第2話 手を放した、それは君のために
暖かく穏やかな春の季節。
しかし、王国ヴェイルは混沌の最中におかれていた。
理由は軍事大国である大国の侵攻である。豊かで平和であったヴェイルは、一瞬にして戦禍に吞まれていった。
王国軍が応戦していくも、強大な軍事力の前に苦戦を強いられていく。
今や大国の軍は王城の目前まで迫ってきていた。
つい数週間前まで、国は平和そのものだった。
それが今では、国は炎と大国の旗ばかりが立ち、民も城の皆も、国王も恐怖におびえ暗い表情ばかり浮かべるようになった。
それは王女であるフィーロも同じだった。
自分の大切な幼馴染である双子がそれぞれ兵として駆り出されたこともだが、大国が攻めてきた切欠の一つが自分にあったからだ。
強欲な大国の王が17の年を迎えた自分を見初め、何番目かの妃にしたいと要求してきたからだ。
良い噂を聞かぬ王の要求を自分も父王も当然断った。そのあとの宣戦布告である。
城の空気は重苦しく、暗く立ち込めている。窓の外から見えた街の景色もかつてあった平和と賑やかさはなく、煙と争乱に満ちていた。
―――敗色濃厚。
その四文字が街を、城全体を覆いつくさんとしていた。
私は、王女としてどうすれば良かったのか。
意に添わぬものだったとしても、国の安寧のためにあの大国の王の手を取るべきだったのか。
そうすれば、父も、幼馴染も、城や街の皆がこんな苦しまずに済んだ。
それを責めるものは周囲に誰もいなかった。だからこそフィーロは余計に自室で一人、自分を責めていた。
そんな自虐の沈黙を打ち破ったのは、破壊の轟音だった。
地響きとともに、部屋の外からでも聞こえる悲鳴と激しく壊れる音。そして荒々しい足音。
扉が勢いよく開かれる。そこにいたのは服は汚れ、傷だらけながらも焦りの表情を浮かべたじいやだった。
「姫様、お逃げくだされ──」
最後まで言い切る前に、胸から槍が突き出る。そのまま床に崩れ落ちたじいやはぴくりとも動かない。
「じい、や......?」
突然の出来事にフィーロの声は震えていた。
その後ろから部屋になだれ込んできたのは、甲冑の群れと、先頭に一際目立つ鎧を纏った男。
それらの鎧の全てには大国の紋が刻まれている。
「こちらにおられたか。フィオルーメリア王女」
先頭の男が下卑た笑みを浮かべながら、彼女の本名を呼び、慇懃に頭を下げる。
逃げ場はない。唯一の出口は鎧の群れで防がれてしまった。フィーロは後ずさることしか出来ない。
「近寄らないで」
震えながらも声をあげるフィーロに、男はわざとらしく肩をすくめる。
「姫様は状況をわかっておられぬようだ」
鎧の金属音が大きく重く床に響いた。
「城は落ちた。兵も城の人間も全て我等の槍の露となった」
また一歩、男は距離を詰める。フィーロの背中が壁に当たる。
あぁそうだ、と男は尚も距離を詰めながらふと思い出したかのように彼女に告げた。
「この国の王もこの剣で眠っていただいたよ──永久に」
喉の奥から引き攣った声が小さくもれた。
悲鳴をあげなかっただけ、許して欲しい。
しかし、身体の力が抜けて膝をついて呆然と座り込んでしまった。
城も国も、大国の炎に呑み込まれた。
守るべき民も臣下も、敬愛する父王も、もういない。
喉がカラカラだというのに目からは、はらはらと涙がこぼれ落ちる。
「陛下からは王女─フィオルーメリアは生かして連れてこいと言われたが」
硬く血に濡れた銀の手が、フィーロの頬を掴み持ち上げる。
「なるほど、噂に違わぬ良い顔だ」
下卑た笑みと共に男は顔を近づける。
血と鉄と煙の匂いがフィーロを刺激する。
「その見目ならば陛下が欲しがるのも頷ける」
指先が頬から顎へとなぞっていく。
その感触にフィーロはびくり、と身体を震わせた。
逃げないと。
そう思うのに足は、身体は全く動かない。
どこへ?たった一人でどこへ逃げろというのか。
そう理解する頭が、声をあげることすら許さなかった。するりと男の指が離れる。
