第3話 別れの予感
「
メーカーの担当者が交替していた。ビジネスライクに
「どういうペン先がよろしいでしょう?」
というので、
「ぼくは硬いほうが好みでね」
と言うと、ほんとうに硬くてガチガチで、それまで使っていたペン先よりも細くて、字もこれまでの字の幅の半分ぐらい、というペンに作り替えてしまいやがった!
「やり直してくれ」とは言わなかった。こんな修理をされるようなら、やり直してもたいしてよくならないだろうと思ったからだ。
そこで、なんとか手を慣らし、書いたのだが。
今度は「驕児」との別れが怖くなってきた。
このまま使い続けてこのペン先をすり減らしたとき、メーカーはもう
延苗だって、現代を生きる一人として、パソコンぐらいは使えるし、メールだって書けるし、スマホ入力はあまり得意ではないけど、それでもいちおうはできた。
だから、最近作の『
「今度はパソコンを使って書きます」
と出版社に言うと、担当編集者は驚いたが、止めはしなかった。
たぶん、その宣言を聞いたときに編集者が漏らした小さいため息は、
いまどき手書きの原稿を受け取っても、それを出版社で打ち込み直さなければいけない。しかも延苗の書くものは長い。その作業にかかる手間や時間というものを考えると、出版社だって手書き原稿は願い下げにしたかったはずだ。
パソコンを使って書き、「メール添付」という方法で出版社に送る。
その方式で書いたのだが、どうも調子が乗らなかった。
『
いつかは取り組んでみたい題材だった。
子どもたちが独立し、妻とは離婚して、一階のダイニングを好きに使えるようになり、そこのテーブルいっぱいに資料をひろげ、それを随時参照しながらパソコンのキーを叩いた。
書けるのは書けた。
しかも、当然というのか、万年筆で書くよりもはるかに速く書けた。
しかし、何かが違った。
『享徳記』は売れなかったわけではない。
たしかにこれまでより売れ行きは落ちていたけれど、本全体が売れなくなっているのだ。そのなかではむしろよく売れているほうだと担当の編集者は言っていた。
なんとなく気もちの整理がつかないでいたころ、延苗は渋谷の居酒屋に行った。
急速にこぎれいな街へと変容しようとしている渋谷で、そこだけ昔の
延苗が有名な作家だということは二回めか三回めに行ったときにばれた。でも、店員がそれをとりたてて口にすることはなかった。店員の大半はバイトのようで、頻繁に入れ替わったけれど、延苗のことはしっかり引き継がれているようだった。
その店に行ったときに、聞いてしまったのだ。
延苗が座っていたのはカウンター席だが、その後ろのテーブル席で二人の男が議論していた。
二人とも時代劇や時代小説のファンらしく、昔の作家もいまの作家も、有名な作家の名を次々に挙げては、辛口だったり甘口だったり、いろんな感想を言っていた。
酒が入っているから、声が大きい。
もちろん、自分らのすぐ近くのカウンターに時代小説作家が座っているなんて想像もしていないだろう。
そこで、そのうちの一人が言い始めた。
「
さっきから聞いていて、片方が辛口批評をすると相手方は止め役に入るという役割分担だということはわかっていた。
「いや。ダメってことはないだろう。おれはその享徳の乱とかよく知らないけどさ、なんかその時代の関東の雰囲気も伝わって来たし、あの
と相手方が言うのに、辛口批評の男は納得しなかった。
「いや、もっと書けたよ。ちょっと前までの極楽寺延苗なら。今度のは、たしかに、筋立てはいい。これまでの極楽寺延苗のままだ。巧い。でも文章が別人だよ。もう。なんか読んでて乗らないんだよな。なんかねぇ。前はすらっと読めて、どんどんページ繰るスピードが上がる感じがしてたんだが、今度はやたら時間がかかってさ。気がついてみると、どこがどう、ってのはわからないけど、極楽寺延苗らしいテンポが、ないんだよな」
そこで、ひと息ついて。
「やっぱり、歳とったのかなぁ、極楽寺延苗」
と、感慨深げに、その辛口批評が言った。
ぽつん、とつけ加える。
「
何も言えなかった。
もともとその二人の議論に何か言うつもりはなかったけど、それにしても、何も言えなかった。
そのとおりだと思ったから。
「寂しい」も含めて、そのとおりだと思ったから。
万年筆で書いていたときは、ペンが引っかかっても、インクの出が悪くていらいらしても、でも、それはそれで調子を落とさずにつき合うことができた。
ところが、パソコンで書くとそうは行かなかった。
詰まって、筆が止まると、そこで集中力が切れる。
そこから集中力を立て直すのだが、それに時間がかかる。
それが「読んでて乗らない」の正体だ。
書いているほうが乗っていないのだから、読んでいて乗るはずもない。
「極楽寺延苗らしいテンポ」なんか、あるはずがなかった。
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