第八章 宮廷の違算
帳簿管理官としての最初の任務は、予想外の場所から始まった。
王宮の宝物庫。
国家の財宝が保管されている、最も厳重な場所の一つ。
「最近、おかしなことが起きているのです」
案内役の文官が、困惑した表情で説明した。
「宝物庫の宝石が——増えているのです」
「増えている?」
「はい。先月の棚卸しでは、ルビーが百二十三個でした。しかし今月数えたら、百三十一個になっていたのです」
真琴は、眉をひそめた。
普通なら、「数え間違いでは?」と思うところだ。しかし、この世界で「違算」が持つ意味を知っている今、それが単純な話でないことは想像がついた。
「実際に見せてください」
宝物庫の扉が、重々しい音を立てて開かれた。
中は、想像以上に広かった。棚が並び、それぞれに宝石、金貨、美術品などが陳列されている。
真琴は、精算眼を発動させた。
【宝物庫全体スキャン中……】
【異常検知:12箇所】
予想通りだ。
真琴は、異常が検知された場所に近づいた。
ルビーの入った箱。
精算眼で見ると——
【ルビー(本物):123個】
【ルビー(違算による生成物):8個】
【生成物の存在強度:-67】
「存在強度がマイナス……」
真琴は、呟いた。
本来存在しないはずのものが、無理やり存在している状態。それを「存在強度がマイナス」と表現しているのだろう。
「どういうことですか?」
文官が、不安そうに尋ねた。
「この宝石の一部は——本物ではありません」
「偽物、ですか?」
「偽物ではないのですが……」
説明が難しい。
「えーと、『違算によって生まれた余剰』とでも言いましょうか。本来、ここにあるべきではないものが、世界のバランスの狂いによって生じてしまったのです」
文官は、明らかに理解できていない様子だった。しかし、真琴の説明を否定するほどの知識もないようだ。
「それは……危険なものですか?」
「危険です。このまま放置すると、存在強度がどんどん下がって——最悪の場合、宝物庫ごと『存在しなくなる』可能性があります」
文官の顔が、青ざめた。
「なんとか、できますか?」
「やってみます」
真琴は、精算眼を集中させた。
【精算可能項目】
→ 違算による生成物:消去(精算コスト:小)
今回のコストは、廃鉱山のときほど大きくはない。
【消去】を実行。
体から、エネルギーが流れ出す感覚。そして——
八個のルビーが、光の粒子になって消えていった。
「消えた……」
文官が、呆然と呟いた。
「これで、本来の数に戻りました。百二十三個です」
真琴は、他の異常箇所も同様に処理していった。
金貨が五枚多い。サファイアが二個多い。エメラルドの首飾りが一つ多い。
全て、違算による「余剰」だった。
一時間ほどで、全ての異常を解消した。
「ありがとうございます」
文官は、深々と頭を下げた。
「これで、心配なく眠れます」
「いえ。ただ——」
真琴は、考え込んだ。
「こういう違算が、宝物庫だけに起きているとは思えません。王宮の他の場所、あるいは王都全体でも、同じようなことが起きている可能性があります」
「そうですか……」
「調査を続けさせてください。何か見つかれば、報告します」
◇
宝物庫の一件は、すぐに王宮中に知れ渡った。
宰相マルクスでさえ、真琴の能力を認めざるを得なくなったようだった。
「帳尻殿」
廊下で声をかけられて振り向くと、宰相が立っていた。
「先ほどの件、聞きました。見事な手腕です」
「ありがとうございます」
「しかし——」
宰相は、声を低くした。
「お忘れなきよう。あなたは王宮の客人であり、協力者です。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉には、明確な警告が込められていた。
宰相は、真琴を——あるいは、真琴の能力を——警戒しているのだ。
「承知しています」
真琴は、頭を下げた。
宰相は、それ以上何も言わずに去っていった。
「気にしないで」
背後から声がした。
振り向くと、聖女シルヴィアが立っていた。
「宰相閣下は、変化を恐れる方です。あなたのような存在は、彼にとって脅威なのでしょう」
「脅威、ですか」
「ええ。あなたの能力は——この世界の秩序そのものに関わる力です。それを恐れる者がいるのは、当然のこと」
シルヴィアは、静かに微笑んだ。
「でも、私は違います。私は——あなたの力に、希望を見ています」
「希望?」
「ええ。この世界には、私の力では解決できない問題がたくさんあります。でも、あなたの力があれば——」
シルヴィアは、真琴をじっと見つめた。
その瞳は、星空のように深かった。
「帳尻様。私と一緒に、この世界を救ってくれませんか?」
◇
その夜、真琴は宛がわれた客室で、シルヴィアから聖女の力について聞いた。
リリアとガルドは、別の部屋にいる。二人には、明日改めて状況を説明するつもりだ。
「聖女の力は、『違和の感知』と呼ばれています」
シルヴィアは、窓際に立って月を見上げながら語った。
「世界のバランスが崩れたとき、私はそれを感じ取ることができます。しかし——感知するだけで、修正する力はありません」
「俺の精算眼とは、逆なんですね」
「そうです。私は『見つける』ことしかできない。あなたは『直す』ことができる。私たちの力は——補い合うように、できているのかもしれません」
シルヴィアは、振り返った。
「帳尻様。私は——」
「真琴でいいです」
「え?」
「堅苦しいのは、苦手なので。真琴、と呼んでください」
シルヴィアは、少し驚いた顔をした。そして——ふっと笑った。
「わかりました。では、私のこともシルヴィアと」
「はい。シルヴィアさん」
「『さん』も要りません」
「……シルヴィア」
名前を呼ぶと、シルヴィアの頬がわずかに赤くなった。
「はい」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「あなたの【精算眼】は——私の力の上位互換のようなものです。女神様が、この世界に遣わした救世主なのかもしれません」
「救世主なんて、大げさですよ」
「いいえ。私は本気で言っています」
シルヴィアの目は、真剣だった。
「この世界の違算は、日に日に増えています。原因は不明ですが——このままでは、世界そのものが崩壊しかねません。それを止められるのは、あなただけなのです」
世界の崩壊。
女神アカウンティアも、同じことを言っていた。
「俺に、そんな大きなことができるかどうか——」
「できます」
シルヴィアは、真琴の手を取った。
柔らかい、温かい手だった。
「私は、あなたを信じています。だから——一緒に、戦ってください」
真琴は、シルヴィアの瞳を見つめた。
そこには、純粋な信頼と、かすかな——希望の光があった。
「……わかりました」
真琴は、頷いた。
「俺にできることなら、なんでもします」
「ありがとうございます」
シルヴィアは、手を離した。
「明日から、本格的な調査を始めましょう。まずは王都の各所を回り、違算の発生状況を把握します。その後——」
「その後?」
「北の大国、ヴァルディア帝国。そこに——私は、大きな違和を感じています」
北の大国。
その名前に、真琴は何かを感じた。
まだ見ぬ脅威の予感。
それが何なのかは、わからない。
しかし——やがて、知ることになるだろう。
運命は、確実に動き始めていた。
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