第3話 手を取る未来を、夢見ていた
息が、吸えない。
嫌な音が胸の奥で鳴り、吐き出す息は血が混じる。
そして今の季節は春だと言うのに、酷く寒く冷たかった。
◾︎◾︎
倒れゆくそれをフィーロはぼんやりと見ていた。
頬に飛び散ったそれを認識したくない。
目の前にある光景を、彼女は信じたくなかった。
「.....やだ.....いやだ....」
彼が倒れ伏した床から血の海が広がっていく。
背中には一本の槍が突き刺さっている。
認めたくない。呼ぶべき名前があるのに、彼がそれだと認めたくない自分がいる。
「起きて、ねぇ...起きなさいよ...」
呼びかけても、返事は無い。
隣に立つもう一人の彼が何か言っているが、何故か遠くに聞こえた。
彼の顔を見るのも、兜の下の髪色を確かめるのも怖くてできなかった。
遠くから沢山の金属音と足音が聞こえてくる。
あぁ、これが悪夢であれば、良かったのに。
◾︎◾︎◾︎
血の海にいる片割れと、横で泣きじゃくる幼馴染。
自分も、子供のように叫んでいただろう。だけど、今の状況がそれを許さなかった。
味方の旗はとうに落ちて、城は炎と敵国の群れに落とされる寸前。
君主の王はもういない。姫である彼女を守れるのはもう、今は自分しかいない。
床を打つ、複数の鎧の足音。敵の兵士たちがこちらになだれ込んできた。
槍が、片割れに刺さるのと同じ意匠のものが、自分たちに向けられる。
彼女を背に庇って、彼は血と脂で汚れた剣を構えた。
薄汚れた、傷だらけな恰好の彼を嘲笑うかのように、一際派手な鎧の男が一歩前に出た。
「小僧、背中にいる姫をこちらに渡せ」
お願いでも交渉でもない。ただの命令がそこにあった。
「……断るといったら?」
彼の言葉に目の前の男は小馬鹿にしたかのように鼻で笑う。そして視線を下に向けた。
血だまりに沈んでいる、薄汚れた何か。かすかに胸が上下しているだけの存在。
「まだ状況がわかっていないようだな」
つかつかと靴音を鳴らし、躊躇いもなく兜越しにその頭を踏みつけた。
鈍い音。踏みつけられた衝撃で喉から掠れた、濁った声が漏れたのが聞こえた。
「こいつと同じようになるぞ?」
後ろで彼女の、息を呑む悲鳴が聞こえた。背中越しに彼女の体が震えているのがわかる。
剣を強く握る手に汗が滲む。
どうすれば、どうすればいいんだ。
嫌な汗がこぼれ落ちる。
多勢で自分ひとりで守るという、この絶望的な状況。剣が揺れる。
その時だった。
かすかに、けれども確かに動いたのだ。
血と泥に塗れた顔。その焦点の合わぬ目がこちらを向いたのだ。
口の端から血は零れ、額からも血を流している。
首も、口もぴくりとも動いていない。
自分と同じ色の目だけが、動いている。
同じ形、同じ色の瞳の視線が、ぶつかる。
その目にほんのわずかの光を宿して、彼を捉えた。
―――迷うな
もう声はない。けれども、確かに聞こえた。
奥歯がぎり、と鳴った。
双子だからなのか。言葉が無くともわかってしまった。
片割れが何を選び何をするのか、そして自分が何を選ぶことになるのか。
「この、ばかやろ……」
小さく、背中にいる彼女に聞こえないように呟く。
覚悟を決めた大馬鹿野郎の、名前を。
彼は手にしていた剣を鞘に納める。そして半歩、前に出た。
一体何をする気なのかと、派手な鎧の男はせせら笑いを浮かべる。
おひめさまの騎士気取りの小僧が丸腰になってまで何をするのか。
さっさと終わらせてしまおう。
男は部下への合図に腕をあげた。
その瞬間だった。
バチリ、バチリと火花が散る音が走ったのは。
見れば、目の前の彼の手元にいくつもの小さな火花が散っている。段々とそれは小さな雷のように激しくなり、周囲にぶつかり跳ね返っていく。
彼の不審な動きを阻止しようと、槍を構える敵兵達。しかし、どこからともなく炎が立ちのぼる。それまるで意志を持った蛇のようにうねり、彼らを飲み込んでいく。
どういうことだと、辺りに視線を巡らせていた男は視線を下に向け、気づいた。
己の足の下にいる、血まみれのその口角が上がっていることに。
置いていた足に力を込めて踏みつけた。
兜が嫌な音を立て、彼の口からごぼりと血がこぼれる。それでも火の蛇も、もう一人が放つ雷も消えない。
やがて、炎の蛇が雷を喰らった瞬間、轟音と衝撃、そして閃光が弾けた。
◾︎◾︎
爆発が起きる少し前、彼は隙をついてフィーロを抱きあげた。後ろは振り向かなかった。
「待って、なんで」
「いいから。口と目閉じてろ」
いやだ、どうしてと嘆く彼女を無視して彼は、爆発が起きた瞬間、勢いよく駆け出す。
爆音が響く中、フィーロは手を伸ばして、遠ざかっていく彼の名を叫んだ。
◾︎◾︎◾︎
もう前が見えない。酷く寒くて眠い。
あの爆発でも何故か、まだ自分は生きている。
とはいえ、体はもう指先ひとつ動かせない。
音だけが拾える程度だった。
「やって...くれたな。小僧共」
ガシャンガシャンと激しい金属音と低い声が上から聞こえる。
もう、動けない。
呼吸が、うまくできない。
「......貴様は、この手で始末してやる」
声と同時に内側で鈍い音と痛みが響く。
意識が薄れていく中で、彼女の自分の名を呼ぶ声が、遠くで聞こえた気がした。
夢を見た。
冬の日に彼女が自分の手を取ってくれた夢を。
でも片割れもそこにいて。
春も夏も秋も、その次の冬も。
ずっと隣で、手を取って一緒にいる夢を夢見ていた。
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