第1話 勝利の女神の前提条件
国立帝央高校二年、論崎理央。
結論から言うと、私は完璧である。
偏差値80。日本一の進学校。入学時のIQは240。容姿は校内平均より上で、コミュニケーションは円滑、人柄は「良い」と評されることが多い。ここまで揃っていれば、一般に「欠点がない」と言われる。
しかし私には欠点がひとつある。
興味を持った対象を、調べ尽くさないと気が済まない。
変態である。
性的という意味ではなく、研究者としての意味で。
観察、記録、検証、追試。質問票は三十ページ。しかも私は笑顔で実施する。笑顔は逃げ道を塞ぐのに有効である。
結果としてどうなるか。
私に興味を持たれた男子は、だいたい疲れる。
メンタルが折れる、と表現する人もいる。だが折れたというより、情報が多すぎて動けなくなる。自分のことが急に“見えすぎる”状態である。本人は泣きたいわけではない。ただ、目の前に「自分の仕様書」が完成してしまい、眩暈を起こすのだ。
本日昼休み、対象は日向碧人(サッカー部・陽キャ・逃走癖あり)であった。
私は彼の「みんなに優しい」が、本人の意図と一致しているか確認したかった。なぜなら、日向は誰にでも優しいが、誰にでも同じ優しさではない。そこに差分がある。差分はデータである。
「日向くん。お時間いいですか?」
私は廊下で声をかけた。日向は笑った。笑いながら半歩下がった。逃走の前兆である。
「ろんざき! もちろん! ……で、なに?」
「質問票にご協力ください。三十ページあります」
日向の目が一瞬だけ泳いだ。私の眼鏡のレンズに、彼の動揺が反射する。
「いや、三十って……ほら、俺、部活あるし……」
そこへ久世透が現れた。生徒会副会長。声が大きい。目が良い。つまり状況把握が速い。
「論崎、やめろ。お前それ、研究の顔してる」
私は笑顔で返した。
「はい。研究です」
「はい、じゃねえ!」
久世は日向の肩を掴んで距離を取ろうとしたが、遅い。私は既に質問票を取り出していた。A4で三十枚。ステープラーで留めると凶器に見えるが、実際凶器である。
「大丈夫です。選択式もあります」
「大丈夫じゃねえんだよ!!」
日向は「いやほんとごめん!」と言いながら走った。速い。運動部は優秀だ。逃げ足が良いと追跡データが取れる。
私は追わない。追う必要がない。逃走経路は予測可能である。帝央高校の廊下は直線的で、曲がり角の先に購買がある。逃げる生徒は購買に吸い込まれる。パンは人類の避難所だ。
私は曲がり角の先で待った。
日向が角を曲がった瞬間、彼は自分の未来を見た顔になった。
「うわっ!」
「こんにちは。では質問一です。『あなたは自分の優しさを、意識して配分していますか』」
「待って待って待って!」
「待つのは可能です。ですが記録の連続性が損なわれます」
「なにその理由!」
久世透が額に手を当てた。
「お前、倫理どこ置いてきた……」
倫理は大事である。
ただし倫理とは、研究の後に提出する書類である。実験中に考えると、データの質が落ちる。
日向は質問十五あたりで膝をついた。膝をつくのが早い。基礎体力はあるが、情報耐性が低いタイプだと推測できる。
彼は「俺ってさ……けっこう、気遣ってるだけなのかも……」と呟いた。
私は頷いた。言語化の進捗が確認できた。
その直後、日向は購買へ這うように移動した。
そして現象が発生した。
女子が寄っていったのである。
慰める者、栄養ドリンクを渡す者、笑って肩を叩く者。
日向は回復し、女子は勝つ。
これが、帝央高校における定番の勝利パターンである。
私が発生させるのは、あくまで「弱る工程」だけ。結ばせるのは別の誰かであり、回復はその副産物だ。
にもかかわらず女子たちは言う。
「論崎に興味持たれた男は、必ず落ちる。勝利の女神だ」
私は自覚している。
私は原因だ。結末は別変数である。
……さて。問題はここからだ。
私は最近、異世界ハーレム系小説を読んでいる。
一日五十冊ペースで読んだ。人は「それは異常」と言うが、異常かどうかは比較対象の問題である。私は平均ではない。平均に合わせる必要もない。
読書の目的は、構造の抽出だ。ハーレムが成立する条件を統計的に整理し、現実に適用する。
なぜそんなことをするのか。
理由はシンプルである。
男性がハーレムを作るのが夢と定義されるなら、女性が逆ハーレムを作るのも夢として成立するはずだ。
私は夢を、叶えたいことと定義する。ではなぜ叶えたいのか。——解らない。だから研究する。
なぜ研究するのか。——物事をはっきりさせたい。
なぜはっきりさせたいのか。——納得したい。
なぜ納得したいのか。——納得すると安心する。
なぜ安心すると心が安定するのか。——好きだから。
好きなこと=研究=夢=逆ハーレム=好き。
以上。
なお、久世透によれば「その説明は説明になってない」。だが私は納得している。納得は個人内で完結する。
