鏡花水月
綴葉紀 琉奈
第1話 鏡に映る花
怪異について調査を行う私は、
今日も一人、資料室にいた。
古い木製の机。
紙の擦れる音。
天井の低い部屋には、時間の流れが沈殿している。
棚には、数百冊のファイルが並んでいた。
声を失った者。
突然、名もない病に侵された者。
死ねなくなった者。
頼れなくなった者。
頼られなくなった者。
どれも、事実として記録したものだ。
噂でも、比喩でもない。
日付。
場所。
当事者の証言。
第三者の観測。
それらが、淡々と綴られている。
私は、一冊を引き抜いた。
ページをめくる。
そこに書かれているのは、
苦しみだった。
だが、奇妙なことに、
その苦しみには一貫した形がなかった。
病として現れるものもあれば、
社会的な断絶として現れるものもある。
身体は無事なのに、
「以前と同じ生き方ができなくなった」
という例も少なくない。
共通点が、見えない。
私は椅子にもたれ、息を吐いた。
——本当に、ばらばらなのだろうか。
机の端に、別の紙束が置かれている。
資料ではない。
誰かが書いた文字だ。
この資料室では、
記録を読んだ者が自由に感想を残せるようになっている。
私は、その紙束を手に取った。
⸻
想いが現実を侵食するほどの力を持つことに、
畏怖と同時に、どこか憧れを感じました。
私自身は、そこまで強く何かを願ったことがないのでしょう。
⸻
取り返しのつかない願いが災厄を生み、
それを止めたのが、
あまりにも些細な行為だったことが印象に残りました。
人はきっと、そこに意味や希望を見出したくなるのだと思います。
⸻
願いは歪でしたが、
理解できないものではありませんでした。
そう感じてしまった自分に、少し戸惑いました。
⸻
どの文章にも、
正解は書かれていない。
善悪も、結論もない。
ただ、人々は
出来事に意味を与えようとしていた。
私は、紙束を机に戻し、
再びファイルへと視線を落とした。
声を失ったもの。
病に犯されたもの。
生き続けてしまったもの。
それらは、
「不幸な偶然」として片付けるには、
あまりにも似すぎている。
——気づいてしまった。
どの記録にも、
その前段階が存在している。
書かれていないこと。
けれど、確かにあったはずのもの。
人間の願い。
忘れたい。
守りたい。
変わりたい。
失いたくない。
叶えられたはずの願い。
それなのに、
結果だけが歪んで残っている。
私は、ファイルを閉じた。
もし、願いがなかったら。
もし、人が
何かを“叶えてもらう”という選択肢を
最初から持たなかったとしたら。
この記録は、
生まれただろうか。
その問いが、
胸の奥に、静かに沈んだ。
答えは、まだ書かれていない。
だから私は、
今日も記録を続ける。
人が、
何を願い、
何を失い、
それでもなお
意味を見出そうとするのかを。
それを観測するために。
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