第3話
「名乗る必要はない。どうせここで死ぬのだからな」
目の前に聳え立つ巨躯、オーガ・ジェネラルが棍棒を振りかぶる。
全身を包む黒い甲冑が擦れ、不快な金属音を鳴らした。
身の丈3メートルを超える筋肉の塊。
そこから放たれる質量攻撃は、風圧だけで周囲の小石を弾き飛ばしている。
「主様、避けてくださいッ! あれは城壁をも粉砕する一撃です!」
背後でティナが悲鳴に近い警告を発した。
彼女の魔力感知でも、このオーガの力が桁違いであることは理解できているらしい。
だが、俺の『全能解析』が弾き出した解は、あまりにも退屈なものだった。
《対象:オーガ・ジェネラル 攻撃予測:右上方からの垂直落下》
《衝撃力:推定4トン 速度:亜音速》
《回避推奨ルート:左前方15度》
《迎撃推奨:正面からの捕獲》
「避ける? なぜ俺が、餌ごときに道を譲らなければならない」
俺は一歩も動かず、ポケットに手を入れたまま空を見上げた。
巨大な棍棒が、空気を引き裂く轟音と共に脳天へ迫る。
遅い。
あくびが出るほどに。
俺は衝突の0・1秒前、ゆっくりと右手だけを頭上へ掲げた。
ドォォォォォォォォォォォンッ!!
爆音が鼓膜を叩き、足元の岩盤が蜘蛛の巣状に亀裂を走らせる。
凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲にいたゴブリンたちが枯れ葉のように吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める粉塵。
その中で、オーガ・ジェネラルの驚愕に染まった声が響く。
「な、に……ッ!? 馬鹿、な……防いだ、だと……!?」
土煙が晴れる。
そこには、涼しい顔で棍棒を受け止める俺の姿があった。
強化された右腕は、ピクリとも震えていない。
運動エネルギーを完全に殺し、ゼロに固定する。
今の俺の筋力値は、システム上のオーガ種の上限を遥かに超えているのだ。
「力だけなら、まあ合格点だ。ハエを叩き潰す程度には使えるだろう」
「き、貴様……何者だッ!? ゴブリン風情が、なぜ我が全力の一撃を片手で止める!」
「だから言っただろう。名乗る必要はないと」
俺は掴んだ棍棒に、ほんの少し指先の力を加えた。
ミシミシ、という乾いた音が鳴る。
それは鋼鉄のように硬いはずの魔化木(トレント・ウッド)が、悲鳴を上げている音だった。
「俺にとって、お前はただの栄養素だ」
「ふ、ふざけるなァァッ! 放せッ、放せぇぇぇッ!」
オーガが顔を真っ赤にして棍棒を引こうとする。
だが、俺の指は万力のように食い込み、微動だにしない。
圧倒的なステータス差。
生物としての格の違いを、その身で理解させてやる。
「返して欲しければ、くれてやる」
バキィッ!!
俺は手首を返し、極太の棍棒をへし折った。
勢い余ってオーガがたたらを踏む。
その無防備な土手っ腹へ、俺は音速を超えた左拳を突き刺した。
ドゴォッ!!
