06:Rhapsody / Cracks in Daily Life
眩い白銀の光も、精神を削る不快なノイズも、目覚めてしまえば遠い夢の残滓のようだった。
アサヒナ・アリアは、自室のベッドで身体を起こした。カーテンの隙間から差し込む朝日は、昨日と変わらず柔らかく、武雄の街を穏やかに照らしている。
――けれど、私の身体には、あの感覚が刻まれている。
冷たい『S.Y.N.C.-L.I.Q.U.I.D』の感触。神経を駆け巡る電子の熱。そして、世界が「消去」されようとしていた、あの圧倒的な虚無の予感。
「……おはよう、ウーヴェルチュール」
誰にも聞こえない声で呟き、アリアは制服に着替える。
鏡に映る自分は、どこにでもいる県立第2 SS学園の生徒だ。けれど、その網膜の隅には、今も薄らとグリッド線が焼き付いているような気がしてならなかった。
同じ頃。
武雄の温泉街に近い一角にある、緒妻邸。
地下の「センター」で冷徹な指揮を執っていた男――オツマ・テツトは、寝癖のついた頭を掻きながら、ダイニングキッチンへと足を踏み入れた。
「……ふわぁ。あー、腰が痛い……」
「あら、お帰りなさい。昨日も遅かったのね、テツトさん」
エプロン姿で振り返り、穏やかな笑みを浮かべたのは、妻のユウだった。
彼女の手には、炊きたての白飯と、地元産の玉ねぎをたっぷり使った味噌汁。どこにでもある、幸せな家庭の風景がそこにはあった。
「ああ、悪いな、オユウさん。例のアバターエンジンのデバッグが長引いてさ。……あー、味噌汁の匂いが染みる」
「お仕事が大変なのは分かるけれど、あまり無理はしないでね? ほら、座って。すぐに朝ごはんを出すわ」
テツトは食卓につき、ユウが差し出した温かい茶を啜る。
昨夜、彼はアポリアを駆る少年少女を戦場へ送り込み、数百万の『ABUSIVE-LOGOS』を処理し、世界の崩壊を寸前で食い止めていた。だが、この食卓の上では、彼はただの「仕事が忙しい愛妻家」でしかなかった。
「……オユウさん。今日の空、どう思う?」
ふと、テツトが箸を止めて尋ねた。
ユウは窓の外、抜けるような青空を見上げて、小首を傾げた。
「そうねぇ。とっても綺麗じゃない? どこまでも透き通っていて……。あ、でも洗濯物を干すには少し風が強いかしら」
「……そうか。綺麗か。ならいいんだ」
テツトは短く答え、味噌汁を口に運んだ。
ユウには見えていない。『UNILATERAL-VOID』も、空を喰らうエコーの影も。彼女が「綺麗」だと言えるこの日常を守ることこそが、テツトが地下に潜る唯一の理由だった。
ユウが宇宙の真理そのものであることなど、テツト自身も、そしてユウ本人さえも、今はまだ知る由がない。
――その頃、県立第2 SS学園の教室。
朝のHRが始まる前、ワカの怒声が響き渡っていた。
「アリア! 昨日の今日で、よくそんな平気な顔をして登校できましたわね!」
ナナミ・ワカは、日本人形のように整った黒髪を振り乱し、アリアの机を叩いた。
「ワカ、声が大きいよ……」
「大きくて当然ですわ! あたくしだけ、あんな不気味な地下室に置き去りにして……! しかもカノンもカナタも、あたくしを置いてけぼりにして出撃するなんて、屈辱以外の何物でもありませんわ!」
隣で席で読書をしていたタチバナ・カノンが、眼鏡の縁を触りながら淡々と言い放つ。
「落ち着きなさい、ワカ。あなたの機体の調整が間に合わなかったのは、テツトさんの判断よ。……そもそも、昨日の戦域にあなたが出たところで、あの『ABUSIVE-LOGOS』に耐えられたかしら?」
「なんですって……!? わたくしの精神力を侮らないでいただきたいわ! あんなノイズ、わたくしの優雅な一喝で吹き飛ばしてやりますわよ!」
「はいはい、そこまで。ワカも座れよ。先生来るぞ」
後ろからタケ・カナタが苦笑いしながら割って入る。
四人のやり取りは、傍目には賑やかな友人の会話にしか見えない。だが、アリアは気づいていた。カノンの指先がわずかに震えていることに。昨夜の精神汚染の傷跡は、まだ完全には癒えていないのだ。
窓の外、学園の中庭。
生徒たちの笑い声が響く中、アリアの目にだけは、空の一角が「砂嵐」のように揺らぐのが見えた。
「……また。……昨日よりも、深い」
アリアの呟きは、ワカの叫びにかき消された。
日常の皮一枚の下で、不条理な「消去」は着実に進んでいる。
放課後。
四人の元へ、テツトからの暗号通信が届く。
『放課後のティータイムは中止だ。……予定を変更して、地下センターへ集まれ。……"新曲"が入った。ワカ、君の出番だ』
その文字を見た瞬間、ワカの表情がパッと輝いた。
「――見なさい! ついに、わたくしの舞台が整いましたわ!」
ワカは誇らしげに胸を張り、アリアの手を引いた。
それは、さらなる激闘へと続く招待状。
武雄の平和な景色を背に、彼女たちは再び、世界のバックアップ拠点へと続く隠し通路へと足を踏み入れた。
地下では、紅金色の装甲を纏った05号機――『Capriccio(カプリッチョ)』が、その巨大な扇状のバインダーを広げ、新たな「旋律」を解凍されるのを待っていた
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