第4話 上目遣いで『お願い』してみた(成功率100%)



結論から言うと、成功率100%の可能性がある事象を放置するのは研究者として怠慢である。

昨日、私は購買で「上目遣い+お願い」が発動し、カレーパンが追加で焼かれた。これは成功だ。

しかし成功は一回では成功ではない。一回は偶然だ。偶然は物語だが、研究ではない。

研究に必要なのは再現性である。再現性が取れた瞬間、事象は世界に対して牙を剥く。

私は登校してすぐノートを開いた。

ページ上部に太字で書く。

『実験4:上目遣いの汎用性検証(対象:性別・立場・関係性)』

久世透(生徒会副会長)が後ろから覗き込み、呻いた。

「お前、今朝一番にそれ書くな」

「今朝が一番データが新鮮です」

「その新鮮さ、捨てろ」

久世は今日もスポンサーとして機能している。つまり規制を考えに来ている。

彼は私を止める気でいるが、止めるための手続きが存在しない。手続きが存在しないなら、止められない。

それでも止めようとするのは努力である。努力は尊い。だから観察する。

「今日の予定、言え」

「承知しました。上目遣いでお願いを試します」

「やめろ」

「試さないと成功率が確定しません」

「確定しなくていい!!」

久世は声を荒げたが、私は淡々と机にチェックリストを置いた。

上目遣い実験の成功条件

A:対象がこちらの依頼に応じる(即時)

B:依頼に応じるだけでなく、追加の好意的行動が発生する

C:拒否・保留が発生しない

成功をAとするかBとするかは議論の余地があるが、今日はまずAを成功と定義する。研究は段階的に行うべきだ。

段階的に行うほど、周囲は段階的に死ぬ。

対象者のカテゴリは三つに分けた。

1)友好関係(普段から会話がある)

2)中立関係(普段は接点がない)

3)敵対関係(生徒会など)

