第三章 精算眼の力

レイブリッジの街は、村とは比べ物にならないほど大きかった。

 城壁に囲まれた街の内部には、石造りの建物が立ち並び、石畳の大通りを馬車が行き交っている。市場では商人たちが声を張り上げ、路地裏では子供たちが走り回り、街角では楽師が弦楽器を奏でている。

 人の数も、圧倒的に多い。すれ違う人々の頭上に、精算眼の情報が次々と表示される。


 【生命力:156/160】【状態:健康】

 【生命力:89/100】【状態:二日酔い】

 【生命力:203/210】【状態:興奮状態】


 情報の洪水に、頭が痛くなりそうだった。

 精算眼は便利だが、常に全ての情報が見えてしまうと、処理が追いつかない。真琴は意識の切り替え方を試行錯誤し、「必要なときだけ見る」という制御を覚えていった。

 冒険者ギルドは、街の中央広場に面した大きな建物だった。

 三階建ての石造りで、正面には盾と剣を模した紋章が掲げられている。木の扉を押し開けると、中は意外にも明るかった。

 一階は広いホールになっており、壁際にカウンターが並んでいる。カウンターの後ろには職員らしき人々が座り、その前に冒険者たちが列を作っている。ホールの中央には大きなテーブルがいくつも置かれ、そこで冒険者たちが食事をしたり、談笑したりしている。

