第3話 形成

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 教室に入る前に一度だけ深呼吸をした。

 習慣だ。意味はない。だが、落ち着く。


 四月。

 全員が同時に入所した、初日のクラス。

 深層魔女育成施設――通称THAでは、もっとも不安定で、もっとも静かな時期でもある。


 扉を開ける。


 視線が、こちらに集まる。

 まだ揃っていない。

 外向きで、散っている。


 想定通りだ。


「おはようございます」


 声は、できるだけ柔らかく。

 こちらは、教育者として振る舞う立場に立ったばかりだ。


「本日から皆さんを担当します。

 第三層区画、基礎形成課程の――」


 名を告げ、簡単な役割説明をする。

 生徒たちは静かに聞いている。

 緊張、期待、不安。

 それらが混ざった、形成以前の空気。


「ここは、皆さんを“外へ向かわせる”場所ではありません」


 THAについて、必要最低限を伝える。


 日光と外気を遮断している理由。

 閉鎖は拘束ではなく、前提条件であること。

 深層魔力=深力、は発散させるものではなく、沈め、層を作るものだということ。


「ですから、焦らなくていい。

 比べなくていい。

 こちらは、皆さんが安定するまでを見ます」


 その言葉を口にしながら、

 こちらは、教室をゆっくり見渡した。


 ――そこで、視線が止まる。


 窓際。

 一人、座っている。


 姿勢は自然。

 深力の滞留が、すでに静かだ。


 外向きの揺れがない。

 初日に必ずあるはずの、所在なさも、探る視線もない。


 沈んでいる。


 いや――

 もう、沈みきっている。


 こちらは、言葉を続けながら、内心で計測する。


 形成期ではない。

 揺れの途中でもない。


(……完成している)


 その言葉が浮かび、

 こちらは一瞬だけ、判断を保留した。


 完成は、褒め言葉ではない。

 教育の前提が崩れるからだ。


 だが、表情には出さない。

 声も変えない。


「自己紹介については、自由です」


 あくまで、穏やかに。


「したい人は、してもいい。

 しなくても、問題ありません」


 少し間を置く。


「ここでは、無理に外へ向かう必要はありませんから」


 何人かが安堵したように息を吐く。

 何人かは、戸惑っている。


 だが、あの一人は違う。

 最初から、何も変わらない。


 こちらは理解する。


 この個体は、語る必要がない。

 すでに、内側で完結している。


 教育対象としては、想定外。

 だが、危険ではない。


 ならば――

 教えない、という選択肢がある。


 こちらは、その判断を胸に留めたまま、授業を進める。


 今日は、何事も起こらない。

 それでいい。


 名簿の端に、

 小さく、印を付けた。


 ──静層リーネ。


 こちらが初日に受けた衝撃は、

 まだ、誰にも知られない。




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