第2話 驕児

 「驕児きょうじ」。

 やんちゃ坊主という意味だ。

 めぐり会ったのは四十年も前のこと。

 延苗のぶみつがまだ若手で、あまり出来のよくないハードボイルド犯罪小説を書いていたころだ。まだワープロやパソコンで小説を書くなどということは夢にだって考えなかった。

 この家には、まだ、じいさんが、いや、父がいた。

 そのじいさんには

「売れもしないのに、いつまで作家だなんて気取ってるつもりなんだ」

と言われていた。

 最初はからかい気味だったのが、年が経つにつれて声は真剣味を帯びてきた。やがては脅しのニュアンスさえ入るようになった。

 延苗もわかってはいた。

 しかも、そのころ、バブル景気というものが始まって、この家の値段もぐんと跳ね上がった。土地と家の値段が跳ね上がったせいで税金もうなぎ上り、それもかなりイキのいいうなぎのように上がって行く。

 じいさんにいつまでも働いてもらうわけにもいかない。

 そんなことで悩んで気もちもすさんでいたのだろう。いや。若気の至りだったのか。それまで世話になっていた編集者と大げんかをして、そこの出版社ではもう本を出せなくなってしまった。

 「作家」というのをやめる、ということが、現実になった。

 でも、延苗には、その作家生活の最後に、書きたいものがあった。

 最後に書きたいもの、というより、最初に、まだ高校生だったころに書きたかったものだ。

 初心、といってもいいだろう。

 『三国志』のしょくの物語を、自分なりに書いてみたかった。

 聖人君子たちの物語でもなく、時代遅れの理想を掲げた英雄たちの悲哀の物語でもない。

 命を賭けてひたむきに「愚行」に邁進する男たちの物語として。

 それで最後と決めていたから、気合いを入れた。

 この一篇の物語を書くために、当時の自分が買えるぎりぎりのお金を出して万年筆を新調した。

 それは有名メーカーの高級万年筆のなかで、いちばん安いものだった。

 いつまでも使うつもりもなかったので、耐久性も書きやすさも考えずに、値段だけで買った。

 正直に言って、それまで使っていた万年筆ほど書きやすくはなかった。このペンを使うのはやめようと思ったこともある。

 でも、この作を書くために買ったものだと思い直した。がまんして使い続けた。

 ペンは手にれなかったけれど、書きたかった内容だから、これまで経験したことがないほど筆は進んだ。書いているときの勢いの感覚は生まれて初めてのものだった。こういう感覚を「乗りに乗って書いた」というのかも知れない。

 そのうち、ペン先の抵抗感も引っかかる感じもぜんぜん気にならなくなっていた。

 そうして書き上げた『華陽かよう夢譚むたん』を、これまで犯罪小説を出してくれていた出版社のライバル会社に持ち込んだ。どうせ断られるだろうと思ったら、ぜひ出版させてくれ、という。

 それでも、分厚い単行本で上下二巻などという分量になったのだから、どうせ売れないだろうと思っていたら、これがベストセラーになった。

 いろんなことで『三国志』に注目が集まっていた時代、また、それまで「閉ざされた国」だった中国が国を開いていた時代ということもあって、中国史ものへの関心も高まっていた。そんなこともあったのだろう。『華陽夢譚』は売れた。

 極楽ごくらく延苗は一躍有名作家になった。大河小説を書かせれば右に出るものはいないと言われるほどになった。本は売れ続け、講演会やテレビ出演の収入もあって、家にかかるばか高い税金を払い続けることもできた。じいさんが死んだときもばか高い相続税もものともせずその家を受け継いだ。おそきながら結婚して子どもも生まれると、一階を「リノベーション」して同じ家に住み続け、現在に至っている。

 そのあいだ『華陽夢譚』を書くために買った万年筆を使い続けた。

 どちらかというと硬い、抵抗力を感じさせるペン先だ。反発するペン先を、強い筆圧でねじ伏せるのでもなく、かといって妥協して力を抜いて書くのでもなく、巧くなだめながらつき合った。そのつき合いかたを手に覚えさせた。

 その「やんちゃ坊主」ぶりが気に入って、万年筆につけた名まえが「驕児」だ。

 ペン先がすり減ると、メーカーに注文して取り替えてもらった。

 メーカーは延苗の好みに合わせてペン先を新調してくれたので、延苗はそれまでと同じように使い続けることができた。

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