十一:引導
「押した!」
「入った!」
青年の瞳が――ほんの一瞬だけ濡れた。
閻魔は見逃さなかった。あれは涙ではない。熱だ。
青年は小さく息を吸い、喉の奥で笑うような音を立てた。
「……来た」
声が、甘かった。
次の瞬間、青年は慌てて咳払いをした。
「いや、違います。変な意味じゃなくて。えっと」
言い訳が追いついていない。
閻魔は背筋に冷たいものが走るのを感じた。鞭がない。釜もない。鬼もいない。なのに――痛みと同じ場所に、快楽が宿っている。
そしてその快楽が、罪人を自分から柱へ縛りつける。
青年は、誤魔化すように言葉を続けた。
「だから学んだんです。救いじゃなくて回転を。静けさじゃなくて勢いを。終わりじゃなくて――次を」
青年は言いながら、どこか遠くを見た。遠くでは「次!」が鳴っている。鐘のように。
「“最初から”って札、あるでしょう? あれ、万能なんですよ。
何をやっても、最初からなら許される。
しくじっても、最初からなら、なかったことにできる。
――だから皆、好きなんです。僕も」
青年は小さく言った。
「終わりたくないだけです」
閻魔は怒鳴りたくなった。終わりがあるから次があるのに。終わりがあるから苦にも意味が通るのに。
だが怒鳴った瞬間、この青年は離れていくだろう。離れていくのは簡単だ。離れていく世界に、閻魔は勝てない。
胸元の塊が、小さく震えた。
『……えんま様』
閻魔は塊を見下ろした。
『私、この人に、終わってほしいです』
塊の声は震えていた。
『ずっと案内してきたけど、誰も終わらなかった。終わり方を忘れてる。――でも、えんま様なら』
閻魔は息を呑んだ。
「私に、何ができる」
『分かりません。でも……えんま様、まだ怒ってるじゃないですか』
塊はぷるんと震えた。
『怒りは、終わりの形です。終わりがあるから、怒れるんです』
その瞬間、閻魔の中で何かが音を立てた。
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