暴漢を野に放ってから三日目の朝に刑場が完成していた。

 磔刑のための設備も滞りなく設置されている。

 王は満足気に謁見の間からその様子を眺めていた。

 既に顔面は蒼白だった。罪人を大勢の前で赦免して、身を捧げるように民の前に進み出る。昨晩の月下の出来事を経てもなお、恐ろしさは完全には消えようとしないのだった。

 やつは夕日が落ちる前に訪れるだろうか。

 もしも現れなかったとしたら、王は石工を殺さなくてはならぬ。石工のみを許して民に殺されてもそこには名分がない。あくまで必要なのは「彼らの友情によって改心をした」という状況なのだ。

 その場合、王は石工を磔刑に処した後、自らの身をどのようにすれば良いのだろうか。

「それならばそれで問題なかろう、人の子の王よ」

 無人のはずの謁見の間に低音の声が響き渡っていた。

 驚いて振り返るとそこにはレリーフが置かれているだけだった。

 昨晩と違うのは月明かりではなく日光の輝きを受けているという点だ。

「生き続けて王の職務を全うするのだ。誰かに殺される? ははは。お前は既に対策を練っているではないか。この刑場には怪し気な者が集まってくるのだろう? だとしたら、そこで彼らを一気に捕らえてしまえば良い。驚いたぞ、人の子よ。何と周到なことだろうか!」

 そして、話すことも昨晩とはまるで異なっていた。

 どんな輝きがもたらされるかによって化身の性格が変わるとでもいうのか。

「お前は自らの身を守るべく、多くの家臣を殺害してきた」

「さもなくばこちらの身が滅んでいた。黙ってやられるわけにもいかぬ」

「そんな王が今となって民に殺されようと。愉快を通り越して哀れに思えてくるぞ」

 陽光の化身が王の決心を鈍らせようとしてくる。

 まだ決意のぐらついているところに衝撃が加わったので、卑屈な思いが湧き上がってくるのを止められなかった。

 これまで王は人としての徳を捨てて政務にあたってきた。

 それなのに徳に訴えて民の心を動かすことができようか。

 徳などはカビの生えた恥ずべき邪念だ。今更手にしたところで生まれながらの聖者には敵わない。ならば王は悪逆非道を貫くべきではないだろうか。

 これまで通り暴君を演じればいい。いや、演じるのではなく暴君として君臨すればいい。捕らえられた石工も殺し、暴漢についても約束を果たそうが破ろうが関係なく殺す。

 何年も何年もそんな王として突き進んできたではないか。

 それが何を今更……。

 ならば最後まで一貫しているべきだろう。

 王のあるべき姿を見せつけるのが責任ではないか。

 これから何十年も暗君として国を率い続けるべきではないか。

 陽光の化身によって決心が揺らぎ始める。

 王は葛藤しながら自らの運命を一つの出来事に委ねたくなっていた。

 こちらに向かって走ってくる青年が間に合うかどうか。

 間に合えば王は理想の王として民による裁きを受け入れよう。

 そうでなければ全ては何も変わらずに暴君は引き続き暴君のままだ。

 日がどんどん沈んでいく。

 刑場にも人が集まり始めていた。

 小屋の方から石工が引っ張り出されてきて、磔の準備が始まっていた。

 王は暗澹たる気持ちになっていた。

 これからも王として決断を下し続け、孤独の中に自らを置かなくてはならないのか。

 玉座に被せた布の下に隠れて幽霊を演じなくてはならないのか。

 そんな日々から救われる日はまだ訪れないというのか。

 いや、信じよう。

 きっと彼は殺されるためにやってくる。根拠は最早存在しない。しかしやつと対面した時の一瞬、あの青年は決意で身を固めた風であった。あの瞳は何者にも屈しない意志を宿している。友を救うために必ずここに戻ってくる。

 彼は救い主であるのだ。

 石工が福音を語る者だとしたら、青年はその福音と王を結んだ預言者だ。

 だが今回ばかりは間に合わなかったらどうするのだ。

 今誰かが話しかけてきたら、楽になるために命じてしまうかもしれない。

 王は頭を抱えて青年を待っていた。

 王墓のレリーフが謁見の間から運び出されるのと同時に、王も部屋から出て刑場の方へと向かって歩いていった。

 現場に王が顔を見せた。しかし刑場からは歓声の一つも起こらない。どよめきも生じない。皆、待っているのだ。固唾を飲んで青年が駆け込んでくるのを望んでいる。

 王の手は震えて気持ちの天秤が揺れ始めた。

 そこに刑場から兵士が王の近くに寄ってきて、こう進言した。

「太陽はもう十分に沈みました。刑を執行します」

 王はどうしたら良いのか分からずに何も答えられなかった。

 兵士は震えた王の姿を見ると、その首の振動を首肯と捉えてしまった。

 このままでは石工が命を落としてしまう。

 王は声を上げて止めようとしたが、喉が閉じて細い声しか出ない。

 どんどんと兵士が刑場の方に進んで行ってしまう。

 そこで刑場の前をレリーフが横切って行ったのを見た。

 栄華の中で輝く自らの姿を目の当たりにして、一瞬だけ王の震えは頭から足先まで一気に収まった。

「その人を殺してはならぬ」

 絞り出したような命令が兵士の足を止めていた。

「何故です。あの者はまだ……いや、もう」

「メロスが来ないのだ。まだ来ないのだ」

 はっきりと告げたことで刑場に沈黙が生まれ、兵士は不満そうに引き下がっていった。

 これでいい。

 王は刑場の入り口付近に何か騒ぎがあるのを認めて、磔になりかけていた石工の近くに歩いていく。まるで王自身が磔刑に処されるかの如く。

 ああ、彼はやってきたのだ。

 これで彼らの友情は守られた。救済への祈念も届いたようだった。

 竹馬の友が乱暴な祝福を交わし合った後で抱き合い、王は赦しの言葉を投げかける。

 人が人を信じる姿を見届けながら、王はゆっくりと地面に膝をついていた。

 遅れてくる悲鳴。

 王にはやけに遠くに聞こえているような気がしていた。

 ぼたぼたと石畳に真っ赤な鮮血が垂れていく。

 それは青年に渡された緋色のマントより、今まさに空から消え去ろうとしている太陽の輝きよりも美しかった。

 王墓のレリーフはメロスと入れ違うように市を出て、夕闇の扉の中へとゆっくり仕舞われていくのだった。


(古伝説と、シルレルの詩、そして『走れメロス』から)


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邪智暴虐 Garanhead @urongahara

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