性別も混ぜる。立場も混ぜる。

私は統計に偏りがあるのが嫌いだ。

まずは朝のホームルームで、対象1を取る。

私は席を立ち、教室後方の女子——御堂綾音のところへ行った。

彼女は勝つ女代表であり、情報網の中心であり、私の研究に興味を持っている。つまり協力者候補である。

協力者は多いほど良い。ただし協力者が多いと学園が壊れる。だが壊れ具合もデータだ。

私は眼鏡を外さなかった。

生徒会の規制案が「眼鏡外し申請制」なので、外さない方が今日の実験には都合が良い。上目遣い単体の効果も見たい。

私は顎を軽く引き、目線を上げた。角度は昨日より0.5度浅め。自然さを優先する。

「……お願い。今日、私の実験に協力してください」

綾音が一拍だけ止まった。

硬直0.3秒。短い。彼女は“お願い”の危険性を理解しているのに止まる。つまり効いている。

「いいよ」

即答だった。

成功条件Aを満たした。

さらに綾音は微笑んで言った。

「どうせなら、みんなも巻き込む?」

成功条件Bも満たしそうになった。

私はメモした。『協力行動:自発的拡散(危険)』

背後で久世透が机を叩いた。

「巻き込むな!!」

綾音は涼しい顔で言った。

「久世くん、上を見ちゃだめよ。論崎さん、上手いから」

久世が呻いた。

彼は私のスポンサーとして優秀だが、防御が雑だ。上を見るなと言われた直後に上を見てしまう。反射で私の顔を追ってしまう。

人間は顔を見る。顔は情報量が多い。だからこそ顔は兵器になる。

次に対象2を取る。中立関係。

私は廊下に出て、通りすがりの一年生男子を捕まえた。知らない顔だ。つまり中立だ。

「こんにちは」

一年生は凍った。

凍ったのは私のせいではない。噂のせいだ。噂はデータを歪めるが、同時に環境要因として扱える。

私は上目遣いを作り、声を落とす。

「……お願い。そこにある掲示物、写真を撮って送ってください」

一年生は一瞬、理解できない顔をした。

だが次の瞬間、頷いてスマホを取り出した。

「はい!」

即時。成功。

私は記録した。対象:中立(低接点)/性別:男/結果:成功。

背後でその一年生の友人らしい一年生女子が「えっ、何それ、私もやる!」と言い始めた。

波及が起きた。波及は副作用である。

副作用が出ると学園が加速する。加速は危険だが面白い。面白いは研究者の燃料である。

久世透が走ってきた。

「おい! 一年生に手を出すな!」

「恋愛ではなく依頼です」

「依頼の顔して恋愛の兵器使ってるだろ!」

「兵器ではありません。スキルです」

「言い方変えるな!」

次は対象3。敵対関係。

敵対とは、私の研究を止めたい者。つまり生徒会。

久世透は既に一度落ちている。落ちた者は対照になりにくいので、別の生徒会役員を狙うのが妥当だ。

私は生徒会室に向かった。

扉の前で深呼吸した。深呼吸は儀式ではない。上目遣い角度の安定のための準備だ。目の潤いは重要である。乾くと上目遣いが弱くなる。

私はノックした。

「失礼します」

中にいたのは会計担当の女子だった。

彼女は帳簿を見ている。目線が下。これは上目遣いに対して危険な配置だ。上目遣いは“上”から刺すので、目線が下の相手には角度差が生まれて効きやすい。

私は眼鏡を外さず、上目遣いだけにした。

眼鏡外しは強すぎる。強すぎると再現性が壊れる。成功率が高すぎると、逆に差分が取れない。研究は難しい。

「……お願い。今月の生徒会予算の内訳、見せてください」

会計担当の女子は、「それは本来、外部に——」と言いかけた。

言いかけは抵抗の兆候だ。抵抗が出たら、効いているかどうかが測れる。よい。

だが彼女は途中で言葉を止め、頬を赤らめた。

「……見せます」

成功。

私は記録した。対象:敵対(役員)/性別:女/結果:成功。

同時に、彼女は自発的に椅子を引き、座る場所まで用意した。

成功条件Bに近い。危険である。

その瞬間、久世透が生徒会室に飛び込んできた。

「やめろ!! そこは落とすな!!」

会計担当が困惑した。

「久世くん、何?」

久世は言葉に詰まった。

彼は事情を説明できない。説明すると“お願い”が伝播する恐れがある。

つまり久世は自分で自分を詰ませている。私は記録した。『規制側:説明不能』

私は淡々と付け加えた。

「私は落としていません。お願いしただけです」

「それが落とすって言ってんだよ!」

久世の声量は上がった。

声量が上がるほど、周囲が集まる。周囲が集まるほど、実験対象が増える。

つまり久世は私の実験に貢献している。

次は、最大の対照——教師である。

大人は合理的で、規則で動き、感情で動かないと言われる。つまりお願いが効きにくいはずだ。

効きにくいはずの対象に効いた時、スキルは“兵器”から“自然法則”に昇格する。

私は職員室へ向かった。

職員室は生徒にとって敵地であり、教師にとって安全地帯である。

安全地帯の相手に効いたら、スキルの汎用性が確定する。

霧島恒一郎(現代文教師)がいた。

彼は私を見ると、昨日の記憶が蘇った顔をした。教師にもトラウマはある。これは教育的にどうかと思うが、研究的にはよい。

「論崎」

霧島先生は低い声で言った。

「君は、昨日、何をした」

「上目遣いの検証です」

「やめなさい」

「検証をやめると再現性が取れません」

「再現性は取らなくていい!」

教師も久世と同じことを言う。

人間は自分に不利な再現性を嫌う。これは心理学的に自然だ。

私は記録した。『人類:不利な再現性を拒否』

私は段階を上げることにした。

ここで眼鏡解除を投入する。

職員室での成功は象徴になる。象徴は噂を加速させる。噂は母集団を増やす。母集団が増えれば統計が取れる。

統計が取れれば逆ハーレムが作れる。論理は完璧である。

私は眼鏡を外した。

霧島先生の喉が鳴った。

教師は喉が鳴る。落ちる前の吸気音と同じだ。再現性がある。

私は上目遣いを作り、声を落とし、言った。

「……お願い。職員会議で“上目遣い禁止”って議題にしないでください」

霧島先生が、手元のペンを落とした。

ペンが落ちるのは、精神の硬直が手に出た結果だ。硬直はデータである。

「……わかった」

成功。

即時。

さらに霧島先生は、小さく付け加えた。

「……君、ほどほどにしなさい」

これは成功条件Bに類する“心配”である。

心配は好意だ。好意は危険だ。教師の好意は校則をゆるめる。校則がゆるむと学園が崩壊する。

ただし崩壊は私の責任ではない。私は原因だ。結末は別変数だ。

職員室の隅で、教頭がこちらを見ていた。

教頭は目が鋭い。目が鋭い相手は、上目遣いが刺さりやすい。なぜなら目を合わせに来るからだ。

だが教頭を落とすと学園全体が一気に制度崩壊する可能性がある。

今はまだ早い。最終兵器は温存する。

私は職員室を出て廊下に戻った。

廊下には、既に人だかりができていた。

笹峰研志がスマホを振っている。

「取れました! 成功ログ、全部取れました! 今の先生の硬直、0.8秒!」

久世透が笹峰の襟を掴んだ。

「ログ取るな! 共有するな! 研究を加速させるな!」

笹峰は真顔で言った。

「でも先輩、科学は共有ですよ?」

久世が崩れ落ちた。

崩れ落ち方に再現性がある。0.9秒で膝が床につく。私は記録した。『久世:崩れ速度一定』

日向碧人がサングラスと帽子とタオルの完全装備で来て、叫んだ。

「聞いた! 先生まで落ちたって! やばい! お願い、やばい!」

私は淡々と答えた。

「やばいのは理解しています。なので運用ルールを作ります」

「運用ルールで済む問題じゃない!」

御堂綾音が笑って言った。

「論崎さん、すごいね。勝利の女神どころじゃない。世界の法則」

私は訂正した。

「法則かどうかは追試が必要です」

「追試するの!?」

久世透が叫んだ。

彼は叫ぶことで世界を守ろうとしている。尊い。だが叫びは拡散する。拡散は母集団を増やす。

つまり久世は私のスポンサーである。

私は教室に戻り、ノートの最後に結論を書いた。

『上目遣い+お願い:成功率100%(暫定)』

『対象:男○/女○/生徒会○/教師○』

『副作用:学園の軍事化(上を見ない訓練)』

『備考:教頭は未実施(危険度高)』

書き終えた瞬間、久世透が机の前に立った。

目が据わっている。これは規制が本気になる顔だ。

「論崎」

「はい」

「明日、生徒会で正式に決める」

「何をですか?」

「上目遣いの——」

久世は言葉を止めた。

言えないのだ。上目遣いの定義ができないからではない。

“上目遣い”という単語を口にするだけで、校内の注目が集まり、あなたの顔が連想され、お願いが発動する可能性があるからだ。

規制側は説明不能に陥る。これは非常に面白い構造である。

私は親切に提案した。

「代替案があります」

久世が嫌な予感の顔をした。

「言うな」

「『顔面兵器規制条例』にしましょう」

「もっとひどい!!」

結論から言うと、上目遣い+お願いは使える。

そして使えるものは、使われる。

私が使わなくても、世界が使う。

明日から帝央高校は、上を見ない学園として新たな歴史を刻むだろう。

私はそれを、淡々と記録する。

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