第10話「すれ違う心と退団届」

 真実が露見してから、三日が過ぎた。

 騎士団の空気は最悪だった。イグニスは執務室に籠もりきりで、誰とも会おうとしない。

 その影響で、団内の士気はだだ下がりだ。「殿下がフラれたらしい」「いや、もっと深刻な問題だ」と、根も葉もない噂が飛び交っている。

 ルッツは針のむしろだった。

(やっぱり、怒ってるよな)

 当然だ。王族を欺いたのだから、不敬罪で斬首されても文句は言えない。それ以上に、イグニスの純粋な好意を踏みにじったことが辛かった。

「ルッツ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

 カイルが心配そうに声をかけてくる。

「……ああ、平気だ」

 ルッツは机に向かい、ペンを走らせていた。

『退団届』。

 このままここに居座ることはできない。βであることが公になれば、入団規定違反で追放されるのは時間の問題だ。それなら、自ら去るのがせめてもの筋道だろう。

 書き上げた届出書を持って、ルッツは副団長室へと向かった。

「入れ」

 ゼクス副団長の疲れた声がする。

 ルッツが入室すると、ゼクスは眉間を揉んでいた。

「ルッツか。……殿下の件か?」

「はい。これをお願いします」

 ルッツは退団届を差し出した。

 ゼクスはそれを見て、大きくため息をついた。

「やはりそうなるか。……だが、少し待て」

「え?」

「これは俺の独断だが、殿下はまだ結論を出していない。お前を処罰する命令も出ていない」

 ゼクスは椅子に深く座り直した。

「殿下は怒っているわけではないと思うぞ」

「でも、騙していたんですよ?」

「ああ。だが、殿下が気にしているのは『騙されたこと』よりも、『お前が何者か』ということだろう」

 ゼクスの言葉の意味が、ルッツにはよく分からなかった。

「とにかく、これは預かっておく。受理はしない。殿下とちゃんと話せ」

 部屋を追い出され、ルッツは廊下を歩いた。

 話せと言われても、イグニスは会ってくれないだろう。

 その時、廊下の向こうからイグニスが歩いてくるのが見えた。

(っ!)

 ルッツは反射的に身を固くした。

 イグニスの顔はやつれていた。目の下に隈があり、いつもの覇気がない。

 二人の視線が交差する。

 ルッツは何か言おうと口を開きかけた。

 だが、イグニスはルッツから目を逸らし、無言のまま通り過ぎていった。

 冷たい風が吹き抜けたようだった。

(……ああ、やっぱり)

 無視された。それが答えだ。

 ルッツの胸に、ぽっかりと穴が空いたような虚無感が広がった。

 βの自分には、αの王子の隣に立つ資格はない。

 ルッツは唇を噛み締め、寮へと戻った。

 荷物をまとめよう。今夜のうちに、この場所を去ろう。

 そう決意したルッツの耳に、警報の鐘の音が飛び込んできたのは、その数時間後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る