深層魔女育成施設 ──僕は、海に沈んでゆく

濃紅

Tiefen Hexen Anstalt

第1話 沈む

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 地上での僕の名は、冥海ナハト。

 深層魔女が子を成した、ただ一つの成功例として記録された名だ。


 母は、深層魔女だった。

 それは秘匿ではなく、むしろ価値として扱われている。

 閉鎖環境下でのみ安定するとされる存在が、例外的に子を成した。その事実は、研究と制度の両面から正当化され、保存された。


 だから僕は、正しく育てられた。

 正しく期待され、正しく管理された。


 未来も、すでに決まっている。

 誰と、いつ、どのように。

 血統を維持し、成功例を再現する。それが僕に割り当てられた役割だった。


 拒否権はない。

 それがこの世界の制度だ。


 理解はできる。

 納得もできる。

 だが、受け入れる理由にはならなかった。


 僕が嫌悪したのは、誰かではない。

 自分が「完成例」として扱われ、その先の完成を生むための器として並べられる構造そのものだ。


 だから僕は、選んだ。

 男である限り背負わされる義務から、確実に外れる方法を。


 深層魔女育成施設。

 正式名称、深層魔女育成施設(Tiefen Hexen Anstalt)。

 通称、THA。


 地上から隔絶された海中、地下三〇〇〇メートル。

 日光と外気を完全に遮断した、人工閉鎖環境。


 それは魔女を閉じ込めるための施設ではない。

 魔女が安定して存在するための条件が、そこにしか成立しないからだ。


 深層魔女の力は循環しない。

 沈殿し、圧縮され、層を成す。

 外界に晒されれば拡散し、意識は外向きに傾き、個体差は暴走する。


 ゆえに、遮断は演出ではなく仕様だった。


 僕は女装を選んだ。

 嗜好ではない。

 自己表現でもない。


 制度的に、男である限り課される役割を、確実に破棄するための形式だ。


 地上では、僕は行方不明になる。

 死んだわけでも、逃げたわけでもない。

 ただ、記録から外れる。


 エレベーターが下降を始める。

 圧力変化は感じない。

 そのために設計された移送構造だ。


 思考は静かだった。

 恐怖も高揚もない。


 これは逃避ではない。

 世界を正しく理解した上での、最適解だ。


 ──僕は海に沈んでゆく。




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