第6話「実態調査」
昨日、俺の心に生まれた得体の知れない感情。それは、怒りでも、喜びでもなかった。
俺が信奉する全ての論理を、天真爛漫な笑顔と純粋な好奇心という最も非論理的な武器で打ち破ってきた若宮蒼奈という脅威に対し、俺は無防備すぎた。
「あの女は、パターンC(純粋な非論理的行動)では片付けられない」
俺は、鉛筆を強く握りしめた。論理で勝てないのなら、相手の論理を完全に解体するしかない。
若宮蒼奈。学園のマドンナという絶対評価の地位にありながら、『雑巾』の俺に関わるという最大のリスクを取る。彼女の言動には、悪意が見当たらない。しかし、それは、彼女がより高度で複雑な悪意を隠し持っている可能性を示唆する。
俺は、自分のノートの表紙に『研究』という二文字を書き込んだ。これは、若宮蒼奈の『研究』に対する、俺からの論理的な反撃だ。
『若宮蒼奈の論理的解体(解剖)記録』
目的:マドンナ若宮蒼奈の行動原理を分析し、論理的な矛盾と女性不信を揺るがす非論理的な「器の大きさ」の源泉を特定する。これにより、彼女の介入を予測可能とし、論理的な排除プロトコルを構築する。
春馬は、隣の席で読書をしている蒼奈へ、冷徹な視線を向けた。
「いいか、若宮」
蒼奈は本から顔を上げず、楽しそうに「はい、研究対象さん」と答えた。
「俺は、君の幼稚な『研究』に対抗し、今日から君を観察対象とする。君の行動、言動、全てを記録し、論理的に分析する。君の『器の大きさ』という非論理的な特性が、単なる高度な自己演出であることを証明してやる」
蒼奈はそこで初めて本を閉じ、春馬の不敵の笑みと、その裏にある必死な闘志を見据えた。
「ふふ。いいよ、春馬くん」
彼女は満面の笑みを浮かべた。
「私を『研究対象』にしてくれるんだね! 光栄だわ! 研究者さん!」
そして、彼女は春馬のノートを覗き込むように顔を近づけた。
「でもさ、『論理的な矛盾』を見つける研究って、愛がないと、つまらないんじゃない?」
春馬の思考回路に、『愛』という単語が入力された瞬間、脳内で激しいエラー音が鳴り響いた。
愛?
この女は何を言っている? 俺の論理的辞書に、その単語は存在しない。それは、人間の感情の中で最も不確実で、裏切りやすく、そして最も非効率的な、架空の概念だ。俺の人生は、その架空の概念を信じたがゆえに、論理の破綻と悪意に彩られてきた。
春馬は、怒りを通り越し、理解不能な脅威に直面したかのように顔を歪ませた。
「君の言葉は、論理を逸脱している。君が今口にした『愛』という単語は、客観的な定義が存在しない。俺の観察は、感情論ではない、破綻のない真実の証明が目的だ。その非論理的な概念を、研究に持ち込むな!」
俺は、まるで汚染物質を拒絶するかのように、冷徹な声で『愛』という言葉を否定した。
「やっぱりね」
蒼奈は、春馬の激しい拒絶反応に対し、納得したように頷いた。まるで、それが彼女の研究結果の一つであるかのように。
「でも、春馬くん。『客観的な定義が存在しない』からって、『存在しない』ことにはならないよ?」
蒼奈はそう言うと、持っていた辞書を取り出し、春馬の目の前に広げた。
「ほら。ここに『愛』って言葉、載ってるよ。定義もちゃんとある。『特定の相手を大切に思う気持ち』だって。……春馬くんは、辞書の論理すら否定するの?」
春馬は、その辞書に載っている『愛』という言葉を見て、再び言葉を失った。
「研究を始めるなら、まずは辞書の真実を認めることからじゃない? 研究者さん?」
「……幼稚な詭弁だ。定義が存在したとしても、その実効性と再現性はゼロだ。時間の無駄だ」
俺はそう吐き捨てると、蒼奈を「予測不能な非論理的脅威」として完全に定義し直した。この脅威に対抗するには、感情的な拒絶ではなく、徹底的な論理的解体しかない。
俺は、蒼奈の挑発的な言動を無視し、目の前の
『若宮蒼奈の論理的解体記録』というノートに意識を集中した。ここからは、感情を介在させない、純粋な観察と分析の時間だ。
