第5話

 カイトは肩に食い込んでいた背負い袋のストラップをゆっくりと滑らせ、使い古された革の擦れる音を静寂の中に響かせながら、それを床に降ろした。袋の口を開け、ガラクタの山をかき分けるようにして取り出したのは、森の奥深くで収穫したばかりの、掌に乗るほどの大きさの果実だった。それは深い紫色の皮に包まれ、遺跡の乾燥した空気の中でも瑞々しい香りを放っている。


「これ、お近づきの印にさ。食べてみてよ。俺の今日のおやつにするつもりだったんだけど、君に半分……いや、一個全部あげるよ」


 カイトは屈託のない笑みを浮かべ、その小さな果実をルルの方へと差し出した。


 ルルは、差し出されたその色鮮やかな果実を前にして、まるで壊れ物を扱うかのように指先を震わせた。彼女の手のひらはカイトの何倍も大きく、その指先が果実を摘み取る様子は、まるで大樹の枝が小さな木の実を拾い上げるような、奇妙な対比を描き出している。無事に果実を受け取ったものの、彼女はどう扱ってよいのか分からず、蒼い瞳を左右に泳がせては、果実とカイトの顔を交互に見つめてオロオロと戸惑うばかりだった。


「あ、食べ方が分からなかったか。こうやるんだよ、見てて」


 カイトは自分の分の果実を一つ取り出すと、豪快にがぶりと齧りついた。パチンとはじける皮の音と共に、甘酸っぱい果汁が彼の口いっぱいに広がる。もぐもぐと咀嚼し、喉を鳴らして飲み込む動作を、ルルは一瞬たりとも見逃すまいと、その大きな瞳を見開いて凝視していた。


 やがて、彼女は決意を固めたように、細い指で持っていた果実を唇へと運んだ。 カイトにとっては二口、三口で食べる大きさだったが、彼女が控えめに、けれど見よう見真似で勢いよく齧りつくと、その一口で果実の半分以上が消えてしまった。口の中に広がる、千二百年以上もの間忘れていた「生命の味」。新鮮な糖分と酸味が眠っていた彼女の感覚を優しく叩き起こしていく。


「……お、おい……美味しい…………です……っ」


 咀嚼するたびに、彼女の頬が微かに緩んでいく。残りの半分も、今度は慈しむようにして口に放り込み、彼女は生まれて初めての幸福を噛みしめるようにして完食した。カイトはその満足げな食べっぷりを見て、「だろ? 良かったよ」と声を漏らし、自分も残りの果実を食べ進めた。二人の間に流れる時間は、先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように、穏やかで温かなものへと変わっていた。


 果実を食べ終え、指先を拭ったカイトは、ふと思い出したようにルルを見上げた。


「……それで、ルル。これから、どうするつもりだ? 行く当てとか、あるのか?」


 その問いに、ルルの表情は一瞬で曇った。彼女は自分の大きな身体をさらに小さく丸めるようにして、膝を抱えた。


「わ、分かりません…………。わたし、は……なにも……なにも、持って、いなくて…………。外の世界、は……ルルに、とって……こ、怖い、場所……か、かも……しれなくて…………」


 自分は『魔女』と呼ばれた兵器であり、1200年という気の遠くなるような時間を置き去りにされた、孤独な落とし子なのだ。未来を描くための絵の具を何一つ持たない彼女の肩が、不安に押しつぶされそうに震える。


 カイトは、そんな彼女を放っておくことができなかった。村長夫妻から教わった「助けを求めている奴がいたら手を貸せ」というシンプルな教えが、彼の背中を押す。


「……なあ、ルル。もし、君さえ良ければ、だけどさ。俺と一緒に来るか?」


「え…………?」


「君が魔女だって言ったのは、正直驚いたし、ちょっと怖かった。でも、さっきの食べっぷりを見て確信したよ。君は全然、悪い奴じゃない。そんなに悲しそうな顔をしてる奴を、ここに一人で置いていけるわけないだろ?」


 ルルは驚愕に目を見開いた。自分のような巨大で不気味な存在に、この小さな少年は居場所を与えようとしている。


「で、でも……カ、カイトさま……わ、わたし、は……」


 ルルの言葉を聞いたカイトは、むず痒そうな表情で頭を掻いた。


「ん……その、『カイトさま』っていうのは止めてくれ。なんだか偉い人になったみたいで落ち着かないよ。俺はただのスカベンジャーだし……『カイト』でいいよ。呼びにくいなら、くん付けでもいいから」


「カ、カイト……くん…………?」


「そう。……外にはさ、今の果実よりも、もっと美味しいものが山ほどあるんだ。村のおばちゃんが作るスープとか、おじいちゃんが焼くパンとかさ。……それを、ルルにも食べてほしいんだよ」


 美味しいものが、いっぱいある。 その言葉は、何よりも強くルルの背中を押した。カイトが差し出したのは、食料だけでなく、彼という存在への信頼そのものだった。ルルは何度も迷うように視線を彷徨わせたが、最後にはカイトの瞳にある揺るぎない輝きを信じるように、ゆっくりと、けれど力強く頷いた。


「……はい…………っ。カ、カイトくん……と、一緒に……いきたい……です…………!」


 まだ弱々しくはあるが、確かに未来を見据えたその言葉と共に、ルルはカイトの隣で、新しい人生の第一歩を刻む決意を固めるのだった。

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巨大な魔女様(230cm)は僕の隣でぷるぷる震える。 〜不器用すぎて初級魔法が全部オーバーキル〜 鴻圭介 @otori003

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