第2話 段取り

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 施設内の光は、柔らかい。

 日光を再現しない設計のため、影に意味がない。

 その曖昧さが、僕には心地よかった。


 執務室に入った瞬間、空気が一段沈んだ。

 水圧ではない。

 視線だ。


 彼女は、僕を見るなり一度だけ瞬きをした。

 そして、ほんのわずかに視線を逸らす。

 まるで、そこに「人」ではなく、別のものを認識したかのように。


「……」


 言葉が出る前に、理解する。

 ああ。

 これは二度見だ。


 僕は、鏡を見る習慣がない。

 自分の容姿を、観測対象として扱ったことがなかったからだ。

 だが、彼女の反応で察する。


 今の"私"は、かなり出来上がっている。


 髪は数年、伸ばしてきた。

 この日のために切らず、整えすぎず、ただ重力に任せて。

 腰に届くほどの長さで、光を吸い、反射する。


 色は、深い紺。

 夜の海面ではない。

 もっと下――光の届かない層で、わずかに艶を残す深海の色だ。


 束ねても、下ろしても、主張しない。

 ただ、そこに在る。

 水が在るように。


 肌は白いが、血色が薄いわけではない。

 循環していないのではなく、外へ向かわないだけだ。

 視線も同じ。

 誰かを射抜くことも、求めることもない。


 それらが合わさると、人は錯覚する。


 ――深海が、そのまま人の形を取って座っている。


 彼女は、少しだけ息を吐いた。


「……ナハトくんは、本当に」


 そこで止める。

 言葉を選んでいる。


「お母さんにそっくりだな。生き写しかと思ったよ」


 僕は首を傾げなかった。

 否定もしない。


「そうですか」


「顔立ちじゃない。

 雰囲気だ。沈み方が、同じだ」


 評価ではない。

 感想でもない。

 長年、深層魔女を見てきた者の、確認。


 彼女は続けた。


「正直に言うとね。

 あの人を知っている人なら、まず二度見する」


 やはり、そうか。


「だから、気をつけなよ。

 その時は“親戚”でいい」


「嘘ではない、ですね」


「うん。

 それ以上、説明しなくていい」


 合理的だと思った。

 詮索を許す義務は、どこにもない。


 端末に表示された登録名を見る。


 静層リーネ


 血統を示さない名。

 状態だけを表す名。


 彼女は僕を引き留めない。

 背中も押さない。


 ただ、段取りを整える。


 それで十分だった。


 僕は深く息を吸い、吐く。

 ここでは、それが自然にできる。


 深海は、息をしない。

 だが、僕はする。


 その違いだけで、

 ここに居ていい理由になる。




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