「が、はっ……ア、ガ……ッ」
内臓が液状化する感触。
巨体がボールのようにくの字に折れ曲がり、後方の岩壁へ弾き飛ばされた。
ズガガガガッ、と岩肌を削りながら埋まり込むオーガ。
口からは大量の鮮血と、胃の内容物が吐き出されている。
「主様……すごいです……! オーガの将軍を、魔法も使わず、ただの素手で……!」
ティナが頬を紅潮させ、熱っぽい吐息を漏らしている。
その瞳に宿るのは、恐怖ではなく、絶対強者への陶酔だ。
俺は血に濡れた手を払い、瀕死の獲物へと歩み寄った。
「貴様、本当にゴブリンなのか……この力、異常だ……」
「俺は俺だ。種族などというチープな枠組みで俺を測るな」
岩壁に埋まったまま、オーガが震える声で問うてくる。
その目からは戦意が消え失せ、純粋な死への恐怖だけが浮かんでいた。
「た、頼む、助けてくれ……俺は魔王軍の幹部、デストロ様の配下だぞ……殺せば、魔王軍全体を敵に回すことに……」
「デストロ? 知らない名前だな。雑魚の親玉もまた、雑魚に過ぎない」
俺は無慈悲に宣告し、右手をオーガの胸元にかざした。
命乞いなど聞く耳持たない。
こいつの肉体、魔力、そして記憶。
その全てが、俺の帝国の礎となるのだ。
「光栄に思え。俺の一部になれるのだからな。『無限捕食』」
「や、やめろォォォォッ――」
俺の掌から漆黒の霧が噴出し、オーガの巨体を包み込む。
断末魔は一瞬で途絶えた。
肉も、骨も、装備していた甲冑すらも、全てが原子レベルで分解され、光の粒子となって俺の体内へ吸い込まれていく。
《オーガ・ジェネラルを捕食しました》
《筋力値が限界突破。スキル『豪腕』『粉砕』を獲得》
《声帯構造を解析。スキル『咆哮』を獲得しました》
《レベルが15に上昇。ステータスの再構築を開始します》
ドクンッ、と心臓が強く脈打つ。
身体の奥底から、灼熱の奔流が駆け巡った。
骨格が軋み、筋肉繊維が一本一本作り変えられていく感覚。
不快感はない。
あるのは、生物としてより高みへと昇華する万能感だけだ。
俺は自分の身体を見下ろした。
緑色が混じっていた肌は、月光を宿したような洗練された銀灰色へと変化している。
指先はより鋭利に、爪はダイヤモンドを超える硬度を持っていた。
視界が高くなっている。
背丈も伸びたようだ。
水たまりを覗き込むと、そこには深紅に輝く瞳を持つ、冷酷かつ美しい「魔人」の顔があった。
「力が……溢れて止まらないな」
軽く拳を握るだけで、空気が圧縮され、パチパチとプラズマが発生する。
今の俺ならば、この山脈ごと消し飛ばせるかもしれない。
「主様……おめでとうございます。また一段と、神々しさが増しましたね」
ティナが濡れた瞳で俺を見上げ、その場に跪く。
彼女につられるように、生き残ったゴブリンたちも一斉に地面へ額を擦りつけた。
彼らの身体は恐怖で震えているが、同時に俺という絶対君主への忠誠心で満たされている。
「ははっ……! 一生ついていきます、主様ッ!」
「俺たちの王、万歳! 最強の王、万歳!」
広場に熱狂的な歓声が響き渡る。
俺はそれを当然の賛辞として受け止め、彼らを見下ろした。
「喜ぶのはまだ早い。次は、お前たちを『使える』駒にする」
俺は『進化の導き手』を起動した。
視界に、ゴブリンたちのステータスと、進化ツリーが表示される。
通常なら数年かかる進化も、俺の最適化プロセスを経れば数時間で完了する。
「お前、そこにある赤い草を根ごと食え。魔力回路が開く」
「お前はあの岩を持ち上げろ。筋繊維を限界まで断裂させ、再生させる」
「そこの三匹は、互いに殺し合うつもりで殴り合え。生存本能を刺激しろ」
俺は的確かつ冷徹な指示を飛ばした。
ゴブリンたちは一瞬の躊躇もなく、俺の言葉に従って行動を開始する。
苦痛に悲鳴を上げる者もいるが、誰一人として脱落しない。
俺の魔力を微量に混ぜた命令(オーダー)は、彼らの遺伝子レベルに作用し、強制的な進化を促していた。
バキバキ、ググッ。
異様な音が広場に満ちる。
