第八章 目撃

 部長の短めの連絡と挨拶が行われた後、その日の部活は解散となった。イラストレーション部は、隔週で活動しているため、次の部活の日は明後日である。


 僕はイラスト道具を鞄に収め、理科室を後にした。下駄箱で靴を履き替え、校舎を出ると、約束通り、校門のすぐ近くでタクヤを待った。


 時刻はすでに午後六時を回っている。周囲はすでに薄暗くなり始め、水の中に沈んだような静謐な雰囲気が漂っていた。


 空を見上げると、黄昏色を背景に、鳩の群れらしき鳥の一団が、悠々と飛んでいる姿が目に映る。


 僕は視線を戻し、校門周辺の地面に置いてある文化祭のゲートへ目を落とした。今朝見た時よりも、パネルの数が増えている。来週に迫った文化祭に向けて、本格的に準備を整えているようだ。僕のクラスの展示物も、着実に制作が進んでおり、明日の午後に設けられた作業時間を経れば、ほぼ準備は終えるだろう。


 僕は校門のほうを見た。部活を終えた布津高校の生徒たちが、石造りの門を抜けていく。その中には、恋人と思われる同性同士のカップルが、中睦まじく帰っている姿もあった。


 そのカップルたちはこれからちょっとしたデートに行くか、あるいは、どちらかの家にお邪魔するのかもしれない。その内の何組かは、性交に及ぶ者もいるのだろう。高校生といえど、恋人同士なのだ。別におかしな話ではなかった。


 時折、異性同士で帰っている生徒たちも目に付いた。しかし、それらは付き合っているわけではなく、ただ単に友達同士なのだろうと思う。


 僕はそこで、ふと以前目にした異性愛者のデータを思い出した。


 日本における異性愛者(正確にはバイセクシャル、トランスジェンダー含む性的マイノリティー)の割合は、七・六%ほどらしいのだ。これは、意外なほど多い数である。約十三人に一人が異性愛者となる。六百人ほど生徒がいるこの学校でいえば、およそ四十六人程度の異性愛者が存在している計算だ。


 異性愛者の僕からしてみれば、頼もしい話である。しかし、そこに違和感があった。計算通りなら、一クラスに二人ないしは、三人もの同性愛者がいることになる。それほどの数ならば、いくつか表層化してもおかしくはなかった。だが、今のところ、異性愛者だと称されているのは、金森美咲くらいである。


 僕がそうであるように、残り四十四人の異性愛者たちも、ことごとく、性的指向を隠すことに成功しているというのだろうか。かなり懐疑的な数値だった。


 元々、そのデータの出自がネットである上、調査を行った企業(ダイバーシティを掲げる有名な広告代理店)の恣意的な操作が背景にある可能性も排除できないため、信憑性は不確かといえた。この辺りは、少し調べてみようと思う。


 しかし、それでもそのデータを真実と捉えると、希望が湧いてくる。なにせ、一クラスに二、三人の異性愛者がいるのだ。もしかすると、ユカリだって、異性愛者の可能性があるのだから。


 もしもそうならば、どんなに嬉しいか……。


 僕がユカリの可憐な姿を思い浮かべた時だ。背後から声をかけられ、僕は飛び上がった。


 僕は弾かれたように振り向く。いつの間にかタクヤが背後にやってきていた。


 僕の驚いた顔を見て、タクヤもギョッとしたように、目を瞬かせる。


 「どうした?」


 僕は胸を撫で下ろし、タクヤに言う。


 「考え事をしてて、タクヤがきていたことに気がつかなかったよ」


 タクヤは、興味深げな顔をする。


 「考え事?」


 「う、うん。色々とね」


 僕は曖昧に答える。まさか、好きな女子のことを考えていたなんて、言えるわけがない。


 「ふーん、そっか」


 タクヤは考え事の内容を聞きたそうにしていたが、しつこく質問すると嫌われると思い直したのだろう、話を変えた。


 「それはそうと、早く行こうぜ。遅くなると店が閉まっちまう」


 これから、僕とタクヤは、井土ヶ谷にあるスポーツ用品店へいく予定だった。目的はタクヤが部活で使うバッシュの見繕いである。僕はそれに付き添う形だ。


 井土ヶ谷は、南太田駅から一つ下りの駅で降りた地域にあり、ちょうど僕の帰宅路線の途中になる。そのため、時間はさほど潰れることはなかった。しかし、タクヤのほうは、家が逆方向にあるので、僕よりも時間を食う計算になる。


 「さあ、出発しよう」


 タクヤは、そう言うと、僕が手にしている鞄をさり気なく持つ。


 そして僕らは、他の生徒に混ざりながら、校門を出て、学校を後にした。




 井土ヶ谷駅前にあるショッピングモール内のスポーツ用品店を出た時には、すでに七時近くになっていた。


 タクヤが事前に僕へ伝えていた通り、タクヤはバッシュを選定しただけで、買うことはなかった。本格的に購入するのは、まだ先にするらしい。どうやら、僕とのちょっとしたデートが、本当の目的だったようだ。


 スポーツ用品店を後にした僕らは、少しだけショッピングモール内を歩く。もう用事は済ませたのだから、帰路に着いてもよかったのだが、タクヤはまだ僕と一緒に過ごしたいようだったので、付き合うことにする。


