第5話「寮への襲来と最高級の肉」
決闘騒ぎから数日。ルッツの平穏は粉々に砕け散っていた。
騎士団の寮に、王宮からの使いがひっきりなしに訪れるようになったのだ。
「イグニス殿下より、最高級の赤身肉の差し入れです」
「殿下より、疲労回復に効く希少な薬草です」
「殿下より、オーダーメイドの訓練着です」
ルッツの狭い個室は、贈り物で埋め尽くされそうになっていた。
「……どういうつもりだ」
ルッツは山積みの箱を前に頭を抱えた。
同室(という名の隣室)のカイルが、羨ましさと恐怖の入り混じった顔で覗き込んでくる。
「すげえなルッツ。完全にロックオンされてるじゃん」
「嬉しくない。目立ちたくないのに」
「無理だって。殿下に勝ったΩなんて伝説だぞ。もうファンクラブまでできてるらしい」
「やめてくれ……」
ルッツはため息をつきながら、送られてきた肉を焼くために簡易コンロを準備し始めた。もらえるものは貰う主義だ。βの体は資本である。
ジュウウウゥゥ……。
香ばしい匂いが部屋に充満する。
「食うか、カイル」
「いいのか!? 王室御用達の肉だぞ!」
二人で肉をつついていると、突然ドアがノックされた。
「ルッツ、いるか?」
聞き覚えのある、重厚な低音。
ルッツとカイルは顔を見合わせ、同時に硬直した。
「……どうぞ」
ドアが開くと、そこには私服姿のイグニスが立っていた。私服といっても、素材の良さが一目でわかる上質なシャツに、スタイルの良さを強調するパンツ姿だ。ラフな格好でも隠しきれない王者の風格がある。
「で、殿下!?」
カイルが直立不動で敬礼する。
イグニスは軽く手を挙げ、「楽にしろ」と言った後、部屋の中を見回した。
「狭いな。王宮の俺の部屋に来ればいいものを」
「遠慮します。ここが落ち着くので」
ルッツは座ったまま答える。不敬だと怒る気配もない。イグニスは当然のようにルッツの隣に座り込んだ。
狭い部屋がさらに狭く感じる。
「肉か。俺が送ったやつだな。味はどうだ?」
「美味しいです。さすが王室御用達ですね」
「そうか。なら、もっと送らせよう」
「もう置く場所がないので結構です」
つれない返答に、イグニスは楽しそうに目を細める。
「つれないな。他のΩなら、俺の贈り物というだけで涙を流して喜ぶぞ」
「俺は他のΩとは違いますから」
「ああ、そうだな。お前は違う」
イグニスの声色が、ふっと甘く、熱くなった。
彼はルッツの頬に伸びていた髪を、指先でそっと払った。
その指先が耳に触れ、ルッツはぞくりとした。
(なんだ、今の空気は)
イグニスの瞳が、ねっとりとルッツを見つめている。
「お前は、俺のフェロモンを浴びても、俺の贈り物を見ても、俺自身を前にしても、決して媚びない」
イグニスは顔を近づけ、ルッツの首筋に鼻を寄せた。
スゥッ、と匂いを嗅ぐ音がする。
「……相変わらず、無臭だ。鉄壁の理性だな」
(いや、だからβなんだってば)
ルッツは心の中で突っ込むが、口には出せない。
イグニスは誤解したまま感動しているのだ。「必死に本能を抑え込んでいる健気なΩ」だと。
「だが、いつまで持つかな?」
イグニスはルッツの耳元で囁いた。
「俺は諦めんぞ。お前のその理性の殻をこじ開け、俺の色に染め上げてやる」
それは宣戦布告であり、熱烈な求愛だった。
ルッツは努めて冷静に、「肉が焦げますよ」と皿を差し出した。
イグニスは苦笑し、肉を口に運んだ。
「……悪くない」
その夜、イグニスは日付が変わるまで居座り、ルッツの過去や好きなものについて根掘り葉掘り聞いていった。
カイルは気配を消して部屋の隅で震えていた。
嵐が去った後、ルッツはドッと疲れが出た。
「……これ、いつまで続くんだ?」
「結婚するまでじゃね?」
カイルの不吉な予言に、ルッツは枕に顔を埋めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。