第4章:黒塗りの船団



 退去期限の前日。

 ユウスケは、数少ない荷物を段ボールに詰めていた。中身はほとんどない。十二年間の空白は、持ち物の少なさが証明していた。


「ミリア。明日、役所の人に相談しに行く。お前は保護施設に入るんだ。……俺と一緒にいたら、本当に人生が台無しになる」


 ユウスケは震える声で言った。自分自身の無力さが、剣を振っていた時よりも鋭く胸を刺す。


「……ふざけるな。妾を、また一人にするつもりか? 殺しても離れぬと言ったはずじゃ! ユウスケがいない世界に、どんな価値があるというのじゃ!」


 ミリアが叫び、ユウスケの胸を叩く。その拳は弱々しく、悲痛なほどに熱かった。




 翌朝。

 アパートの前に、場違いな光景が広がっていた。

 一台、また一台と、威圧感のある黒塗りの高級セダンが狭い路地に停まっていく。


「おい相田! さっさと出て行け! 荷物なんか放り出して――」

 嫌がらせに来た権田が、その光景を見て言葉を失った。


 車のドアが開き、仕立ての良いスーツを着た男たちが整列する。

 最後の一台から降りてきたのは、白髪混じりの、厳格そうな老紳士だった。


「……あ、相田君。相田ユウスケ君か!」

 老紳士が、ボロアパートの一階を見上げて叫ぶ。


「……加藤会長? なぜ、ここに」

 ユウスケの記憶が蘇る。十二年前、彼が勤めていたソフトウェア会社の創業者だ。




「なんだなんだ、借金の取り立てか? ほら見ろ、やっぱり相田はロクな人間じゃない。会長さんとやら、こいつはとんでもない変態ですよ!」


 権田が擦り寄るが、会長はそれを一瞥もせず、ユウスケの前で深々と頭を下げた。


「探したぞ、ユウスケ君! 君が失踪直前にサーバーに残していった、あの『自己増殖型最適化コード』……あれが、今のAI技術の根幹になっているんだ!」


 周囲が静まり返る。


「権利関係を整理するのに時間がかかった。だが、君の生存が確認され、裁判所もようやく君の独占的権利を認めた。君の個人口座には、十二年分の特許使用料、未払い役員報酬、そして遅延損害金……」


 会長はタブレットの画面をユウスケに見せた。

 そこには、現実味のない数字が並んでいた。


「……三十億? 三十、億円……?」


「そうだ。これは第一弾に過ぎん。君が戻れば、我が社のCTO最高技術責任者として迎える準備もできている。どうか、世界を変えたその腕を、もう一度貸してくれないか?」


 権田の顔から、一気に血の気が引いた。

「さ、三十億……? 嘘だろ、そんな、ただの無職のロリコンが……」


 ユウスケは、ゆっくりと権田に向き直った。

 かつて魔王を射抜いた時のような、鋭い視線。


「大家さん。退去しますよ。言われなくてもね」


「あ、いや、相田さん! あれは冗談というか、自治会長としての義務で……!」


「こんな狭い部屋、妻(予定)には相応しくありませんから」


「つ、妻ぁ!?」

 権田の叫びを背に、ユウスケはミリアの手を力強く取った。


「行くぞ、ミリア。もう、カップラーメンじゃない飯を食べさせてやる」


「うむ! どこまでも、お供するのじゃ、旦那様!」


 黒塗りの車列が、ボロアパートを後にする。

 泥を投げつけてきた世界が、今、彼らの足元にひれ伏していた。


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