 ピークを少し越えたとはいえ、ショッピングモール内は、大勢の客で賑わっていた。平日の夜にも関わらず、学生カップルも目に付く。


 彼らや彼女たちからは、甘酸っぱい青春の香りが放たれていた。学生時代という、儚く短い時期に訪れた輝く一瞬を、精一杯堪能しているのだ。そして、おそらく、周りの人間からは、僕たちもその中の一組に映っていることだろう。


 僕とタクヤは、二階へ上がり、本屋のテナントへと入った。


 タクヤと地域情報誌を立ち読みしながら、今度のデートの予定を立てる。結局、次は映画やテーマパークではなく、水族館などの定番のデートスポットに落ち着きそうだった。


 僕が、地域情報誌の記事内容を読んでいると、タクヤが何かに気がついたように、はっとした様子で僕に身を寄せ、囁いてきた。


 「おい、ハヤト。あそこを見てみろよ」


 タクヤは、目立たない動作で、本屋の一角を指差す。僕は、その指先が指し示す方向を見てみる。


 そこには、布津高校の制服を着た、黒いストレートロングの美少女がいた。


 金森美咲である。


 しかし、ミサキは一人ではなかった。隣に、別の高校の制服を着た男子学生がいたのだ。


 マッシュ風の髪型をしたその男子生徒は、ハーフのような精悍な顔立ちと、長身を持つイケメン男子である。


 ミサキは、その男子と親しげに会話をしながら、本を選んでいた。


 二人が醸し出す雰囲気により、傍から見れば、友達などではなく、恋人同士のように思えた。


 「あの女がアキトの言ってた金森美咲か。噂は本当なのかな?」


 タクヤは、ミサキのほうへ目を向けたまま、そう呟く。


 「わからないよ」


 僕はそう答えた。


 その時、男子生徒が、さり気なく形の良いミサキの腰へ手を回した。その光景を僕らは確かに見る。僕ははっとし、心臓が波打つ。


 腰に手を回されたミサキは、優しく笑みを浮べ、楽しげに男子生徒と会話を交わす。二人の近くにいた人間も、奇異な目を向けるが、二人は気にしてはいないようだ。


 それは、噂が事実になった瞬間だった。


 「やっぱりあいつ、異性愛者だったのか……」


 タクヤは呆然とした様子で言う。僕は何も答えられなかった。


 僕とタクヤは、息を潜めるようにして、しばらく二人の姿を窺う。男子生徒は少ししてミサキの腰から手を離したが、恋人然とした親密な様子は変わらなかった。


 やがて、二人は和気藹々と会話をしながら、本屋を出て行った。最後まで、二人は僕たちが見ていたことに気づくことはなかった。


 二人が完全に立ち去ったことを確認したタクヤは、大きく息を吐いた。そして、心底軽蔑したかのような口調で、言葉を放つ。


 「驚いたよ。まさか実際に金森が男とデートする姿を見るなんてな。あいつ、噂どおり、本当に異性愛者だったんだな。キモくね?」


 タクヤの辛辣な物言いに、僕は曖昧に頷きながら、手に持ったままであった地域情報誌を本棚へ戻した。


 僕の胸は、まだドキドキしていた。異性愛者がデートをしている姿なんて、初めてみたからだ。


 タクヤは、なおも嫌悪の表情を崩さない。


 「しかし、公衆の面前でいちゃつくなんて、迷惑だと思わないのかな。嫌なもん見ちまったぜ」


 やはりタクヤは異性愛嫌悪者(ヘテロフォビア)なのだろうか。よほど拒否感があるらしい。


 次にタクヤは、悔しがる口調になった。


 「だけど、相手の男、格好良かったな。イケメンじゃんか。あれで異性愛者なんてもったいないよ。あんな男と付き合えるなんて、一体どんな手を……」


 そこまで言い、タクヤははっとした顔で口を噤む。己が失言したと思い込んだようだ。急に慌てたように、あたふたと弁明を始める。


 「いや、別に羨ましいとか思っているわけじゃないぞ。どんな男よりもハヤトが一番素敵だってわかっている。ただ、もったいないなってだけで……」


 タクヤの早とちりな弁明は、僕の耳に届いていなかった。


 僕の脳裏には、いまだミサキと男子学生の親密な姿が刻み込まれている。やがてそれは、蜃気楼のように揺らぎ、いつの間にか僕とユカリの仲睦まじげな姿へと変貌した。


 仮に人から後ろ指を差されようとも、好きな人間と付き合えるのは幸せなことなのかもしれない。あの二人がそうであったように。


 僕は、ユカリと一緒にデートしている光景を思い浮かべる。僕らは手を繋ぎ、同性愛者のカップルが周りにいようとも、気にせず街を歩くのだ。


 そして、人気がなくなったところへ赴き、暗がりでキスをする。甘く優しい感触がすることだろう。それから僕の家に行って、雰囲気が良くなったところで、僕はユカリをそっと押し倒す……。


 そこまで、妄想を行い、僕ははっと我に返る。無意味な弁明をしていたタクヤが、怪訝な面持ちでこちらを見ていたからだ。


 僕は、自分の顔が赤くなっていることに気がついた。

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2026年1月19日 18:00

あなたならどうしますか?同性愛が普通で、異性愛が異常な世界なら 佐久間 譲司 @sakumajyoji

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