第2話

 静寂が支配する円筒形の聖域で、カイトの心臓の鼓動だけがやけに大きく響いていた。


 ライトの光に縁取られたその肢体は、童話の中に登場する、山を跨ぎ海を渡るという伝説の巨人族の末裔を想起させる。少なくとも、現代の人間としてこれほど大きな女性が存在するなど、カイトの常識では計り知れないことだった。透き通るような白磁の肌に、光を吸い込むような銀の髪。そして、古の布地を限界まで引き絞り、隠しきれない豊かな曲線を描くその圧倒的な肉体美は、美しさよりも先に、生物としての格の違いを少年に突きつけていた。


 カイトはごくりと唾を飲み込み、震える足で一歩、また一歩とその「眠れる巨躯」へと近づいていく。彼女がただの石像ではないことを確かめるように。あるいは、この非現実的な光景が夢ではないと証明するために。


 その時だった。


「…………る、るるるるる……る……」


 彼女の胸の奥から、言葉とも、あるいは精緻な機械が唸りを上げる駆動音ともつかない、不思議な残響が漏れ出した。


「うわあぁっ!?」


 静寂を切り裂くその「音」に、カイトは弾かれたように飛び退き、床に激しく尻餅をついた。投げ出されたライトが床を転がり、部屋の輪郭を不規則に揺らす。カイトは逃げ出そうとする本能を必死に抑え込み、首にかけた父のゴーグルをぎゅっと握りしめて、目の前の異変を凝視した。


 銀の髪がさらさらと崩れ、横たわっていた女性の長い睫毛が震える。やがて、重い幕が上がるようにパチリと瞼が開かれた。そこには、深海のように透き通った蒼い瞳があった。彼女は焦点の定まらない目で天井を見つめると、ゆっくりと、まるで錆びついた歯車が動き出すかのような重々しい動作で、その大きな上体を起こした。


「ろ、ろぐ……か、確認…………。せ、せっとあっぷ……を、か、かいし……しま、す…………」


 その唇から漏れたのは、歌うような心地よさと、どこかたどたどしいぎこちなさが混在する声だった。


「…………す、すりーぷ……かいし……から……せ、せん、にひゃく……ねん…………い、以上、が……け、経過……。め、めもり……えらー……こ、個体名……ふ、不明…………発声、機能……に、一部えらー……い、いしそつうに……もんだい、なし……か、解決、ゆ、優先度……低……に、せ、せってい…………」


 途切れ途切れに呟かれる言葉。彼女は自分の頭を抱えるようにして、記憶の断片を必死に繋ぎ合わせようとしているようだった。1200年――。そのあまりにも膨大な時の流れを示唆する言葉に、カイトは息を呑む。自分が今対峙しているのは、文明の崩壊を、そして国の興亡を、ただ眠りの中で見届けてきた存在なのだ。


 やがて、独り言のようなセットアップを終えた彼女は、長い銀髪を揺らしながら、ゆっくりと部屋を見渡した。どこか怯えたような、不安げな視線。それが部屋の隅、ライトの光の輪の中に座り込んでいる小さなカイトを捉えた。


「…………っ」


 ルルの動きが、ピタリと止まる。 蒼い瞳が大きく見開かれ、驚愕に染まっていく。


「あ、あの──」


「ひゃ、ひゃあああああああっ!!」


 空気を震わせるような悲鳴にカイトは身を竦ませた。彼女は弾かれたように跳ね起きると、その巨体に似合わない俊敏さで、部屋の隅にある謎の機械のような突起物の陰へと飛び込んだ。


 だが、彼女の身長は230センチメートルという規格外の大きさだ。 膝を抱え、少しでも体を小さく見せようと丸まっているものの、豊かな胸元や、ボロボロの布地から剥き出しになった白く太い腿、そして圧倒的な存在感を放つ背中が、遮蔽物から大きくはみ出している。


「あ、あ、あの……わ、わ、わたし……な、なにも……し、してない……です……っ! た、たべないで……く、ください……っ!!」


 物陰に頭だけを隠し、はみ出した大きな身体を震わせながら、彼女はどもりがちな声で懸命に訴える。時折、物陰から大きな片目だけをのぞかせ、恐る恐るカイトの様子を伺うその姿は、まるで嵐に怯える小鳥が、不釣り合いに巨大な身体を持ってしまったかのような、奇妙で、そしてどこか愛らしい光景だった。


 カイトは呆然としていた。巨人族の末裔か、あるいは恐ろしい怪物か。そう身構えていた目の前の存在が、自分よりもずっと臆病で、内気な少女のような心を持っていることに、彼はただただ目を丸くするしかなかった。

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