 壁の一面には、大きな掲示板があった。紙が何枚も貼られている——おそらく依頼書だろう。

 真琴は、受付のカウンターに向かった。

 列に並び、順番を待つ。前の男が何やら職員と揉めているようで、時間がかかっていた。

「書類が足りないって言ってるだろ! 身元保証人の署名がないと登録はできない!」

「そんなこと言われてもよ、俺は流れ者なんだ。保証人なんているわけねえだろ!」

 男は、見るからに荒くれ者だった。革の鎧に、腰には錆びた剣。顔には古い傷跡がある。精算眼で見ると——


 【生命力:178/200】

 【状態:激昂】

 【隠し持った凶器:あり(ナイフ×2)】


 隠し持った凶器、という項目に、真琴は内心で驚いた。こんな情報まで見えるのか。

「とにかく、規則は規則だ。身元が確認できない者の登録は——」

「うるせえ!」

 男が、カウンターを拳で叩いた。

 周囲の空気が、一瞬で張り詰める。

 真琴は、自分でも予期せず、一歩前に出ていた。

「あの、すみません」

 男が、振り返った。血走った目が、真琴を睨みつける。

「なんだ、てめえは」

「落ち着いてください。暴力を振るえば、登録どころか出入り禁止になりますよ」

「……あ?」

 男の手が、腰の剣の柄に伸びた。

 まずい、と思った。

 しかし——

「そこまでにしておけ」

 横から、低い声が割り込んできた。

 振り返ると、そこには恰幅の良い中年の男が立っていた。禿げ上がった頭に、立派な髭。体格は横にも縦にも大きく、腕は丸太のように太い。

 精算眼が、自動的に情報を表示する。


 【生命力:340/350】

 【状態:平静】

 【称号:ギルドマスター】


 ギルドマスター。

 この施設の責任者だろう。

 荒くれ者の男も、ギルドマスターを見て顔色を変えた。

「お、俺は別に——」

「出ていけ。お前のような輩に、この街の冒険者ギルドは仕事を斡旋しない」

 ギルドマスターの声は、低いが、有無を言わさぬ響きがあった。

 男は、舌打ちをして踵を返した。真琴を睨みつけながら、出口へ向かっていく。

 その背中に、精算眼がもう一つの情報を追加表示した。


 【今後の行動予測:逆恨み(確率72%)】


 行動予測まで見えるのか。真琴は、この能力の奥深さに改めて驚いた。

「すまなかったな、若いの」

 ギルドマスターが、真琴に向き直った。

「いえ、こちらこそ、余計なことを……」

「いや、お前は正しい行動をした。あの男は前から問題を起こしていた。今日で決着がついた」

 ギルドマスターは、真琴をじっと見つめた。

「お前、冒険者登録の希望か?」

「はい」

「名前は?」

「帳尻真琴です」

「チョウジリ……変わった名だな。まあいい。お前の目、気に入った。受付で登録を済ませろ」

 ギルドマスターは、そう言ってカウンターの奥へ消えていった。


 登録手続きは、思ったより簡単だった。

 名前と年齢、出身地を申告し——出身地は「東の辺境」と曖昧に答えた——、適性検査を受ける。

 適性検査は、魔法陣のようなものが描かれた台の上に立ち、職員が何かの道具で計測するというものだった。

「ふーん」

 計測を担当した職員——エリナという名の、栗色の髪をした若い女性——が、結果を見て首を傾げた。

「変わった数値だね」

「どういうことですか?」

「戦闘能力はE、魔力はD。正直、冒険者としてはかなり低い方」

 真琴は、予想していたとはいえ、落胆を隠せなかった。

「でも——」

 エリナが、紙を指さした。

「看破・分析系がS。これ、初めて見た」

「Sって……」

「最高ランクだよ。普通、看破系の能力なんてC以上が出れば優秀って言われるのに」

 エリナは、興味深そうな目で真琴を見た。

「何か特殊な訓練でも受けたの?」

「いえ、ただ——前の仕事で、数を数えるのが得意だっただけです」

「数を数える?」

「はい。間違いなく、正確に」

 エリナは、しばらく真琴を見つめていた。それから、ふっと笑った。

「変な人だね。でも、嫌いじゃないよ、そういうの」

 彼女は、カウンターの下から小さなプレートを取り出した。

「これが冒険者証。ランクはF——一番下からのスタートだけど、実績を積めば上がっていくから」

「ありがとうございます」

 プレートを受け取る。金属製で、表面には真琴の名前と「F」の文字が刻まれていた。

「最初の依頼、何にする?」

 エリナが、掲示板の方を示した。

「Fランクでも受けられるのは、薬草採取とか、荷運びとか、地味なのが多いけど——あ、そうだ」

 彼女は、カウンターの書類の山から一枚を引き抜いた。

「これなんてどう? 倉庫の在庫確認。報酬は少ないけど、危険はないし、あなたの能力に合ってるかも」

「在庫確認?」

「うん。街の商会の倉庫で、入出庫の記録と実際の在庫が合ってるか確認する仕事。地味だけど、正確にできる人がいなくて困ってるんだって」

 在庫確認。

 元の世界でも、似たような作業はしていた。棚卸し、発注前の在庫チェック。

 真琴は、依頼書を受け取った。

「やります」

「よし、決まり。場所は西区のハリス商会。明日の朝から入れるって」

 エリナは、にっこり笑った。

「頑張ってね、帳尻さん」


     ◇


 翌朝、真琴はハリス商会の倉庫を訪れた。

 倉庫は、想像していたより遥かに大きかった。

 天井まで十メートル以上はある巨大な空間に、木箱が山のように積み上げられている。布袋、樽、籠——あらゆる形態の荷物が、迷路のように配置されていた。

「これ、全部?」

 真琴は、思わず声を上げた。

 案内してくれた商会の男が、苦笑した。

「ええ。帳簿によると、約二千品目。でも実際に数えたことがないもんで、合ってるかどうか……」

