届かなかった手紙

みやびの映画日記

第1話

♪竹内まりや「人生の扉」

http://www.youtube.com/watch?v=xED7a0pfjkY


「再生ボタンを押してから、物語の世界へお入りください」


1995年1月17日、阪神大震災が起こりました。1階で父と母に挟まれて私は寝てました。激しい縦揺れで1階の柱が折れ、数秒で2階がそのまま地面まで落ちてきました。父は私に覆いかぶさりました。そして、父は私に力強い声で「生きてくれ!」と言いました。左を目にやると、母は押しつぶされていました。瓦礫の外で声がしましたが、助けてと叫んでも、声が吸い込まれていく感覚でした。そして、私の意識がなくなっていきました。


私が運び込まれた病院の病室はすぐに満床になり、負傷者は廊下やロビーに敷かれた毛布、あるいは担架代わりの「畳」や「ドア」の上に横たわっていました。私は絶望の淵に立ってました。


「隣で寝ていた家族は亡くなったのに、なぜ自分だけが生き残ったのか。」


私は、12歳でした。周囲の大人から「あなたはお父さんやお母さんのために頑張らなきゃ」と言われ、泣くことを我慢して「聞き分けの良い子」を演じていました。私は病院の屋上によく行きました。父と母の傍に行きたいといつも思っていました。そのとき、いつも私の隣に看護師が寄り添ってくれました。


「あなたは生きてる。生きてるから、大丈夫なのよ。」


彼女は、私を絶望の淵から救い出してくれました。私が退院する日、彼女にお礼の手紙を書きました。渡しにいくと、彼女はいませんでした。「彼女は病院を辞めて、被災した人たちの家を回り始めたの。『病院に運ばれてこなかった人たちを助けたい』って」と他の看護師が教えてくれました。


私は彼女の背中を追い、看護師になりました。2021年の夏、私はコロナ禍の渦中にいました。病床は埋まり、酸素吸入を求める患者さんからの電話に「今は受け入れられません」と断り続けなければなりませんでした。そして震災の時と同じように、限られた人工呼吸器を誰に使うか、年齢や持病で命に優先順位をつける「選別(トリアージ)」が現場で行われていました。


物理的に、患者さんの尊厳を守るケアは不可能に思えました。何重もの手袋が指先から脈拍の感触を奪い、防護服は私たちの顔を隠し、声を遮りました。人間同士の繋がりを感じられないまま、ただ繰り返される作業をこなしているような感覚。彼女が私にしてくれたように、直接手を握り、励ますこともできません。二転三転するマニュアル、足りない物資、現場を知らない上層部からの増床指示。自分がただの「駒」であるかのような無力感に打ちひしがれました。 「何のために看護師になったのか」 自問自答するたびに、私は制服のポケットに忍ばせた「手紙」を握りしめ、心を奮い立たせました。


意識が朦朧とした高齢の女性患者さんがいました。家族に会えない孤独を想い、私は毎日、彼女の髪を少しずつ丁寧に編み込みました。全身全霊で尽くした彼女が意識を取り戻したとき、こう言ってくれました。 「マスクで顔は見えないけれど、あなたの手の温かさで、どれだけ一生懸命やってくれているか伝わっているよ。魔法の手だね」 不自由な装備の中でまともな看護ができないと自分を責めていた私を、彼女の言葉が救ってくれました。「今のままでいいんだ」と思えたのです。


「もう一度、外で会いましょう」


退院間際の高齢の男性患者さんに『いつかマスクを外して、普通の服を着て、笑って再会したいね。それが僕の新しい目標だよ』と言われました。ただ治療する側ではなく、患者さんの『生きたい理由』の一部になれたのだと感じ、この仕事を続けていく勇気をもらいました。


彼女に渡せなかった手紙には、こう書いてあります。「あなたのような看護師になります。生きる希望をありがとうございました」 私は、彼女のような看護師になれたのでしょうか。病院の屋上に立ち、あの手紙を読み返すとき、いつも彼女の声が聞こえてきます。


「あなたは生きてる。生きてるから、大丈夫なのよ。」


END

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