第3話 テンプレ:上目遣いが有効



国立帝央高校二年、論崎理央。

結論から言うと、生徒会は私の研究のスポンサーになりつつある。

スポンサーというのは、金銭を出す存在だけを指さない。規制を作ることで運用ルールを整備し、結果として研究の再現性を高める存在もスポンサーである。

久世透はこの定義に同意しないだろう。だが定義は、私が作る。

昨日の会議の終盤、生徒会室で久世のペンが折れた。

物理的な破損は心理的負荷の指標になる。私は記録した。

そして私は申請書に書き込んだ。「備考:久世透の寿命が縮む可能性」。これも記録である。

翌朝。

校内放送が鳴った。生徒会による緊急通達である。

『生徒の皆さんへ。現在、一部の生徒による“お願い”の濫用が確認されています。危険です。上を見ないでください。繰り返します。上を見ないでください』

最後の二文は、明らかに久世透の私怨が混ざっていた。

ただし効果はある。放送直後、廊下の生徒が一斉に床を見るようになった。

帝央高校は、戦場に適応するのが速い。

私は教室に入った。

全員が床を見ている。視線が合わない。安全なようで、逆に不自然だ。

視線が合わないと会話が成立しにくい。会話が成立しないとデータが取れない。

つまりこれは研究妨害である。

私は席に着き、ノートを開いた。

本日の研究テーマは「ハーレム系異世界小説に基づく逆ハーレム構築の初期条件」だ。

要するに、テンプレの提示と、母集団の確保である。

母集団の確保には、募集が必要だ。

しかし募集は自主性に依存する。自主性に依存すると、応募がゼロになる恐れがある。

応募ゼロは統計的に悲しい。

従って募集は、応募したくなる仕組みとセットで設計しなければならない。

そこで私は、笹峰研志に協力を要請した。

彼は昨日既に「ログ取ります!」と言っていたので、協力者として信頼できる。協力者は信頼できる。ただし協力者は暴走もする。暴走もデータだ。

「笹峰くん。募集要項の拡散状況を教えてください」

「はい!」

笹峰はスマホを掲げた。

画面には、昨夜作られたらしいグループチャットが映っていた。

『【速報】論崎逆ハーレム研究、被験者募集開始』

『【注意】お願い食らうと落ちる』

『【対策】床を見る』

『【対策】目隠し』

『【対策】呼吸を止める(?)』

対策案が混沌としている。これはよい。混沌は統一規格がない証拠であり、研究者としては介入余地が大きい。

「拡散率は?」

「えっと……全学年に回ってます!」

早い。

情報伝達速度が光速であることを再確認した。帝央高校のSNSは時空を歪める。

「募集の応募数は?」

笹峰が少し口ごもった。

「……ゼロです!」

予測通りである。

男子は学習している。「応募=死」。この認識が定着している。

だが私は死なせない。疲れさせるだけだ。疲れは回復する。回復は副産物だ。

「では、応募を増やす必要があります」

「ですよね!」

笹峰は嬉しそうに頷いた。

彼は「応募を増やす」ことを戦略ゲームだと思っている節がある。戦略ゲームは危険だ。勝ちに行くと倫理が置き去りになる。私は既に置き去りにしているが。

久世透が教室のドアを開けて入ってきた。

生徒会副会長の顔である。つまり監査だ。

「論崎。今日は何をする気だ」

「結論から言うと、募集の改善です」

「やめろ」

「まだ内容を言っていません」

「内容を言う前にやめろ」

久世の直感は正しい。

私は笑顔で言った。

「安心してください。申請します」

「申請すんな!」

「申請しないと怒るので、申請します」

「その理屈は……っ」

久世は言葉を失った。

言葉を失うのは、彼の中で論理が破綻したサインである。私は記録した。硬直0.6秒。昨日より短い。耐性がついている可能性がある。よい。追試対象として価値が上がった。

私は黒板の前に立った。

授業前のホームルーム。発表には最適な時間だ。教室は閉じた空間で、逃走経路が少ない。データが取れる。

私はチョークを持ち、黒板に大きく書いた。

『逆ハーレム論における成功確率:初期条件』

教室がざわついた。

ざわつきは期待と恐怖の混合。恐怖が多め。

私は続けて箇条書きをした。

母集団の確保


テンプレの抽出と実装


嫉妬の制御(未着手)


“お願い”スキルの運用(成功率100%)


