第7話:ダスク
その日の午後。ミッカが読書に夢中になっていると、買い出しから戻ってきたダーナが、買ってきたミッカの新しい服や下着を見せてくれた。シンプルな無地の紺色のワンピースと、それからこっちはよそ行き用よ!と言って、深い緑色に小花のかわいらしい柄が入ったワンピースの2着で、どちらのデザインも長袖のロングスカートであり、特に紺色の方は、元々着ていた服にそっくりだった。それに、「肌寒い時はこれを着なさいね」と、どちらのワンピースにも合いそうな、灰色の暖かそうなカーディガンも用意してくれた。どれもゆったりとしたデザインだったし、ワンピースのウエストも伸び縮みするタイプだったので、今は試着は出来ないが、恐らくそのまま着られるだろう。
着る服に特別なこだわりの無いミッカでも、自分の為にダーナさんがこんなにかわいらしい服を選んでくれた、という想いも手伝って、ミッカは文字通り泣いて喜んだ。感激して、少しだけ泣いた。もちろん、嬉し泣きだ。あーら、これくらいで泣かなくってもいいのよ、それよりそんなに気に入ってもらえたんならよかったわ、とダーナは笑って、背中を丸めて自分の膝に泣き顔を伏せるミッカの背中を優しく撫でてくれた。温かい手は心まで撫でてもらっているようで、ミッカは顔を上げて笑った。
下着は、普段使い用をいくつかと、それからこちらも、特別な時はこれをつけなさいね、と、よそ行き用の、普段使いのものよりずっと華やかでかわいいデザインのセットのものまで用意してくれた。普段使い用は、ミッカが今まで身につけていたものとこれまたそっくりで、使いやすさ重視のシンプルなデザインが嬉しかった。よそ行き用の下着はたしかにかわいかったが、今まで生きてきた中で、誰かの目に触れないような場所を着飾るという経験が全く無かったので、あまりしっくり来なかった。首を傾げていると、お出掛けする時はこれをつけて行けばいいわよ、とダーナが笑った。やっぱりよく分からないが、言う通りにしてみようと思った。
すぐに着られるようにと、ダーナがワンピースをハンガーにかけておいてくれた。特に華やかな小花柄のワンピースが目に入ると、ミッカの心も弾んだ。その後も夕食の時まで読書をして過ごしたが、たまに小花柄のワンピースをチラリと見ては、その度に嬉しさで笑みをこぼしていた。
ダーナが作って持ってきてくれた夕食を食べて、その後は読書を再開しながら、またマヨイが訪ねてくれるんじゃないかと少し期待したが、その日はやって来なかったので、寝る前のお祈りを済ませて、いつもの時間に就寝した。
それから一夜明けて、早朝。ミッカはいつものように自然と目を覚ました。
体の具合を確かめると、嬉しいことに遂に自力で足を動かせるようになっていた。腕も、足も、全身どこでも、もう自由に動かせる。思ったように力が入るから、体を起こすことはもちろん、立って歩くことすら出来る。
ミッカはベッドから出ると、伸びをして、軽く準備運動をするような動きをした。しばらくベッドから出られないでいたので、体が動かせる素晴らしさをよく味わっていた。
ミッカはドアの鍵を閉めると、まずは着替えて、朝の身支度を整え始めた。着ていたバスローブを脱いできっちりと畳むと、普段使い用の下着一式と、紺色のワンピースに身を包む。思った通り、着心地は素晴らしいものだった。今まで着てきた服にそっくりだったので、この体に大変よく馴染む。サイズもピッタリだ。
姿見の前で全身を確認する。見慣れた自分が、そこにいた。鏡の中の自分に微笑んでみると、当然だが、鏡の中の自分も微笑み返してくれた。
鏡の近くにヘアブラシがあったのでお借りして、昨日ダーナから貰ったヘアゴムを使って、また髪を結った。後頭部の下の方で、シニヨンにまとめる。これで完璧に、いつもの自分へと戻ることが出来た。修道院での過ごし方を思い出し、身が引き締まるような気分になる。
それからミッカは思い出したように、ベッドサイドテーブルに置いておいた眼鏡を掛けて、また姿見の前へ行った。眼鏡を掛けた自分の顔を見てみる。元から自分の持ち物だったみたいに、掛けた姿は自然で、違和感が全く無い。私って眼鏡が似合うのかもしれない、ということを、ミッカはこの時生まれて初めて知った。視界は良好。改めて、この眼鏡を大切にしようと心に誓った。