「いいか、若宮。俺の分析には、君の承諾も感情的な応答も不要だ」
俺は冷ややかに言い放ち、一呼吸置いた後、隣の席の若宮蒼奈という存在を、まるで解剖台のサンプルでも見るかのように、冷徹な視線で舐めるように観察し始めた。
観察記録開始:マドンナの絶対性
俺がまず分析すべきは、彼女の『絶対評価』の根拠、そしてそれが俺の『女性不信』という防御壁に与える影響だ。
1.外見的要因(容姿端麗の絶対性)の分析
春馬は、蒼奈の見た目を、感情を一切含まないデータとして記録する。
対象:若宮 蒼奈
項目:外見的要因(容姿)の絶対性
特徴の観察: 黒髪ロングヘアー、ハーフアップと呼ばれる髪型。顔のパーツ配置は極めて平均値が高く、客観的な美の基準をクリアしている。
論理的評価: 俺は女性不信であるがために、女性の内面(悪意)を信じることはできないが、外的な事実を認めることはできる。彼女の容姿は、周囲の人間が『マドンナ』と定義するに足る論理的な根拠となり得る。この事実は、最初に周囲が蒼奈を持ち上げているだけだという俺の仮説を否定し、彼女の地位が相対評価ではなく絶対評価であることを裏付けている。
結論: 女性の裏切りは、外見的美醜とは独立した要素である、という俺の定理を補強するデータとなる。ただし、この美貌が彼女の『純粋な非論理的行動』を許容させている可能性は、無視できないバイアスとして記録する。
2.社会的要因(成績・特技の絶対性)の分析
次に、彼女の社会的な地位の裏付けとなる要素を分析する。
対象:若宮 蒼奈
項目:社会的要因(文武両道・成績)の絶対性
事実の観察: 定期テストで毎回トップを維持。これは『成績優秀』という評価を論理的に裏付ける。また、芸能事務所からのスカウトが多いという情報は、『容姿端麗』と『市場価値の高さ』という二重の社会的証明となっている。
論理的評価: この事実は、『俺の学園にいること』の非効率性と低コストを指摘する。彼女ほどの絶対評価を持つ人間は、より社会的メリットの高い環境を選ぶのが論理的最適解である。なぜ彼女が、この平凡な学園に留まり、さらに『雑巾』の俺というリスクを冒すのか?
矛盾点の抽出: 彼女の「現状維持」という選択は、絶対評価を持つ人間の行動原理と矛盾する。この矛盾点こそが、彼女の『真の動機』**を見つけ出す鍵となる。この動機が、パターンA(高度な悪意)である可能性を再検証する必要がある。
3.行動的要因(天真爛漫の非論理性)の分析
最後に、彼女の性格的な特性を、昨日のデータと照らし合わせて分析する。
対象:若宮 蒼奈
項目:行動的要因(天真爛漫)の非論理性
事実の観察: 俺の論理的な拒絶と侮辱に対し、感情的な反発をせず、『面白さ』という自己満足的な主観で対抗する。彼女の表情には、悪意が検出されない。
論理的評価: この『悪意の欠如』は、女性不信の俺にとって、最も処理が難しいデータである。悪意がないということは、裏切りのリスクがないのか? いや、予測不能な行動リスクに直結する。なぜなら、純粋な好奇心は、論理的なブレーキを持たないからだ。
結論: 若宮蒼奈は、『絶対的な論理的強さ(成績・容姿)』と、『絶対的な論理的弱さ(非効率的な好奇心)』を同時に持つ、矛盾した存在である。この矛盾こそが、彼女の『器の大きさ』の源泉であり、俺の女性不信を揺るがす最大の脅威だ。
春馬は、ペンを置き、深い息を吐いた。ノートには、蒼奈の存在を解体するための緻密なデータが書き込まれていた。
「……若宮蒼奈。君の論理的矛盾は、俺が必ず見つけ出す」
俺は、隣で静かに読書を続ける絶対評価のマドンナに、冷徹な勝利を宣言した。それは、彼女の非論理的な強さを認めた上で、自ら仕掛けた論理的な宣戦布告だった。
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