中時計を一瞥し、重々しく口を開いた。


「お嬢様。……申し上げにくいことですが」

「あら、執事。わたくしのこの至福の時間を邪魔しようというのですか?」


 エリザベスはグラスを置かずに、瞳だけを彼に向けた。その微笑みは完璧だったが、瞳の奥には酒精によって辛うじて抑え込まれた「鋭さ」が、薄氷のように張り付いている。


「滅相もございません。ただ、先ほど届いた在庫管理の報告によりますと……こちらのブランデー、今回届いたものが最後の一本でございました。次の入荷は、近隣の物流が例の『自称勇者』たちの騒ぎで滞っているため、早くて三日後になるかと」


 エリザベスの指先が、ぴたりと止まった。

 三日。

 それは彼女にとって、永遠にも等しい時間だった。今、この手にあるグラスの中身が尽き、ボトルの底が見えた時、彼女を繋ぎ止めている枷は、その効力を失い始めるだろう。


「……三日、ですのね」

「左様でございます」


 エリザベスは再びブランデーを口に含んだ。先ほどまでの芳醇な香りが、どこか不吉な予兆を孕んだものに感じられる。

 彼女は窓の外に目を向けた。遠く、王都の商業区の方角から、微かな振動が伝わってくる。空の一部が不自然に赤く染まり、黒い煙が立ち上っている。


 また、現れたのだ。

 異世界からの「毒」――チート能力という理外の力を振りかざし、この世界の法と秩序を、ゲーム感覚で蹂躙しようとする転移者たちが。


「執事。準備をなさい。わたくし、少し気分が優れませんわ」


 エリザベスは立ち上がった。その足取りは優雅そのものだったが、彼女が座っていた椅子の肘掛けには、指の形に深く、鋭い亀裂が走っていた。酒精が切れるまで、あとわずか。彼女の「手加減」が効くうちに、その不愉快な「毒」を摘み取っておかねばならない。


「馬車の手配は済んでおります。……どうか、お気をつけて。お酒が切れる前に、お戻りください」


 老執事の言葉に、エリザベスは答えなかった。

 ただ、窓の外で燃える街の灯を、獲物を見つけた猛禽のような瞳で見つめ返した。


 王都の市場。

 そこは今、阿鼻叫喚の地獄と化していた。


「ひゃははは!見ろよ!俺の『フレイム・バースト』はよ! 騎士団の盾ごと溶かしちまうんだぜ!」


 炎の渦の中心で、一人の男が笑っていた。

 男の名はカイト。数日前にこの世界に現れ、自身を「最強の炎魔法使い」と称する転移者である。彼の腕から放たれる業火は、本来この世界の魔導師が一生をかけて到達する極致を、何のリスクもなく、ただ「念じるだけ」で実現していた。


「おいおい、もっとまともな相手はいねえのかよ! この世界の奴ら、弱すぎて話にならねえ! 俺がルールだ! 俺が王だ!」


 カイトの背後には、彼が破壊した商店や、熱風で倒れ伏した兵士たちが転がっている。彼はその惨状を、まるでテレビゲームのスコアでも稼ぐかのように、愉悦に満ちた表情で眺めていた。

 彼にとって、この世界は自分の万能感を満たすための舞台に過ぎない。他人の命も、歴史も、尊厳も、すべては自分のチート能力を際立たせるための背景幕だった。


「さあ、次は誰を焼いてほしい? 跪くなら今だぜ?」


 カイトが右手を掲げ、巨大な火球を形成する。その熱量だけで、周囲の石造りの建物が乾燥し、ひび割れていく。

 人々が絶望に目を閉じ、騎士たちが死を覚悟したその時。


 喧騒を切り裂くように、硬く、冷たく、そしてあまりに場違いなほど美しい声が響いた。


「あら。……騒がしいと思えば、随分と下品な花火が上がっておりますわね」


 炎の照り返しの中を、一台の豪奢な馬車が、音もなく進んできた。

 そこには、公爵家の紋章が刻まれている。

 馬車が止まり、扉が開かれる。

 現れたのは、戦場にはおよそ相応しくない、気品に満ちたドレス姿の少女。

 エリザベス・ローゼ・フォン・アウローラ。


 彼女は、燃え盛る街の熱気など、まるで存在しないかのように涼しげな顔で、フレイム――カイトの前に立った。


「何だ、お前? 貴族のお嬢様が、死にに来たのか?」

「……ふふ。死、ですの? 貴方のような下賎な炎に焼かれるほど、わたくしの命は安くございませんわ」


 エリザベスは、扇子で口元を隠しながら、くすくすと笑った。その笑い声は、カイトの神経を逆撫でする。

 カイトは怒りに顔を歪め、右手の火球を彼女に突きつけた。


「死ねよ、令嬢! 俺は最強の炎魔法使いなんだよ!」


 カイトが咆哮した、その瞬間。

 エリザベスの瞳――深紅の光を帯びた「神眼」が、大きく見開かれた。


「――自称、確認いたしましたわ」


 カイトの視界が、一瞬だけ白く染まった。

 彼自身の身体から、燃え盛る魔力の奔流が、目に見える「赤い糸」となって引きずり出されていく。それは彼のチート能力の根源であり、彼が「最強」であるための証明。そのすべてが、エリザベスの瞳の中へと、無慈悲に吸い込まれていった。


「な……んだ、これ……。俺の、力が……!?」


 カイトが火球を放とうとする。しかし、彼の指先から出たのは、情けないほどに小さな、消え入るような火花一つだけだった。


「え、うそだろ? なんでだ!? 俺の炎魔法が……!」

「貴方がそう名乗ったからですわ。貴方の放つ魔力は、貴方の傲慢な言霊に依存しておりました。……わたくしの神眼は、その『嘘』を吸収し、世界の理へと還すのです」


 エリザベスは一歩、また一歩とカイトに歩み寄る。

 彼女の周囲の温度が、急激に下がっていくのが分かった。それは物理的な冷気ではない。酒精の加護を失いつつある彼女の体内から、抑えきれない「地力」の殺気が漏れ出しているのだ。


「ふふ……さて。能力を失った貴方に、何が残っているのかしら? 確かめて差し上げますわ」


 エリザベスの微笑みが、わずかに形を変えた。

 それは、慈悲深い令嬢のそれではなかった。

 飢えた獣が、獲物の骨の髄までを味わおうとする時の、残酷な悦びに満ちた笑み。


「気分が良いから、こころだけで我慢してやろう……と、お酒が残っていれば申し上げたのですが。……残念。今のわたくしは、少々『我慢』が効かない状態なのですわ」


 カイトが恐怖に顔を引き攣らせ、後退りする。

 しかし、エリザベスの動きは、彼の理解を超える速度だった。


 酒精の香りが、夜の風に混じって消えていく。

 それと同時に、この世界のルールが、彼女の意志によって書き換えられていく。


「さあ、骨の砕ける音を聞かせてくださいな。……施設へ送る前の、景気付けに」


 絶望に染まったカイトの視界の中で、黄金の令嬢が、酒精の残り香と共に美しく舞った。

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2026年1月19日 21:00
2026年1月20日 21:00
2026年1月21日 21:00

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