矮小だったゴブリンたちの身体が膨れ上がり、筋肉の鎧を纏った戦士へと変貌していく。
一匹、また一匹と、上位種であるホブゴブリンへの進化を遂げた。
「す、すごい……! 体が、力が……!」
「俺たち、強くなったぞ! これならオークとも戦える!」
進化したホブゴブリンたちが、自分の手を見つめて歓喜の声を上げる。
その光景を見ていたティナが、信じられないものを見る目で口元を押さえた。
「なんてこと……。王国の騎士団ですら、兵士の育成には何年もかけるのに……わずか数十分で、軍隊を作り上げてしまうなんて」
「効率化の極致だ。無駄な努力など必要ない。正しい知識と、適切な負荷があれば、生物はいくらでも変われる」
俺は広場の中心に、先ほど捕食したオーガやオークたちが残した武器、そして洞窟内で採取した鉱石を山積みにした。
質は悪い。
手入れもされていない粗悪品だ。
だが、素材としては悪くない。
「全能解析。物質分解、及び再構築(クラフト)」
俺が手をかざすと、ガラクタの山が光に包まれた。
脳内で設計図が高速展開される。
分子結合を組み替え、不純物を排除し、魔力伝導率を最大化する。
鍛冶師が一生かけて打つ一振りを、俺は思考するだけで量産できる。
「変形、融合。完成しろ」
光が収束し、そこには白銀に輝く武具の山が現れた。
剣、槍、斧、そして鎧。
どれもがミスリル銀を含有し、薄っすらと青い魔力の光を帯びている。
「こ、これは……伝説級(レジェンダリー)の輝き……!?」
ティナが震える手で、一振りの細剣(レイピア)を手に取った。
刀身には美しい装飾が施され、彼女の魔力に呼応して風の魔力が渦巻いている。
「俺が今作った汎用品だ。ティナ、お前にはそれが似合う」
「私に……? こ、こんな国宝級の剣を……?」
「俺にとってはただの道具だ。遠慮はいらない。それを使って、俺の敵を切り刻め」
「はいッ! この命に代えても、主様の御為に振るいますッ!」
ティナは感極まった様子で剣を抱きしめ、涙を流して感謝した。
ホブゴブリンたちも、与えられた武具を手に取り、雄叫びを上げて士気を高めている。
装備、兵力、そして個の武力。
基盤は整った。
「さて、掃除と準備は終わった。次は本丸だ」
俺は洞窟のさらに奥、深淵へと続く暗闇を見据えた。
『全能解析』が、この先に強大なエネルギー反応を検知している。
魔王軍ですら把握していなかった、古代の遺産。
それを手に入れれば、俺の国作りは加速する。
「行くぞ。俺たちの城を手に入れる」
「御意!」
俺を先頭に、ティナとホブゴブリンの軍団が進軍を開始する。
道中に現れる魔物たちは、もはや敵ではなかった。
強化された配下たちが、俺の指示を待つまでもなく蹂躙していく。
俺はただ歩くだけでいい。
王の道は、臣下が切り開くものだ。
しばらく進むと、空気の質が変わった。
重く、濃密な魔素が肌にまとわりつく。
通路の突き当たりに、巨大な扉が姿を現した。
高さ10メートルはある漆黒の金属門。
表面には幾何学的な紋様が刻まれ、青白い光が脈動している。
物理的な破壊を拒絶する、絶対的な障壁。
「主様、これは……古代語魔法の封印です。解読するには、賢者クラスの知識が必要かと……」
ティナが扉の紋様を見て、絶望的な声を漏らす。
だが、俺の口元には笑みが浮かんでいた。
「賢者? 笑わせるな。この程度のセキュリティ、俺には子供の落書きに見える」
俺は扉に手を触れた。
『全能解析』が、瞬時に術式構造を読み解く。
4096層の論理障壁、魔力認証、血統認証。
複雑怪奇に見えるパズルだが、解答はすでに脳内にある。
《解析完了。アンロック・コード生成》
《管理者権限を強制取得。システムを書き換えます》
「開け。俺が新たな管理者(マスター)だ」
ズズズズズズ……ッ。
重厚な地響きと共に、数千年の間閉ざされていた扉が動き出す。
隙間から眩い光が溢れ出し、俺たちを照らした。
扉の向こうに広がっていたのは、広大な空間だった。
