翌日になって王は臣下からの報告を受け、石工のこしらえたレリーフと対面した。

 レリーフは台座に乗せられて運ばれてきた。謁見の間にてそれを間近で見つめて、王は感極まって胸を押さえてしまった。

 何代にも渡ってこの国を統治してきた王たちの姿が並んでいる。

 その姿はまるで神話上の英雄であった。

 戦で国土を守った王は槍を持ち勇ましく、学識を駆使して国土を富ませた王は女神の口付けを受けており、徳のある政治で民に慕われた王は見るものを微笑ませるような笑みを浮かべる。

 この聖人たちの中に自分も加われるのであろうか。

 王はたちまち不安になってきた。

 しかし昨夜の石工の言う通り、王の彫刻はこれまで彼を支えていた信念を従えていた。平等と法とを愛する精神。王の側には賢者の証たる梟が彫られており、自らは書物に目を落としている。そしてその周りには法の支配を意味する天秤が書き加えられていた。

 あの石工は何もかもを捉えてくれている……。

 孤独なまま政(まつりごと)を牛耳っていた王は救われる思いがした。

 常に王の傍には石工が寄り添ってくれていたような気がしていた。

 孤独から解放された心地になり、王はさめざめと泣いていた。

 同席した臣下も当惑してどうしたら良いのか分からず、普段王の身の回りの世話をしていた下女を呼ぶ始末だった。

 石工の目利きは誤っていない。

 在位してからというもの、王はついぞ誰かのように国を統治したいとか、どんな王になりたいとか、相対的に自らの地位を判断してこなかった。憧れも目標もなかったのだ。

 だが今この神々しさを前にして王は湧き出てくる感情に抗えずにいた。

「この王たちに列せられる王になりたい。石工の彫ったこの王として、国の朽ちるまで君臨したい」

 歴代の王と並列に語られるような自分。後世にこの自らの姿を伝えていきたい。そう強く願うようになった。

 たちまち王は行動に移った。

 あの暴漢が戻ってくるとしたら明日。それまでに刑場を整えて、磔刑の準備を進めよと命じていた。捕らえている石工は明日の夕刻に殺す。

 そんな表向きの王の意向を表明しておく。

「やつは見せしめとして殺すのだ。見物の市民を多く参加させよ。出来るだけ近くで見せるのだ。刑場にも人を入れよ。立ち寄った旅の者や行商人でも構わぬ。歩き巫女も入れよ。できるだけにぎやかにして人を集め、祭りのようにせよ」

 迷いなく下知する。

 今、王が不特定多数の者と接触するのは身の危険がある。

 しかしながらそれで構わないのだ。

 刑場では二人の友情が確かめられ、人と人とが信じ合う空気に満たされるだろう。

 そこで王は二人の罪を許して……そして……。

 王は胸が苦しくなっていた。

 石工の提案通りにするということはつまり、明日には王も命を落とすことになるのだ。

 差し迫った命の危機は王の決意を鈍らせようとしていた。

 死を恐れぬ者はいない。

 よくよく考えてみれば馬鹿らしくないだろうか。

 命を捨ててまで名誉を得るというのは我ながら感心できない。

 いざとなれば石工とその親友を、約束を反故にしてその場で処刑してもいい。

 そうすれば王はレリーフからその姿を削り取られるかもしれないが、少なくとも後何年かは生き続けていけるのだ。

 王は葡萄酒が好きだった。今年の葡萄酒の出来はどうなのか、毎年のように楽しみにしていた。それも無事に味わえるだろう。

 しかし死んでしまっては元も子もない。天の国に葡萄酒が用意されているかは分からない。生きてこそ得られる生の実感は簡単に手放せるものではなかった。

 王はすっかり悩み疲れてしまい、遠くの空の雨雲を眺めながら、自らを殺すこの企てを見直すべきかどうか思案していた。

 時はすっかり深夜になってしまっていた。

 ふと王は自室から空模様を眺めていたのだが、雨上がりの下での夜空は静かな湖のように穏やかで深みを感じさせた。

 ベッドに潜り込んでから王はふと誰かに呼ばれているような気がした。自室をこっそり抜け出していく。

 どうやら謁見の間には例のレリーフが置かれたままになっているらしい。

 明日の夕刻には元通りに王墓まで運ばれる手筈になっていた。それまで王は自由にこの歴史的な傑作を堪能することができたのだ。

 王は各王の細部までを観察し始めていた。

 すると、レリーフの一部が妖しく輝き出していた。

 何か超常的な力が働いたのかと思ったが、何のことはない仕掛けだった。

 窓からの月光が彫刻に注いで光っているだけである。

 先ほどまで雲隠れしていた月が中天に顔を見せたらしかった。

 月明かりの中でレリーフからは影が浮かび上がり、生き生きとした王たちの姿がうっすらと現れるようになっていた。

「新参の王。何故、顔を曇らせるのかな」

「?」

 王は目を白黒させてしまっていた。

 レリーフがいきなり語り始めていたからである。

「我々は王たちの死の側面。王の化身。月光にさらされて人の子らは正気を失うようだが、我らは月の元で本当の理性ってものを獲得するのさ」

 自らを追い詰めすぎて錯乱状態に陥ってしまったのだろうか。レリーフから立ち上った影が動いて話しかけている。

「死が怖いのです。明日も自分が自分でいられないと考えるのが辛い」

「なるほど、王よ。なるほどだ。人の子だ。生は尊いもの。肉体的な快楽と決別するのは、考えるだけでその恐ろしいものな。恥ずかしくはないぞ。ふむ、我らも死の淵では苦しんだものだ」

 化身は王の心の内を全て理解していたようだった。

「ここに列せられた王らは後世のために自らを捧げて働いたよ。新参の王とて、その生涯は本来牧師として終えるものであったろう。だが、国の求めに応じて自らを投げ出した。自己本位とは真逆に位置する心意気。その命は既に定めを乗り越えているのだよ」

 一言を話すたびに月影が脈動するかのように膨らんで広がり薄くなり、やがて蟠った闇が凝固して再度言葉を音声として形作る。

「今はそなたこそが唯一の王だぞ。最後の大事を成すがいい。許すのだ。到底あり得ぬ取引をしたあの男は今、己の故郷でまどろみの中にいるぞ。明日はそなたを目掛けて矢のように飛んでくるだろうよ。彼を許すのだ。後世に王の威光を知らしめるのだ」

 月影の化身に勇気づけられた。

 石工の提案の通りにこの心臓、民へと捧げてやろう。

 手は相変わらず震えて仕方がない。それどころか全身がまるで真冬の城下で儀礼を行う際のように震えていた。

 それでも王は最後の最後に民の力を信じるのだ。

 この孤独が報われて永遠の化身として自らもレリーフの一部になる。

 明日は刑場であの親友同士が歓喜する様を見届けてやろう。

 大らかな声で罪を許し、王者の証を示すのだ。

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