第2話 水に映る月
「願い」が、突然叶うことがある。
それは、もう珍しい出来事ではなかった。
奇跡でも、神話でもない。
この世界では、それが起こりうる現象として受け入れられている。
理由は分かっていない。
条件も、再現性もない。
それでも人々は、
「叶った」という事実だけを積み重ね、
いつしかそれを常識と呼ぶようになった。
困ったときは、願えばいい。
迷ったときは、誰かに委ねればいい。
そう考える人が増えたのは、
自然な流れだったのかもしれない。
——これが、その報いなのだろうか。
私は、そう考えたことがある。
けれど、すぐに否定した。
すべての願いが、
歪んだ形で叶うわけではない。
正しく、静かに、
人の背中を押すように叶った願いも、確かに存在する。
私は、それを見たことがある。
まだ学生だったころ。
進路を前にして立ち止まっていた誰かが、
「一歩踏み出す勇気がほしい」と呟いた。
その翌日、
その人は、何も変わらない顔で席に座り、
けれど、迷いのない目で手を挙げた。
また、別の日。
差別されている友人に声をかけたい、
でも怖い、という願いを抱えた子がいた。
その子は、
特別な力を得たわけでも、
世界が優しくなったわけでもない。
ただ、
声をかけた。
それだけだった。
けれど、その一歩は、
確かに、願いが叶った結果だった。
——つまり。
願いそのものが、
悪なのではない。
願いが人を救う場面は、
確かに存在する。
問題は、
人間が、願いをどう使ってしまうかだ。
叶えてほしい。
代わりに決めてほしい。
失わないようにしてほしい。
責任を引き受けてほしい。
いつの間にか、
願いは「選択の代替」になっていった。
選ばなくていい。
間違えなくていい。
失敗しなくていい。
——本当に、そうだろうか。
私は、資料を閉じ、
一つの仮定を書き留めた。
もし、願いのない世界があるとしたら。
人は、
迷ったとき、何を基準に選ぶのだろう。
誰かを守りたいとき、
何を差し出すのだろう。
恐れたとき、
何に縋るのだろう。
願いがない世界では、
奇跡は起きない。
けれど、
選択は、必ず起きる。
そこに残るのは、
神でも、運命でもなく、
その人自身の決断だけだ。
——それは、
本当に「不幸な世界」なのだろうか。
私は、ページの端に小さく書き添えた。
願いがなくても、
人は、生きていけるのか。
それは、まだ仮説だ。
答えは出ていない。
だからこそ、
次はそれを、
一つの思考実験として
組み立ててみる必要がある。
願いに頼らず、
選択だけで進む世界を。
私は、ペンを置き、
次の頁を開いた。
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