最後の行を書いた瞬間、教室の空気が死んだ。

誰も息をしていないように見えた。呼吸を止める対策が実践されているのかもしれない。危険だ。酸素は必要である。

私は補足した。

「『お願い』は、異世界ハーレム系において高頻度のスキルです。私は昨夜までに五十冊を読み、お願い成功描写の共通項を抽出しました」

久世透が小声で言った。

「五十冊って言うな……」

「上目遣いが有効です」

教室が凍った。

凍るのは温度低下ではなく、心理的硬直だ。私は記録した。硬直はデータである。

私は淡々と続けた。

「眼鏡解除による目の情報量増加が補助因子である可能性があります」

日向碧人が机の下から手を挙げた。

彼は床を見るどころか、床に潜っていた。防御が進化している。素晴らしい。悲しい。

「ろんざきさん……それ、ほんとにやるの……?」

「はい」

「やめよ……?」

「いいえ」

「なんで……?」

「研究だからです」

「最悪の理由!」

私は質問票を取り出した。

A4、二枚。今日は短い。今日は募集改善のためのアンケートである。質問票は三十ページが基本だが、目的が違えばページ数は調整可能。私は柔軟である。

「まず、被験者応募がゼロである原因を特定します。アンケートです。笑顔でお願いします」

教室の全員が一斉にペンを持った。

書かざるを得ない空気が形成された。私は笑顔だった。笑顔は逃げ道を塞ぐ。

久世透が叫んだ。

「おい! これ、もう実験始まってるだろ!」

「はい。予備調査です」

「予備調査って言えば何でも許されると思うな!」

「許されると思っていません。許可を取ります」

「取るな!」

アンケートの設問はシンプルだ。

Q1:論崎理央の研究に応募したくない理由を選べ(複数選択可)

A:疲れる

B:死ぬ

C:お願いが怖い

D:質問票が長い

E:対照群として友人が巻き込まれるのが嫌

F:そもそも逆ハーレムの意味がわからない

G:その他(自由記述・任意)

