第2話 三巻原稿
東京、某所。
家から電車で三十分にある立派で綺麗な建物。入口には警備員さんがいるような立派さ。
そこを抜けて、エレベーターで上がり、ブースのような場所へ通される。
先に提出していた原稿データをわざわざ紙に印刷して、このブースへやってきた編集さん。
肩あたりまで伸ばしている金色の髪の毛はまるで地毛のように見える。それほどしっかりと手入れされている。
白い肌に、エメラルドグリーンの瞳、長いまつ毛に高い身長、主張が控えめな胸、見惚れるほどに美しい。編集さんなんてしていないで、モデルでもやったらいいと思う。
「雲凪先生、わざわざ来てくれてありがとう。呼び出してごめんね」
私のペンネームをさらっと口に出す西ヶ崎さん。
「あ、いえ」
「とりあえず座ってどうぞ」
椅子を引いてくれた。私はこくりと会釈をしてから、座る。
机の上に置かれる原稿。
呼び出されたことに加えて、原稿データがわざわざ紙ベースで印刷されている。
一昔前ならいざ知らず、現代においてはあまり良くない傾向だった。
大抵はネット上でやり取りが終わる。のに、わざわざ呼び出しているのだ。そりゃなにか大事な話があるのだろうと察するのは用意だ。それこそ一昔前の鈍感ラブコメ主人公じゃあるまいし。
「西ヶ崎さん、とっても可愛いですね、今日も」
「ふふ、ありがとう。久しぶりに先生に会えるから気合い入れてオシャレしてみたんだよ?」
にししと白い歯を見せて笑う。そして長めな人差し指と中指を立ててブイサイン。ピース。
煽ててその良くない話が無くなるわけじゃないとはわかっているものの、抗ってしまう。
もしかしたら打ち切りかな……とか。刊行数的には打ち切られるようなレベルじゃないが、近年のエンタメ業界は流行りの移り変わりが激しい。もうダメだ、と判断されれば早々に切られてしまう、ということもないとは言いきれない。
「っと」
西ヶ崎さんも座った。
「先生さ」
「…………」
真剣な眼差しを向けられた。早速本題に入るようだ。その圧のような眼差しに口を開くことすらできない。ごくりと唾を飲み、西ヶ崎さんの次の言葉をただただジッと待つ。
「なんかいいことでもあった?」
西ヶ崎さんが口にしたそれは私の想像を斜め上に超えるものであった。
「ふへ、いいこと?」
「そうそう、なにかいいことがあったのかなって」
「藪から棒に……なんですか」
「いやー、ほら、これ」
原稿をばーっと机の上に並べる。私が数時間で書き上げた文字が並ぶ。
「私が書いた原稿ですね、それ」
勢いに任せて仕上げたものだ。一応推敲はしたので、大きな問題はないと思うが。
ただ勢いに任せきっていたのは事実なので、倫理的にアウトとか、ラノベ的にアウトな部分があるのかもしれない。
でもそれなら、没だと突き返してくれればいいだけで、わざわざ呼び出す必要も、こうやって紙ベースで印刷して見せしめのようなこともしなくていいはずだ。
それになにかいいことあった? という質問も謎である。
「すんごくリアルになってる。特に感情の描写のリアリティが段違いだよ。読んでるだけでキュンキュンしちゃう」
褒められた。
「なにかいいことがあったから、こうやって感情描写の質が何弾も上がっているのかなって思うんだけど、どうかな」
「…………」
「例えば、恋人ができたとか?」
「こ、恋人!? できてませんよ、恋人なんか、ほんと、本当に……」
必死になって否定する。
そこまで焦って否定することでもないのだろうが……。
「ただ、ちょっと、そういう方向性で行くのもいいのかなって思っただけです」
こほんと咳払いをして、軌道修正。
「なにかダメでしたか?」
ストーリー重視な作風が、今回に関しては完全に関係性重視になっている。どっちが良くてどっちが悪いとではない。
ただ作風を変えたこと。それが問題で、咎められるのかもしれない。だから、書き直して、と。それなら呼び出されたことに対しても納得できる。
「ダメじゃないよ、むしろいい! 読者が求めているところをしっかり描ききってる!」
ナチュラルに手を握ってくる。そしてぶんぶんと激しく上下に揺さぶる。
「いいからこそ、なにか明確な理由があるのならそれを継続して欲しいなと思ったんだよね。きっとこの描写スキルは先生の大きな武器になるから」
「大きな武器に……ですか」
「恋人ができたのなら、別れないでくださいね!? と念押ししようかなーと思ってたんだけど」
「…………できてません!」
「そっか」
あっさりと引き下がる西ヶ崎さん。
助かった、と内心で胸をなで下ろす。
……はずだった。
「でもね」
西ヶ崎さんは、にこりと微笑んだまま、原稿の一枚を指でトントンと叩いた。
「先生、このヒロインのこの部分」
「……はい」
「距離感、完全に慣れてる人のそれだよ」
ぴしり、と背筋が固まる。
「で、今まで先生はここまでキャラクターを動かてなかった」
「…………」
「だけど、今は動かせてる。それもここまで人の心を揺れ動かすくらいに」
「…………」
「モデルがいる。で、少なくとも、モデルの子とは、最近すごく近い距離にいるよね?」
喉が鳴った。
否定の言葉が、頭の中で空回りする。唸りを上げるように。
「別に変なことはしてないです。ただモデルにして、遊んでるだけで、それだけですから」
「慌てすぎて変なこと言ってるよ、先生……」
西ヶ崎さんは苦笑していた。
「まあ、それも取材の一環ってことにしておくけど」
軽い調子でそう言って、西ヶ崎さんは立ち上がる。
「その取材、これからも続けていいからさ」
「……え?」
「って、私にこんなこと言う権利ないけどね」
西ヶ崎さんは髪の毛をくるくる指で回している。少し迷ったように視線を動かして、原稿をまとめた。それからふぅっと息を吐く。
「むしろ、もっと踏み込んでほしいな。キス未満とか、嫉妬とか、独占欲とか」
悪魔みたいに楽しそうな顔で、西ヶ崎さんは言った。
「だってさ」
原稿をトントン、ともう一度叩いて。
「もう、読者はそこを期待し始めてるから。そのモデルの子と先生がどんな関係とか何をしてるとかは知らないけど、編集として言わせてもらうね。今やってること、作家として先生を押し上げることになる。だから、継続して。やめないで」
「えっと……」
「しゃぶり尽くすくらいその子を利用して」
親友をヒロインのモデルにした百合ラノベを書いてたら、本人にバレました 皇冃皐月 @SirokawaYasen
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