そして、男は背後に控える兵達を顎でしゃくった。金属音と荒々しい腕が両端から伸びて、彼女の腕を掴んだ。
「陛下への献上品だ。くれぐれも傷をつけるなよ」
連れて行け、という言葉と共にフィーロの身体は無理矢理立たされ、半ば引きずられるような形で部屋の外へと連れ出されていく。
「い、いや......」
引きずられながら見る外は地獄だった。
床にも壁にも赤黒い染みが飛び散り、重力に従って広がり、滴り落ちていく。
所々床に倒れ伏している赤い兵と侍女。
煙と血の濃い匂いが充満している。
あの綺麗であった城内の面影はもう微塵も残っていない。
「歩け」
短い言葉と共に兵士達は彼女を無造作に前へ突き放す。
歩け、と言われても足に、身体に力が入らない。フィーロはそのまま床に崩れ落ちた。
「おいおい、傷つけたらダメだって言われたろ」
「しょうがないだろ。この娘が勝手に転んだのが悪いんだ」
呆れてような口調の応酬のあと、兵の一人が無造作に彼女の髪を掴みあげた。
痛みに声が漏れる。
「おい、立て」
されるがまま首を強く引かれる。視界が歪んで見えるのは、転んだ痛みのせいだろうか。
──じいや。お父様、皆.....。
誰か助けて、とフィーロは言えなかった。
近くに味方は誰もいない。皆死んでしまった。
このままモノのように連れていかれるのか。
ふと脳裏に二人の顔が浮かぶ。
せめて、一目でもいい。二人に会いたい。
何度目かの涙がフィーロの頬を伝う。
そのときだった。
突風が廊下を駆け抜けたと同時に、何かが裂けるような音と叫び声がフィーロの耳に飛び込んできた。掴みあげられていた髪がふわりと宙に解け落ちる。
そのまま後ろに傾いた身体を誰かの腕が受け止めた。
「フィーロに触るな」
低く怒気を孕んだ声。だがその声は、彼女がよく知るはずの声と同じもので。
鎖帷子に胸当てだけの簡素な軽装鎧に、それに似合わぬ立派な兜。だが、顔だけはぼんやりと見えた。
「.....イ、オ....?」
見上げて確かめるように呼んだ声は、掠れたようなものしか出せなかった。
イオはそれに答えぬまま、剣を前に構えて彼女を背に庇う。
「まだ生き残りがいたのか!」
敵の兵士は怒鳴り声をあげ、剣を高く振り上げた。しかしイオは剣を構えたまま動くことはしなかった。
どこから細い影が滑り込む。
そのまま兵士の身体を蹴り飛ばす。
派手な衝撃音と共に、兵士は横殴りに吹き飛び壁に叩きつけられた。がらん、と重い音を立てて剣が床に落ちる。その剣を掴み、彼は敵兵に突き刺す。
イオの背中に庇われて見えなかったが、フィーロの耳には確かに、鈍い音と男の悲鳴を聞いた。
くるり、と兵士の残骸を背に彼は振り返る。
彼と同じ鎧と兜。同じ背丈。
どちらも血と泥で汚れていたが、同じ顔。
「無事? 」
「.....セオ.....?」
フィーロの安堵した声にセオは一瞬、少し困ったような笑みを返した。
「遅いよ」
「お前が先に飛び出すからだ」
「だってぇ」
「だってじゃない」
彼らが二人並んで、その片割れに軽口を叩くのも、フィーロには懐かしく思えてしまった。
「ごめん遅れて。でも大丈夫」
「ここからは、もう誰にも傷つけさせない」
二人がフィーロの手首を手に取り、彼女を立ち上がらせた。その仕草に迷いは無い。
「ひとまず外に」
どちらが喋ったのか、なんと言おうとしたのか彼女はわからなかった。
炎が弾ける音と甲冑が擦れる音が背後で鳴る。
彼がフィーロの手首を放し、彼女と片割れの二人を突き飛ばしたのだ。
突然の彼の行動にわからず、フィーロは彼に手を伸ばした。
それが届く前に。
空を切る音と、鋭い衝撃音。
ぬるい何かが彼女の顔を濡らす。
それが何なのか認識する前に、彼女は目の前の光景を理解したくなかった。
1本の槍が、彼の背後から胸に突き出ていた。
胸から、彼の口から溢れ出す大量の赤。
彼は何も言わず。
そのまま床に、自身の血の海に崩れ落ちた。
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