壁一面に並ぶカプセル、空中に浮かぶホログラム映像、そして中央に鎮座する巨大な制御端末。
古代文明の実験場。
あるいは、失われた魔導技術の保管庫か。
「す、すごい……。こんな場所が、地下に眠っていたなんて……」
「ここが俺たちの拠点(ベース)になる。ここにある技術、全て俺が食らい尽くす」
俺は迷うことなく中央の演台へと歩み寄った。
そこには、一冊の書物が宙に浮いている。
黄金の表紙を持つ、『叡智の書』。
この世界の真理、魔法の根源が記されたアーティファクトだ。
「これを解析すれば、俺のスキルは神の領域に届く」
俺が書物に手を伸ばそうとした、その時だった。
背後の空間が歪み、焼け付くような熱気が背中を襲った。
「そこまでだ、薄汚い魔物よ。それは貴様のような下等生物が触れていい代物ではない」
冷徹で、傲慢な声。
振り返ると、そこには白銀のローブを纏った一人の男が立っていた。
手には大粒の宝玉が埋め込まれた杖。
胸には聖王国の紋章。
《対象解析:聖王国筆頭宮廷魔導師 バルザス》
《レベル:50》
《状態:敵対 脅威度:中》
「人間か。なぜこんな場所にネズミが入り込んでいる」
俺は書物から手を離さず、肩越しに男を睨みつけた。
「フン、我が国の古代遺跡調査を嗅ぎつけた盗賊が何か言っているな。ここは聖王国の管理下となる。貴様らはただの不法侵入者だ」
バルザスは杖を掲げ、侮蔑の眼差しを俺に向けた。
その目には、魔物を知性ある存在として見ていない、絶対的な差別意識がある。
不愉快だ。
実に不愉快極まりない。
「死をもって償え。極大炎熱魔法『プロミネンス』」
バルザスの詠唱と共に、空間が真紅に染まった。
太陽の欠片とも呼べる巨大な火球が出現し、全てを焼き尽くさんと俺に迫る。
レベル50の魔導師が放つ、必殺の一撃。
直撃すれば、城一つが灰になる熱量だ。
「主様ッ!!」
ティナが絶叫し、俺の前に飛び出そうとする。
だが、俺はそれを左手で制した。
「下がっていろ。焚き火の相手くらい、俺一人で十分だ」
俺は迫りくる灼熱の太陽に向かって、無造作に右手を突き出した。
回避も防御もしない。
ただ、掴みに行く。
「なっ……!? 気でも狂ったか! その身で受ければ骨も残らんぞ!」
バルザスが勝利を確信して嗤う。
だが、その笑みは次の瞬間に凍りついた。
ガシィッ!!
俺の右手は、実体のないはずの炎を「鷲掴み」にしていた。
『全能解析』が、魔法を構成する魔力配列を視覚化し、物理的な干渉ポイントを特定しているのだ。
どんなに巨大な炎だろうが、俺にとってはただのデータに過ぎない。
「な……魔法を、掴んだ……だと……!?」
「ぬるいな。この程度の火力で、俺を焼けると本気で思ったのか?」
俺は掴んだ火球を、まるで握り潰した紙屑のようにクシャリと握り締めた。
「全能解析。構造分解(デリート)」
パァンッ!
乾いた音と共に、必殺の『プロミネンス』は光の粒子となって霧散した。
後に残ったのは、静寂と、バルザスの間抜けな顔だけだ。
「あ、あり得ん……。宮廷魔導師である私の魔法が……かき消された……?」
「理解できないか? それが『格』の差だ」
俺は一歩、また一歩とバルザスへ歩み寄る。
男は杖を取り落とし、腰を抜かして後ずさった。
その顔からは、先ほどの傲慢さは消え失せ、底知れぬ恐怖が張り付いている。
「ひッ、く、来るな……! 私は聖王国の宝だぞ! 貴様ごときが触れていい存在じゃ――」
「宝? なら、有効活用してやるよ」
俺は『疾走』で距離をゼロにし、バルザスの細い首を片手で吊り上げた。
足が宙に浮き、男が苦し紛れに藻掻く。
「が、ぁ……は、なせ……ッ」
「お前のその知識も、魔力も、地位も。全て俺が頂く。俺の糧になれることを感謝して死ね」
俺の瞳が、至近距離で赤く妖しく発光した。
バルザスの瞳に映るのは、自身の死と、世界の理を蹂躙する捕食者の姿だけだった。
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