「二千」

「一週間で終われば上出来だって言われてますよ」

 男は、帳簿と羽ペンを真琴に渡した。

「まあ、頑張ってください」

 そう言って、男は去っていった。

 真琴は、一人、倉庫の中央に立った。

 二千品目。

 一週間。

 普通に数えていたら、一週間でも終わらないかもしれない。

 しかし——

 真琴は、精算眼を発動させた。

 視界が、変わった。

 木箱の一つ一つに、数字が浮かび上がる。


 【鉄鉱石:152単位】

 【小麦粉:87袋】

 【陶器(中型):43個】

 【布地(綿):204反】


 数えなくても、見えた。

 正確な数量が、一目で。

 真琴は、帳簿を開いた。

 鉄鉱石、150単位。

 精算眼の表示は、152単位。

 差異がある。

 小麦粉、90袋。

 精算眼では87袋。

 これも差異がある。

 真琴は、帳簿と精算眼の数値を照らし合わせながら、倉庫の中を歩いていった。

 一時間もしないうちに、全ての品目の確認が終わった。

 結果は——37品目で差異が発生していた。

 そのうち、帳簿より多いものが12品目、少ないものが25品目。

 単純な記録ミスもあれば、意図的な操作を疑わせるものもあった。

 特に気になったのは、木箱の一つだった。

 帳簿には「香辛料(シナモン):20袋」と記載されている。しかし精算眼で見ると——


 【木箱内容物】

 → 香辛料(シナモン):17袋

 → 異物:3袋

  → 内容:未確認(不正な混入物の可能性)】


 異物。

 真琴は、その木箱を開けてみた。

 確かに、20の袋が入っている。見た目は同じだ。しかし、精算眼が「異物」と判定した3つの袋は、わずかに色が違った。

 一つを開けてみる。

 中身は——白い粉末だった。シナモンとは明らかに違う。

 これは——密輸品か、あるいは——

「おや」

 背後から声がした。

 振り返ると、恰幅の良い中年の男が立っていた。高級そうな服を着て、指には宝石のついた指輪がいくつも光っている。

 精算眼が、情報を表示する。


 【ハリス商会会長:グレゴリー・ハリス】

 【状態:警戒】

 【隠された意図:証拠隠滅の検討】


「もう終わったのかね? 驚いたな、一時間も経っていないのに」

 会長の声は穏やかだったが、目は笑っていなかった。

「ええ、一通り確認が終わりました」

 真琴は、冷静を装いながら言った。

「帳簿との差異が、37品目ありました。詳細は報告書にまとめます」

「そうか。ご苦労だったな」

 会長は、真琴の手にある袋をちらりと見た。

「それは?」

「香辛料の箱に入っていた袋ですが、中身がシナモンと異なっているようです。何かの手違いでしょうか」

 会長の表情が、一瞬、強張った。

 しかしすぐに、穏やかな笑みを浮かべた。

「ああ、それは倉庫の手違いだろう。品物の入れ違えはよくあることでね。私が処理しておこう」

 会長が、袋に手を伸ばした。

 真琴は、袋を渡さなかった。

「これは冒険者ギルドへの報告対象になりますので、一応持ち帰らせてください」

 会長の目が、細くなった。

「……君、なかなか面倒なことを言うな」

「仕事ですから」

 しばらくの沈黙。

 会長は、真琴をじっと見つめていた。計算するような、値踏みするような目だった。

 精算眼が、追加情報を表示する。


 【会長の思考推測:買収の検討→却下】

 【次の行動予測:脅迫の検討(確率45%)】


 買収は却下された。つまり、金では動かない相手だと判断されたということか。

「……わかった」

 会長は、引き下がった。

「好きにしたまえ。どうせ、大したことじゃない」

 彼は、踵を返して倉庫を出ていった。

 真琴は、袋を懐にしまった。

 大したことじゃない——そうかもしれない。しかし、不正は不正だ。

 帳簿に記録されているものと、実際にあるものが違う。

 それは——違算だ。

 たとえ小さな違算でも、見逃すわけにはいかない。

 それが、真琴の——レジ打ちとしての矜持だった。


     ◇


 ギルドに戻り、報告を終えた真琴に、エリナが駆け寄ってきた。

「すごいじゃない! 一日で終わらせるなんて!」

「いえ、たまたまです」

「たまたまで二千品目を一時間で数えられるわけないでしょ」

 エリナは、目を輝かせていた。

「それに、不正品まで見つけるなんて。ハリス商会、前から噂があったのよ。でも、証拠がなくて手が出せなかったの」

「噂?」

「密輸とか、脱税とか。今回の件で、調査が入ることになったわ。ギルドマスターも喜んでたよ」

 真琴は、複雑な気持ちだった。

 ただ在庫を数えただけだ。それが、こんな大事になるとは思っていなかった。

「帳尻さん」

 エリナが、真剣な顔で言った。

「あなたの能力、本当にすごいと思う。これからも、ギルドの仕事を手伝ってくれない?」

「もちろんです。それが冒険者の仕事ですから」

「ありがとう」

 エリナは、にっこり笑った。

「あ、そうだ。報酬、増額されてるからね。ギルドマスターの特別計らいで」

 報酬の入った袋を受け取る。ずっしりと重い。

「これは——」

「黙って受け取っておきなさい。あなたの仕事には、それだけの価値があったってこと」

 真琴は、袋を握りしめた。

 五年間、誰にも認められなかった。

 正確に数を数えることなんて、誰にでもできると思われていた。

 でも、ここでは——

「……ありがとうございます」

 真琴は、頭を下げた。

 エリナは、柔らかい笑顔で応えた。

「こちらこそ。これからよろしくね、帳尻さん」

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