第六章 最初の「大違算」
レイブリッジに戻った翌日、真琴たちはギルドで次の依頼を探していた。
掲示板には、様々なランクの依頼書が貼られている。薬草採取、護衛任務、魔物討伐——。
ゴブリンの巣の討伐を成功させたことで、真琴のランクはFからEに上がっていた。受けられる依頼の幅が、少し広がった。
「これなんてどう?」
リリアが、一枚の依頼書を指さした。
【依頼ランク:B】
【内容:廃鉱山の魔物調査および討伐】
【報酬:金貨50枚】
【備考:複数パーティでの参加推奨】
「B級か」
ガルドが、眉をひそめた。
「俺たちのランクはまだEだ。無理だろう」
「でも、『複数パーティでの参加推奨』って書いてあるよ。他のパーティと組めばいけるかも」
「甘いな、リリア。B級依頼に手を出して、命を落とした冒険者がどれだけいると思う」
ガルドの言葉に、リリアは肩を落とした。
真琴は、依頼書を眺めていた。
廃鉱山。
その場所に、何か引っかかるものを感じた。
「この鉱山、最近何か異変があったんですか?」
近くにいたエリナに尋ねると、彼女は少し困った顔をした。
「実は、よくわからないの。元々は閉鎖された古い鉱山なんだけど、一ヶ月前から魔物の目撃情報が相次いでて。しかも、その数が日に日に増えてるらしいの」
「日に日に増えてる?」
「うん。最初は五、六体だったのが、今では三十体以上いるって報告も。原因は不明。だから調査と討伐を兼ねた依頼を出したんだけど——」
エリナは、声を潜めた。
「先週、Cランクのパーティが挑戦したの。結果は——全滅」
空気が、重くなった。
真琴は、精算眼を依頼書に向けてみた。
いつもなら、依頼書からは大した情報は得られない。しかし今回は——
【関連情報検知】
【異常発生源:廃鉱山深部】
【違算レベル:大】
【推定原因:空間の裂け目】
違算。
大規模な。
真琴の中で、何かが反応した。
これは——女神が言っていた「世界の違算」ではないか。
「ガルドさん」
真琴は、決意を込めて言った。
「この依頼、俺に行かせてください」
「何?」
「理由は——上手く説明できません。でも、俺じゃないと解決できない問題がある気がするんです」
ガルドは、真琴をじっと見つめた。
「……お前の『勘』か」
「はい」
「勘を信じろとは言わん。だが——お前の勘は、今まで外れたことがない」
ガルドは、しばらく考え込んだ後、深く息を吐いた。
「いいだろう。ただし、俺とリリアも行く。一人で突っ込むな」
「ありがとうございます」
リリアが、目を輝かせた。
「冒険だね! 本当の冒険!」
「浮かれるな」
ガルドが、釘を刺した。
「Cランクのパーティが全滅した場所だ。覚悟を決めて臨め」
◇
廃鉱山は、街から北西に一日の距離にあった。
かつては鉄鉱石の採掘で栄えていたが、数十年前に鉱脈が枯渇し、閉鎖されたという。今では、誰も近づかない廃墟と化していた。
——はずだった。
鉱山の入り口に着いたとき、真琴は異変を感じ取った。
空気が、おかしい。
普通の場所とは違う、何か重く、澱んだ気配。精算眼を発動させると——
【周辺環境】
【魔力濃度:通常の12倍】
【生命反応:48体(増加中)】
【空間安定度:67%(低下中)】
「魔力濃度が異常に高い。生命反応は四十八——増え続けています」
「増え続けている、だと?」
ガルドの顔が、険しくなった。
「どういうことだ。魔物が自然発生しているのか」
「わかりません。でも、奥に何かある。それが原因だと思います」
三人は、慎重に鉱山の中へ進んだ。
内部は、予想以上に広かった。坑道が複雑に入り組み、所々が崩落している。空気は冷たく、湿っていて、どこか腐敗したような匂いがした。
精算眼を頼りに、魔物を避けながら進む。
不思議なことに、魔物たちはこちらを積極的に襲ってこなかった。まるで——何かに引き寄せられるように、奥へ奥へと向かっている。
「変だ」
ガルドも、異変に気づいていた。
「魔物が俺たちを無視している。普通はありえん」
「奥に、何かあるんです。それに惹かれてる」
真琴の推測を、ガルドは否定しなかった。
鉱山の最深部に到達したのは、入ってから三時間後のことだった。
そこは、巨大な空洞だった。
天井は見えないほど高く、壁は青白い光を放っている。そして、空洞の中央には——
「何、あれ……」
リリアが、震える声で言った。
空中に、裂け目があった。
黒い、何も見えない虚無の裂け目。そこから、絶え間なく魔力が噴き出している。
精算眼が、情報を表示する。
【空間の裂け目】
【状態:拡大中】
【魔力放出量:∞】
【影響:魔物の自然発生、環境の汚染】
【違算レベル:極大】
「これが……」
真琴は、息を呑んだ。
「世界の違算——」
裂け目の周囲には、魔物たちが群がっていた。蜘蛛のような魔物、狼のような魔物、形容しがたい異形の魔物——。皆、裂け目から噴き出す魔力を浴び、興奮状態にある。
「まずいな」
ガルドが、剣を抜いた。
「あの数は、俺たちだけでは対処できん」
「でも、あの裂け目を放置したら——」
「わかっている。だが——」
魔物の一体が、こちらに気づいた。
叫び声が上がる。連鎖的に、他の魔物たちも振り向く。
「来るぞ!」
ガルドが、叫んだ。
魔物の群れが、雪崩のように押し寄せてくる。
「リリア、援護! 帳尻、裂け目をなんとかできるか!」
「やってみます!」
真琴は、裂け目に意識を集中させた。
精算眼が、詳細な情報を表示する。
【精算可能項目】
