第3話
その夜、街は暴力的なまでの豪雨に打たれていた。叩きつけるような雨音は、地上のあらゆる音を掻き消し、文明の脆さを嘲笑っているかのようだった。
香織は、ずぶ濡れになりながらも『まほろば』へ辿り着いた。カウンターに座る男は、雨など最初から存在しないかのように乾いていた。琥珀色のコートは、闇の中で微かな光を放っているようにさえ見える。
「……こんな夜に、わざわざ川の底へ来るとは」
男の言葉に、彼女は震える手で温かい琥珀色の茶を啜った。
「川の底?」
「そうだ。この街はかつて、私の庭だった山を削り、川を埋め立てて作られた。ここは、埋もれた水の記憶が溜まる場所だ」
男は窓の外の闇を見据えた。その金色の瞳が、一瞬、縦に割れた。
彼は淡々と語り始めた。かつて自分は「野槌」と呼ばれ、山に棲む主であったこと。人間たちが森を切り拓き、土をコンクリートで固めたことで、力の大半を失ったこと。
「お前たちが一世代、二世代と入れ替わる間、私はただ、この場所が色を変えていくのを眺めていた。かつては木々の囁きを聞いていたが、今はビルの鉄骨が軋む悲鳴を聞いている」
香織は、彼の言葉を現実のものとして受け止めていた。彼の周囲だけ、時間が澱のように沈殿しているのがわかるからだ。
「私にとって、お前の命など一晩の夢に過ぎない。明日には消えていてもおかしくない、儚い灯火だ」
その言葉は残酷だったが、男の横顔には深い孤独が刻まれていた。
愛しみよりも遠い、観察者のような眼差し。けれど彼は、その「一晩の夢」に過ぎない彼女の隣に、こうして夜な夜な座り続けている。
「……それでも、あなたはここにいるんですね」
「……酔狂なことだ。お前のその、今にも消えそうな熱が、たまに酷く眩しく見えるだけだ」
男は自嘲気味に目を伏せた。
香織は気づいていた。彼が自分を見つめる時、その瞳の奥には、かつて彼が愛したであろう、今は亡き美しい山々の残像が映っていることを。
人間とあやかし。
共有できるのは、この地下室に流れるわずかな時間だけだった。
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