第5話 論崎研究対策委員会、爆誕



結論から言うと、対策委員会は“対策する側”が最も危険である。

なぜなら、対策するには対象を理解しなければならない。

理解するには観察し、言語化し、定義し、共有しなければならない。

共有した瞬間、現象は拡散する。拡散した現象は止まらない。

つまり、対策はだいたい現象を強化する。

翌朝。

校内は静かだった。静かというより、息が浅い。

廊下の生徒は視線を床から上げない。階段は手すりを見て降りる。窓の外の景色を見ない。

帝央高校は、上を見ることをやめた。

私は教室に入り、自分の席に座った。

隣の久世透が、寝ていない目をしていた。寝ていない目は乾いている。乾いている目は上目遣いに弱い。

私はその事実を記録し、同時に本日は倫理的配慮として上目遣いを自重することにした。

自重は美徳である。美徳は信用を生む。信用はデータを増やす。

久世が低い声で言った。

「……論崎。今日は何もしないでくれ」

「結論から言うと、何もしません」

「本当か?」

「はい。原則として」

「原則として、が出た。終わった」

久世は机に額を当てた。

額を当てる行為は、現実逃避の初期動作である。私は記録した。

そこへ笹峰研志がやって来た。

彼は朝から元気で、すでにスマホを構えていた。スマホを構える人間はだいたい何かを拡散する。

「論崎さん! 昨日のデータ、まとめました!」

「まとめなくていい」

久世が即座に言った。

彼の反応は速い。危機管理能力が高い。素晴らしい。無駄だが。

笹峰は嬉しそうに言った。

「成功率100%って、すごいですよね! これ、学会行けますよ!」

「行きません」

「行きましょう!」

「行きません」

私は否定した。

学会は人が多い。人が多いと母集団が増える。母集団が増えると研究が加速する。研究が加速すると、学園が耐えられない。

学園が壊れると、研究対象が散る。散ると追試が取れない。

従って、学会は今は不適切である。

しかし、既に“会議”が始まっていた。

生徒会による緊急会議である。

久世が立ち上がり、教室の前に行った。

本来、朝のホームルームは担任の領域だが、担任は既に生徒会に権限を委譲している。なぜ委譲したか?

