かわいい手には旅をさせよ

杉野みくや

第1話 お笑い芸人と旅する手

 茶色く色づいた葉っぱが枝の先から離れ、ひらひらと舞い落ちる。無機質なアスファルトと接触しそうというところで、冷たい風が木の葉を遠くまで連れ去っていく。


「木が泣いてるよ」と意味もなくセンチメンタルなことを呟いたが、この言葉を拾ってくれる人はもう身近にいない。小さくため息をつきながら、清掃バイトの道具をせっせと片付けた。


 バイトを終えた後にやることと言えば、コンビニで酒とつまみを買って家に帰るだけ。9%のロング缶を胃に流し込み、若干冷めた唐揚げを頬張る。どちらもまずくはないが、美味くもない。


 テレビをつけると、お笑いコンビがネタを披露している場面が映し出された。「なんでやねん!」と言い切る前にチャンネルを回し、特に見たくもないニュース番組にでリモコンを押す手を止めた。面白みのないニュースをつまみに残りの酒をぐいっと呷ると、頭が一気にふわふわし始めた。


「はあ……」


 生きる希望を見いだせないまま床に寝転がり、本能に身を任せて目を閉じる。酔いのまわった脳内には、あいつの顔が浮かんでは消えてを繰り返した。



 どれくらい時間が経っただろうか。

 部屋に充満する冷たい空気が俺の意識をゆっくり連れ戻していく。毛布すらかけてないのだから、そりゃ体も冷える。

 もう少ししたらベッドに移動しよう、とぼんやり考えたところで何かが顔の前を横切った。


「……しもし」


 今度はほっぺをつつかれるような感触がした。


「もしもし?」

「うーん。誰だよ、こんな夜中、に」


 うっすら開いた目のピントが正常になるにつれて、血の気がすーっと失せていった。俺の両目が捉えているものが確かであれば、間違いなく人の手だけがそこにあった。


「は?」

「あ、こんばんは」


 ご丁寧に挨拶すると、そのはぺこりと指を曲げた。


「うわああああ!?」


 なんだなんだこいつはなんなんだ!? 手? 手が喋ったのか? まさかそんなわけが。


「あ、また驚かせちゃった」


 口もないのに流ちょうに声を発するに文字通り、開いた口が塞がらなかった。

 俺は夢でも見てるのだろうか?


「こういうときはまず自己紹介しなきゃね。こんばんは、手ミコといいます。今は各地を巡って旅をしている身です。お兄さんは?」 


 いや、分かった。これはドッキリってやつだ。さすがの俺でも分かる。

 それにこんなリアリティあふれるドッキリは、テレビしかないだろう。

 どうして俺なんかにと考えるのは野暮ってもんだ。ようやく訪れたこのチャンス、必ずものにしてやる。


「宇野だ。ケミカルボムの宇野」


 自然とこぼれた9文字の言葉。それが俺の喉を締め付けた。

 早くもコケる予感しかしない。


「ケミカル、ボム?」


 手ミコは首をかしげるかのように全身を斜めに傾けた。


「……コンビ名だよ。芸人やってんだ、俺」

「すごーい! 芸人さんなんですね!」

「ははっ。そんなに売れてはないけどな」


 照れくさくなって、手ミコを視界から外した。


「それに、ケミカルボムっていうコンビはもうこの世に存在しない」

「存在しない? どういうこと?」

「相方だった岩田ってやつがいるんだけど、ネタの方向性で何度もケンカしてたんだ。最初はすぐに仲直りできてたんだが、お互いに少しづつ鬱憤がたまってたみたいでさ。それでついこの間、岩田の方から解散しようって提案されたんだ。最初は『ふざけんな』って拒んだんだが、話し合ううちにヒートアップしちゃって。殴り合い寸前ってところで先輩が止めてくれたけど、岩田は『もう解散だ』って叫んでどっかいきやがった」


 自分で話していてイライラしてきた。それと同時に、大事な宝物をひとつ失った時の痛みも思い出した。


「後を追ったりしなかったの?」

「俺も相当イラついてたから、そんな考えまったくなかった」

「でも、連絡取ったりは」

「取れない。岩田のやつ、俺をブロックしたらしい」

「これからどうするの?」

「さあ、どうすりゃいいんだろうな」


 視線を落とすと、床がだんだんにじんで見えてきた。


 岩田と過ごした苦しくも楽しい日々。俺がボケて岩田がツッコむという流れが日常の中で当たり前に存在していた。

 その当たり前はもう戻ってこない。


 どうしようもなくあふれ出る涙を流しっぱなしにしていると、冷たい感触が頬を優しくなぞった。顔を上げると、手ミコの白い指先に水滴が一粒乗っていた。


「『迷ったときは自分がどうしたいかを考えてみなさい』」

「え?」

「パパがよく言ってた言葉。いまの宇野さんにぴったりだなと思いまして」


 手ミコは握り拳を作るべく、ギュッと丸まってみせた。

 対する俺は、今しがた受けた言葉を何度も何度もかみ砕いた。そうして姿を現した答えに、思わず口角が上がってしまった。


「あ、私そろそろ行かなきゃ」


 手の平が向いている方に目を向けると、時計の時刻はちょうど3時を示していた。

 玄関の扉を開けると、ヒンヤリとした空気が部屋に流れ込む。思わず全身がぶるっと震えた。


「そうだ」

「ん?」

「戸締まりはちゃんとした方がいいですよ」


 ドアの鍵を指さすと、手ミコはトコトコ歩いていった。


 息を吐いたら、眠気が急激にこみ上げてきた。その場に寝転がってしまいたい気持ちに抗いつつ、足をベッドまで持っていった。使い古したベッドに横たわって瞼を閉じると、岩田の姿が浮かんできた。


 明日は絶対に岩田のところに行こう。そして誠心誠意謝って、コンビとして再出発できないか掛け合おう。芸人宇野には、やはり岩田が必要だ。


 そう決心して眠りにつきかけたその時、とある疑問が瞼をばっと持ち上げた。


「あれ? ネタばらしは?」

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2026年1月18日 22:00 毎日 22:00

かわいい手には旅をさせよ 杉野みくや @yakumi_maru

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