私は放課後、教室の黒板にこう書いた。
『逆ハーレム論における成功確率』
久世が即座に消しに来た。
「やめろ! 校内で書くな!」
「統計は共有されるべきです」
「共有すんな!!」
私が小説から抽出したテンプレは多数ある。
餌付けイベント。偶然の救出。過剰な褒め言葉。距離が近い。曇り顔。手当。
そして、最も頻度が高い要素があった。
上目遣い。
作中で「上目遣いでお願いしたら男が落ちる」描写は非常に多い。
これはスキルとして汎用性が高いと推測できる。
現実世界でも有効か?——検証する必要がある。
私は鏡の前に立った。
眼鏡を外す。視界が少しぼやける。しかし重要なのは私の視界ではない。相手の視界に映る私である。
上目遣いの角度を調整する。顎を少し引き、目線を上げ、眉の筋肉を緩める。
笑顔は維持する。ただし満面ではなく、控えめ。過剰な笑顔は作為に見える。作為はバレると効きが落ちる。
私の美意識について補足しておく。
美意識は時代によって変わる。現在の私がモテているのは、たまたま流行と私の造形が一致しているだけだ。普遍的魅力ではなく、流行適合型魅力である。従って、このスキルは使用期限がある可能性が高い。
ならば、今のうちに検証すべきである。研究は鮮度が命だ。
翌日、昼休み。購買。
パンの在庫は終盤に枯渇する。枯渇すると「餌付けイベント」の再現性が下がる。私は補充を依頼する必要があった。
購買のおばちゃんは、私を見ると既に笑顔だった。
これは私の普段の礼儀と会話が良好な関係を築いているからだ。だが、今回は検証である。普段の関係性によるバイアスを考慮しなければならない。
対照群が必要だが、購買のおばちゃんの対照群をどこで用意するかは難しい。近隣の別校の購買……。いや、現実的ではない。今回は予備試験とする。
私は眼鏡を外した。
視界がぼやけた分、相手の輪郭が柔らかくなる。これは偶然だが、演出としては有効かもしれない。
私は上目遣いの角度を決める。0.8秒、沈黙。相手の注意を引くための間である。
「……お願い。カレーパン、追加で焼いてください」
購買のおばちゃんが、静かに息を吸った。
「もちろんよ!!!!!!」
声量が規格外だった。
背後で「うわあああ」という悲鳴がした。
振り返ると、日向碧人が膝から落ちていた。昨日の疲労が残っているのか、落ちるのが早い。データとして優秀である。
「だ、だめだって……それ、反則……」
次に久世透が現れた。
彼は私の顔を見て、顔面から絶望した。
「お前……今の、やったな……?」
私は頷いた。
頷きは肯定である。肯定は誠実さの証明である。誠実さは更なる協力を得る。つまり合理的だ。
「成功しました」
「成功じゃねえ! 学園が終わる!」
「学園が終わるかどうかは、今後の追試で検証可能です」
「検証すんな!!」
日向が呻いた。
「お願い、禁止……お願いは兵器……!」
私はメモを取った。
上目遣い+お願い。成功。
成功率は現時点で100%。母数は少ないが、結果は明確だ。
これは使える。
私は淡々と次の仮説を立てた。
「眼鏡解除は成功率を上げる補助要因である可能性が高い」
「上目遣い単体でも効果があるが、組み合わせで最大化する」
「対象の性別・年齢・立場に依存しない汎用スキルである」
久世透が私のノートを奪おうとした。
しかし彼は私より身長が高いだけで、手の速度は平均である。私は避けた。
「待て! 生徒会で会議だ! 今すぐ規制する!」
「規制は興味深いです。規制が生まれる条件もデータになります」
「お前は何でもデータにするな!」
「はい」
「はいじゃない!」
その日の放課後、生徒会室で緊急会議が開かれた。
議題は「論崎理央による眼鏡解除および上目遣いの危険性について」。
私は当事者として出席した。出席は協力である。協力は好意を生む。好意は成功確率を上げる。よって合理的だ。
久世がホワイトボードに太字で書いた。
『眼鏡外し:申請制』
『上目遣い:禁止』
『お願い:使用回数制限』
私は手を挙げた。
「質問です。上目遣いの定義を明文化できますか?」
久世が固まった。真田恒一が小声で言った。
「……表情の規制は法的に……」
日向が机に突っ伏して呻いた。
「終わった……」
私は結論を述べた。
「規制は困難です。なので、再現性のある運用ルールを私が作成します」
「作成するな!」
久世の叫びは、校舎の三階まで響いた。
私は記録した。音量、推定90デシベル。生徒会室の窓ガラスが震えた。
良いデータである。
私は眼鏡をかけ直し、次のページを開いた。
『逆ハーレム論における成功確率:上目遣いスキル実装に伴う校内制度崩壊の可能性』
結論から言うと——研究は、順調である。
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