任意は任意ではない。だが今日は「任意」を強調した。募集改善には、自由記述が必要である。

回収すると、予測通りの結果だった。

「死ぬ」が異常に多い。死なないのに。

「お願いが怖い」も多い。怖がられるのは研究者として誇るべきか悩むが、今はデータとして扱う。

そして最大の問題は「対照群」である。

彼らは友人を巻き込みたくない。これは倫理の問題ではなく、友情の問題だ。友情は面倒だ。面倒だがデータだ。

私は結論を出した。

「対照群推奨を撤回します」

久世透が息を吐いた。

「……おお。珍しく学んだ」

「ただし」

久世の顔が戻った。「ただし」は危険だ。

「対照群の代わりに、個人内比較を行います」

「なにそれ」

「同一人物を複数条件で測定します」

「お前、それ……被害が集中するやつだろ!」

「効率的です」

「効率的に壊すな!」

私は募集要項を改訂した。

笹峰がすぐにQRコード付きの新ポスターを作った。彼の速度は機械に近い。機械は疲れない。羨ましい。

新ポスターにはこう書いた。

『被験者募集(改訂版)』

『友人同伴不要』

『所要時間:最短3分(条件による)』

『謝礼:購買パン優先権(確定)』

『備考:お願い使用は原則禁止(予定)』

最後の行は嘘である。

嘘ではなく予定だ。予定は未来変数である。未来変数は現時点で確定していない。従って嘘ではない。

私は自分の論理に納得した。納得すると安心する。安心すると研究が捗る。

改訂ポスターを貼った翌昼休み。

応募は増えた。増えるはずだった。増えると推測した。

しかし現実は予測と異なった。

応募は増えたが、応募者が人間ではなかった。

購買のおばちゃんが応募してきたのである。

「論崎ちゃん、ポスター見たわ! パン優先権って、どういうこと?」

私は困惑した。

購買のおばちゃんは本校生徒ではない。対象外だ。

しかし購買のおばちゃんの協力は、パン供給の安定性に直結する。研究に有利である。

対象外だが協力者としては最適。

私は一瞬だけ迷い、結論を出した。

「協力者として登録します」

久世透が背後で絶叫した。

「お前は何でも登録するな!」

次に来たのは、現代文教師の霧島恒一郎だった。

彼は職員室から出てきたところで、私と目が合った瞬間に固まった。

目が合った。つまり逃走経路が断たれた。

「論崎……何だそのポスターは」

「研究です」

「研究は教室で——」

私は眼鏡を外さない。今日は原則禁止の予定だ。

だが、ここで教師を逃がすと、校内の大人の対策が強化される可能性がある。強化されると研究がやりにくくなる。

研究の継続性のためには、今この場で教師を抑えておく方が合理的だ。

私は小声で言った。

「先生。お願いがあります」

霧島先生が一歩引いた。

引くのは防御反応だ。防御反応が出るほど、スキルの認知が広がっている。

私は上目遣いを使うか迷った。迷いは珍しい。だが迷いはデータではない。迷いは時間を食う。私は結論を出した。

上目遣いを使う。

ただし、眼鏡は外さない。

生徒会の規制がある。規制はスポンサーだ。スポンサーは大事にする。

私は顎を引き、目線を上げた。

声量を落とす。

そして言った。

「……お願い。職員会議で“上目遣い禁止”って言わないでください」

霧島先生は静かに息を吸った。

人は落ちる前に息を吸う。昨日の購買と同じである。再現性が取れた。

「……わ、わかった。言わない」

「ありがとうございます」

成功。

上目遣い単体でも効果がある。眼鏡解除は補助であり、必須ではない。

私はメモした。

『上目遣い:必須。眼鏡解除:オプション。小声:補助。教師にも有効。』

背後で久世透が崩れ落ちた音がした。

振り返ると、久世が膝から落ちていた。

「……おい……眼鏡外してないのに……」

「はい。規制遵守です」

「遵守して壊すな……」

私は淡々と言った。

「結論から言うと、規制は研究を止められません。運用で最適化されます」

久世が呻いた。

「最適化すんな!」

その瞬間、日向碧人が走ってきた。

彼はサングラスをかけ、帽子を深く被り、首にタオルを巻いていた。完全防備である。

だが彼は走りながら叫んだ。

「論崎! 応募が増えたって聞いて来た! ……って、先生落ちてる!? 先生落ちた!? やばい!」

霧島先生が遠い目をして言った。

「日向くん。上を見ないでくれ」

「先生まで言う!?」

笹峰研志がスマホを振りながら叫んだ。

「データ取れました! 先生の硬直は0.9秒! 昨日の透先輩より短い! 教師は耐性が高い!」

久世透が起き上がり、叫んだ。

「おい笹峰! ログ取るな! 共有するな! 増やすな!」

笹峰はにっこりした。

「共有は科学の基本です!」

私は頷いた。

その通りだ。共有は基本である。帝央高校全体を実験場にするには、共有が必要だ。

私は黒板に追加で書くべきだと判断した。

放課後、私は再び黒板の前に立った。

『テンプレ抽出:上目遣い(S級)』

『副作用:学園崩壊(高確率)』

久世透が入ってきた。

彼は黒板を見るなり、静かに言った。

「論崎」

声が静かな久世は危険である。

静かな声は、叫びの前兆だ。

「明日、生徒会で正式に規制を通す。眼鏡外しは申請制、上目遣いは——」

「定義が困難です」

「分かってる! 分かってるけど、何かしないと学園が終わる!」

私は考えた。

学園が終わる。終わると研究が続けられない。研究が続けられないのは困る。

従って、学園を終わらせない工夫が必要だ。

結論から言うと、私は協力する必要がある。

私は久世を見た。

上目遣いは使わない。スポンサーを壊すのは長期的に損だ。

代わりに私は、最も安全な形でお願いをした。

眼鏡を外さず、上を見ず、普通の目線で。

「久世くん。お願いがあります。規制案の文面、私にも確認させてください」

久世が固まった。

硬直は0.4秒。短い。耐性が上がっている。よい。

ただし彼は言った。

「……お前、普通にお願いしても効くのかよ」

私は首を傾げた。

「お願いは依頼です。依頼は人間関係に基づきます。従って効きます」

「理屈で落とすな!」

私はメモした。

『お願い:上目遣いがなくても効く場合あり(関係性依存)』

『久世透:スポンサー兼被験者(耐性上昇中)』

逆ハーレム研究は、今日も前進した。

ただし進めば進むほど、学園が軍事訓練のようになっていく。

明日、生徒会は新たな規制を敷くだろう。

そして私は、その規制の穴を探す。

結論から言うと——私は悪ではない。

私は研究者である。

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