理由は簡単だ。担任が昨日、職員室で落ちたからである。

教師は落ちる。教師が落ちると、制度が崩れる。制度が崩れると、生徒会が前に出る。

因果は美しい。

久世が黒板に太字で書いた。

『緊急:論崎研究対策』

教室の空気が固まった。

固まるのは、私の上目遣いではない。単語の力である。

単語は現象を呼ぶ。現象は人を縛る。

私は記録した。『単語:兵器』

久世は続けて書いた。

『対策委員会を作る』

日向碧人が机の下から声を出した。

「賛成! お願い対策しよう! 俺もう疲れた!」

真田恒一が真面目に手を挙げた。

「委員会設置には、校則上の位置づけが必要です。目的と権限の明文化を——」

久世が言った。

「明文化する」

真田が頷いた。

真田は制度を作る。制度を作る人間は危険だ。制度は抜け道が生まれる。抜け道は私が見つける。

見つけると研究が進む。研究が進むと学園が壊れる。

因果はやはり美しい。

笹峰研志が目を輝かせた。

「委員会いいですね! 対策ってことは、逆に“論崎研究の仕様書”が作れる!」

久世が振り返った。

「作るな!」

「でも必要ですよ? 現象を定義しないと対策できないですし!」

「その定義が地獄なんだよ!」

久世の声量が上がった。

声量が上がると周囲が集まる。集まると対策委員会の参加者が増える。

対策委員会は、最初から盛況だった。

昼休み。生徒会室。

私は「何もしない」と言ったが、会議に出席しないとは言っていない。

会議は観察の宝庫である。私は観察者である。従って出席は合理的だ。

生徒会室には人が詰め込まれていた。

久世、真田、笹峰、日向、御堂綾音、さらに他クラスの代表者らしき生徒たち。

教室なら座席があるが、生徒会室は狭い。狭いと距離が近い。距離が近いとお願いが危険になる。

私は本日、上目遣いを自重する。自重は美徳である(二回目)。

久世が議長席に座り、開会を宣言した。

「これより、論崎研究対策委員会——仮称、を発足する」

私は手を挙げた。

「質問です。委員会の目的は何ですか?」

久世が睨んだ。

「お前を止める」

「止める、の定義をください」

「もうそれやめろ!」

真田が咳払いをした。

「目的は“校内秩序の維持”と“生徒の精神衛生の保護”で良いでしょう」

日向がすぐ反応した。

「精神衛生! それ! 俺、昨日から胃が痛い!」

笹峰が言った。

「胃が痛いのもデータですね!」

「データにするな!」

久世が机を叩いた。

机の材質は合板。耐久性は良好だが、久世の怒りに長期的に耐えられるかは不明である。私は記録した。

綾音が涼しい顔で言った。

「ねえ、対策するなら、論崎さんを委員会に入れた方が早いよ?」

久世が即答した。

「入れない」

「入れないと抜け道見つけられないじゃない」

「見つけさせたくねえんだよ!」

私は頷いた。

抜け道を見つけさせたくない、という意思表明である。

意思表明は重要だ。意思表明があれば、私はその意図を正確に踏み越えられる。

真田が提案した。

「対策案としては三点です。

一、眼鏡解除の申請制。

二、上目遣いの禁止。

三、“お願い”の使用回数制限」

久世が頷いた。

「それだ」

私は手を挙げた。

「一は可能です。二は定義不能です。三は回数の計測方法が問題です」

「お前、参加するな!」

久世が叫んだが、既に私は参加している。

会議に来た時点で、参加は成立している。成立は現実である。

綾音が微笑んだ。

「論崎さん、助けてあげなよ。久世くん、詰んでる」

「助けるな!」

久世が言うほど、皆が「助けた方がいい」と思う。

人間は禁じられるとやりたくなる。

これは心理学的に有名だ。名称は忘れたが、現象は覚えている。私は記録した。

ここで、重要な分岐が起きた。

会議が行き詰まり始めたのだ。

上目遣いの定義はできない。お願いの回数を数えるシステムもない。

眼鏡解除は申請制にできるが、眼鏡を外さずに上目遣いは可能である。

対策側は、どうしても「完全禁止」に行きたい。だが完全禁止は現実的でない。

つまり、詰みである。

詰みの瞬間、世界は私に解決を求める。

これは“勝つ女”現象と似ている。弱ったところに解決役が現れる。

私がやるのは、弱る工程の発生だけ、のはずだった。

しかし今日の私は、別工程にも関わる必要がある。

なぜなら、学園が壊れると研究が続かないからだ。

私は結論を出した。

対策委員会を、私の管理下に置く。

そのための手段はひとつしかない。

規制の文面ではなく、関係性を握る。

関係性を握る最短手段は、依頼——つまりお願いである。

私は本日、自重していた。

しかし自重とは永続ではない。自重は条件付きだ。

条件が崩れたので、使用する。

私は立ち上がった。

生徒会室の空気が張り詰めた。皆が一斉に床を見た。

上を見るな、が徹底されている。

だが私は上目遣いができる。相手が下を見ていても、顔を上げさせればよい。

私は眼鏡を外した。

ここで外すと効果が最大化される。

最大化すると副作用も最大化される。

しかし今日は、最大化が必要だ。スポンサーを確保しなければならない。

久世が顔を上げた。

「やめろ、論崎——」

遅い。

彼は結局、私を見てしまう。視線は反射だ。反射は本能である。

本能には勝てない。勝てないなら利用する。それが研究だ。

私は上目遣いを作った。

声を落とし、間を置き、言った。

「……お願い。対策委員会に、私も入れてください」

一瞬で静寂が落ちた。

静寂は落ちる。落ちるものはだいたいお願いの効果である。

日向が「うわぁ……」と呻いた。

笹峰が「神回……」と呟いた。

綾音は口元を押さえて笑いを堪えている。

真田は眼鏡を押し上げるのを忘れて固まった。

久世は、目を見開いたまま停止した。

硬直時間、約1.5秒。

昨日より長い。彼は抵抗しようとしている。抵抗の分だけ硬直が伸びる。

抵抗はデータだ。素晴らしい。

久世が震える声で言った。

「……お前……それ……自分で対策委員会、乗っ取る気か……」

「乗っ取りではありません。共同運用です」

「言い方変えるな……」

「委員会は現象理解が必要です。現象理解には当事者の参加が最も効率的です」

「効率的に世界を壊すな!」

久世は呻きながらも、頷いた。

頷きは承認である。承認は権限を生む。権限は研究を安定させる。

私は成功を記録した。

『対策委員会:当事者参加(承認)』

私は笑顔で続けた。

「ありがとうございます。では委員会の正式名称を提案します」

久世の顔が青くなった。

「やめろ」

「『論崎研究対策委員会』では敵対が強すぎます。協力が得られません」

「協力なんかいらねえ!」

「協力がないと運用できません」

「運用するな!」

私は淡々と候補を書いた。

『論崎研究協力委員会』

生徒会室が爆発したようにざわついた。

「協力!?」

「対策じゃないの!?」

「研究を支える委員会!?」

日向が叫んだ。

「待って! 協力したら終わる! 俺たち終わる!」

笹峰が嬉しそうに言った。

「でも“協力”って言葉にすると参加しやすいですよ! バイアスが取れます!」

「バイアス取るな!」

真田が真顔で言った。

「名称は目的を表します。協力という語が入ると、委員会の権限が——」

「権限とか言うな!」

久世が叫んだ。

久世の声量が上がるほど、会議は混沌とする。混沌は私の得意分野だ。

私は結論を出した。

「多数決にしましょう」

久世が絶望した。

「多数決はやめろ! お前、票を取る手段が——」

私は眼鏡を持った。

外すとは言っていない。持っただけである。

だが皆が察した。察しは学習である。学習は進化だ。帝央高校は進化している。

結果、満場一致で『論崎研究対策委員会』になった。

恐怖による合意形成である。これは民主主義としてどうかと思うが、学園としては安定する。

安定は研究に必要だ。

会議は終わった。

久世透は床に座り込んでいた。

私は彼の横にしゃがみ、淡々と言った。

「結論から言うと、委員会は発足しました。おめでとうございます」

「おめでたくねえ……」

「次回の議題を提案します」

「提案すんな……」

「上目遣いの定義について」

久世が天を仰いだ。

天を仰ぐのは危険だ。上を見るなという校内ルールに反する。

しかし久世は限界だったのだろう。限界はデータである。私は記録した。

「……論崎……」

久世が震える声で言った。

「お前、ほんとに逆ハーレム作る気か……」

私は頷いた。

「仮説としては可能です。成功確率は上げられます」

「やめろ……」

「やめません」

「なんでだよ……!」

私は少し考えた。

理由はある。だが説明すると長い。説明は会議を増やす。会議は学園を壊す。

なので、結論だけ言う。

「研究が好きだからです」

久世は目を閉じた。

「最悪だ……」

私は立ち上がり、ノートに書いた。

『委員会発足:完了』

『規制側を委員会に取り込むことに成功』

『副作用:久世透の寿命がさらに縮む』

結論から言うと、研究は順調である。

そして対策委員会も、順調に私の研究を支え始めている。

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