第3話

「こ、こ、ここは……っ、ど、どこ、ですか……っ!? あ、あな、た……だれ、ですか……っ。わ、わたし……わ、わたしは……だ、だれ、な、なんなんですかぁっ!」


 物陰から漏れる女性の声は、恐怖に震える小鳥の羽ばたきのように、たどたどしく、それでいて必死な切迫感を伴って部屋の壁に反響した。彼女が言葉を重ねるごとに、円筒形の静謐な部屋に異変が生じ始める。


 まず異変を感じたのは、足元だった。


 床に堆積していたわずかな塵が、風もないのに意思を持ったかのようにふわりと浮き上がり、重力を無視して宙で渦を巻き始めたのだ。さらには、壁際に並ぶカイトには到底理解の及ばぬ複雑な意匠の機械たちが、悲鳴のような金属音を立ててガタガタと激しく震動し始める。目に見えぬ巨大な手が部屋全体を揺さぶっているかのような、奇妙で不気味な圧力。カイトは自分の体が、まるで深い水底に沈められたかのように重く、あるいは浮き上がるような錯覚に翻弄されるのを感じた。


 それが彼女の、制御を失った「重力魔法」の余波であることなど、今のカイトには知る由もない。ただ、目の前の大きな女性が、今にも泣き出しそうなほどに怯えきっていることだけが、痛いほどに伝わってきた。


「待って、待ってくれ! 落ち着いて! 俺は怪しい奴じゃないんだ!」


 カイトは激しく震動する床をしっかりと踏みしめ、首にかけた大きなゴーグルが暴れないよう片手で押さえながら、精一杯の大きな声を張り上げた。


「俺の名前はカイト。スカベンジャーをやってるんだ。……ええと、上にある別の通路を歩いてたんだけど、変な床を踏んだら、いきなり光に包まれて……気づいたらこの部屋にいたんだよ。君を攻撃したり、捕まえたりするつもりなんて、これっぽっちもない。誓うよ!」


 必死に両手を広げ、敵意がないことを示すカイト。彼の瞳には、巨大な「魔女」への恐怖ではなく、途方に暮れる一人の人間を案じる、純粋な優しさが宿っていた。


 女性は物陰から、こぼれ落ちそうなほど大きな蒼い瞳を泳がせ、カイトの顔を穴が開くほど凝視した。その視線は、自分を害する嘘がないかを探るように揺れていたが、やがてカイトの必死な表情に毒気を抜かれたのか、微かに震える唇を開いた。


「ほ、ほん……ほんとう、に…………お、襲って、こない……ですか? た、たべたり……し、しない……ですか?」


「ああ、もちろんだ。約束するよ」


 カイトは、育ての親である村長夫妻から受け取ってきたような、太陽のように温かな笑顔を浮かべた。その無垢な肯定が、女性の凍りついた心を、春の陽光のようにゆっくりと解かしていく。


 その瞬間、部屋を支配していた異様な圧力が、霧散するようにふっと消え去った。宙を舞っていた埃は重力に従って静かに床へと舞い戻り、狂ったように震えていた機械たちも、何事もなかったかのように沈黙を取り戻す。部屋は、再び元の静かな聖域へと還っていった。


「……ふぅ。今のは、地震だったのかな……」


 カイトは冷や汗を拭いながらホッと大きく息を吐き、改めて、まだ物陰から半分以上体を出したまま縮こまっている彼女へと視線を向けた。


「なあ……ここがどこなのか、とか、自分が誰なのか、とか……さっぱり分からないのか?」


 カイトの問いかけに、女性は悲しげに眉を下げ、潤んだ瞳を伏せた。そして、自分の大きな膝を抱きしめるように力を込めると、消え入りそうな動作で、ゆっくりと、深く頷いた。

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