→ 裂け目:閉鎖(精算コスト:極大)
→ 魔力放出:停止(精算コスト:大)
閉鎖できる。
しかし、コストは「極大」——今までの比ではない消耗が予想される。
やるしかない。
真琴は、【裂け目:閉鎖】に意識を向けた。
体の奥から、エネルギーが引き出される。
今までとは、桁が違った。
まるで、魂を削り取られるような感覚。視界が霞む。膝が震える。立っているのがやっとだ。
しかし——
裂け目が、縮み始めた。
黒い虚無の淵が、少しずつ狭まっていく。
「いける……!」
真琴は、歯を食いしばった。
裂け目の縮小と共に、魔力の噴出が弱まる。魔物たちの動きが、目に見えて鈍くなった。
「ガルドさん、リリア! もう少しで——」
その瞬間、裂け目から何かが飛び出してきた。
巨大な影。
腕が四本ある、人型の魔物。体長は五メートルを超えている。全身が、黒い鱗に覆われている。
【大型魔物(上位種)】
【生命力:2,500/2,500】
【状態:暴走】
【危険度:極めて高い】
「な——」
真琴の集中が、一瞬、途切れた。
裂け目の縮小が、止まる。
「帳尻、集中しろ!」
ガルドの声が、遠くから聞こえた。
大型魔物が、咆哮を上げる。衝撃波が、空洞全体を揺らす。天井から岩が落ちてくる。
「マコト!」
リリアが、魔法で岩を弾き飛ばす。
真琴は、必死で意識を裂け目に向け続けた。
閉じろ。
閉じろ。
閉じろ——
体が限界を迎えようとしていた。
意識が、遠のいていく。
このままでは——
その時、頭の中に声が響いた。
『真琴』
女神の声だった。
『諦めないで。あなたの中にある力を、信じなさい』
「女神様……」
『裂け目を閉じるのではなく、「精算」しなさい。違算を、解消するのです』
精算。
閉じるのではなく、精算する。
その意味を、真琴は直感的に理解した。
裂け目は、「本来存在しないもの」だ。
つまり、その存在自体が「違算」。
ならば——その違算を「ゼロ」にすればいい。
真琴は、アプローチを変えた。
裂け目を「閉じる」のではなく、裂け目の「存在」を「精算」する。
本来あるべき状態——裂け目が存在しない状態——に、修正する。
【精算処理実行】
【対象:空間の裂け目】
【修正内容:存在→非存在】
【処理中……】
体から、何かが流れ出ていく感覚があった。
しかし、さっきとは違う。
削り取られるのではなく、「支払っている」感覚。
レジで釣銭を渡すときの、あの感覚に似ていた。
適切な金額を、適切な相手に、渡すだけ。
それと同じだ。
裂け目が、崩れていった。
黒い虚無が、光の粒子になって消えていく。
魔力の噴出が、止まった。
【精算完了】
【違算:解消】
空洞に、静寂が戻った。
大型魔物が、動きを止めた。そして——その体が、塵のように崩れていった。裂け目から生まれた存在は、裂け目と共に消えたのだ。
他の魔物たちも、次々と倒れていく。力を失ったように、その場に崩れ落ちる。
「……終わった」
真琴は、膝をついた。
全身の力が抜けている。指一本動かすのも辛い。
「マコト!」
リリアが、駆け寄ってきた。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ!」
「大丈夫……ちょっと、疲れただけ」
ガルドが、真琴を見下ろしていた。
「何をした」
「違算を……精算しました」
「精算?」
「あの裂け目は、本来存在しないものでした。だから——存在しない状態に、戻しただけです」
ガルドは、しばらく沈黙していた。
「……理解の範疇を超えている。だが、結果として問題は解決した。それでいい」
彼は、手を差し出した。
「立てるか」
「……はい」
真琴は、ガルドの手を借りて立ち上がった。
「帰るぞ。報告しなければならんことが山ほどある」
「はい」
三人は、鉱山を後にした。
◇
レイブリッジに戻り、ギルドに報告したとき、ギルドマスターは驚愕の表情を浮かべた。
「裂け目を……消した、だと?」
「はい。詳しいことは、俺にもよくわかりません。でも、違算を精算したら、裂け目が消えました」
「違算、か」
ギルドマスターは、顎に手を当てて考え込んだ。
「お前の能力、ただの看破ではないな。もっと——」
彼は、言葉を探すように間を置いた。
「世界の理に、触れる力のようだ」
世界の理。
その言葉が、真琴の胸に響いた。
「この報告は、王宮にも送る必要がある。王都でも、似たような異変が起きているという噂があるのでな」
「王宮?」
「ああ。お前たち——特に帳尻。近いうちに、王宮から召喚状が届くかもしれん。心の準備をしておけ」
真琴は、ただ頷くことしかできなかった。
宿に戻り、ベッドに倒れ込む。
全身が、鉛のように重い。精算のコストは、想像以上に大きかった。
しかし——
達成感もあった。
世界の違算を、一つ解消した。
女神が言っていた、自分の役目を、少しだけ果たせた気がする。
「これが、俺の力なのか」
天井を見上げながら、真琴は呟いた。
レジ打ちとして培った「数を合わせる」能力。
それが、この世界では——世界そのものの「帳尻を合わせる」力になる。
まだ、始まったばかりだ。
この世界には、まだまだ違算がある。
それを一つずつ、解消していかなければならない。
しかし今は——眠りたかった。
真琴は、目を閉じた。
深い眠りが、彼を包み込んだ。
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