さて、それじゃあまずは何をしようかな、と考えていると、ドアをノックする音が聞こえてきた。ミッカの胸が高鳴る。こんな時間に訪ねてきてくれるのは、きっとあの人くらいしかいないだろう。
「ミツカ、起きているか?」
「はい!起きてますよ、どうぞー!」
「……ん?鍵が掛かってるな」
「あ!今お開けしますね!」
ミッカが返事をすると、ドアノブを回す音、そして困惑したような声が聞こえてきたので、慌ててドアに駆け寄り、鍵を開ける。ドアを開けると、案の定マヨイが立っていた。
「おはよう、ミツカ」
「おはようございます、マヨイ様!」
ミッカの元気そうな姿を見て、マヨイはぎこちなくとも嬉しそうな笑顔になってくれた。ミッカも微笑む。
「すみません、着替えをしていたもので、だから鍵を閉めておりました!」
「ああ……そうか、そうだよな。着替えたのか。よく、姿を……見せてくれないか?」
「はい!」
マヨイを部屋の中へ案内しながら、ミッカはクルリと回って見せた。裾の長いスカートが翻り、ミッカはそれを両手で軽く持ち上げると、膝を少し屈めて優雅な仕草でお辞儀をした。顔を上げたミッカは、はにかむように笑っている。
「かわいいな」
「えっ!ありがとうございます!」
ストレートに褒められて、ミッカは少しびっくりしてしまった。軽く目を見開いた後でますます照れたように笑うと、マヨイもつられて照れたのか、視線を逸らしてから、咳払いをひとつ。
「……着替えはひとりで?もう立って歩くことも出来るんだな」
「はい!ご覧の通り、もうすっかり元通りです!大変お世話をお掛け致しました!」
そう言ってミッカが深く頭を下げると、マヨイはそっと、頭を撫でてくれた。結った髪が崩れないように、髪の流れに沿って。
「髪型も違うな、これも自分で?」
「はい!私、これがいつもの髪型なんです」
マヨイに頭を撫でてもらうと、なんとも言えない高揚感に包まれる。とても嬉しい気持ちになる。そんなミッカの気持ちが分かるのか、マヨイもよく頭を撫でてくれる気がする。
立ち話も何だしと、マヨイにはベッドの傍の椅子を勧めてそこに座ってもらうと、ミッカはベッドの縁へと腰掛けた。
「あ、部屋にあったブラシをお借りしました!ヘアゴムはダーナさんから頂いて!」
「ああ。この部屋にあるものは、何でも自由に使ってくれて構わない。ここはもう君の部屋だ」
「よろしいのですか!?本棚の本を自由に読んでも!?」
「ああ、もちろん。昨日は読書をして過ごしていたのか?」
「はい!すっかり夢中になってしまいました!どの本もとっても面白くて!」
「退屈してなくてよかったよ。昨夜は会いに来られなくてすまなかったな」
「いえ!マヨイ様もきっとお忙しいのですよね、今こうして会いに来てくださっただけで十分です!」
「いや、昨日は……」
「……?」
「……寝坊したんだ。依頼人と会う約束があったのに、遅れそうになって……まあ、それは何とか間に合ったんだが。けど、そのせいで君に会いに来られるだけの余裕が無かった」
……会いに来たかったんだ、本当は。マヨイはそう続けたかったが、口に出すと照れてしまうだろうから、その言葉は飲み込んだ。
「まあ!……あの、マヨイ様も本当は体調が優れないのでしょうか……?」
「いや、平気だ。何ともない。寝坊したのは、ただ俺が抜かっただけだ」
「あっ……あの、私が昨日、就寝される予定のマヨイ様を長く引き止めてしまったから……?」
「違うよ。本当に、君が気に病む必要なんか無い。普段は滅多に寝坊なんかしないんだが……昨日は少し涼しかったから、包まってた毛布が気持ちよくて起きられなかったのかもな。久々に、ダスクに叩き起こされて冷や汗をかいたよ」
「ダスク……?」
「ああ、言ってなかったか。ダスクは、俺の飼い犬の名前だ」
「そうか!ワンちゃんがいらっしゃるのでしたね!」
ミッカは思わず身を乗り出した。その目はキラキラと輝いている。その様子を見て、マヨイがフッと笑う。
「君は本当に犬が好きなんだな。自由に歩けるようになったなら、これからダスクに会ってみるか?」
「え!よろしいのですか!?」
「ああ」
「……あっ、でも……こんな早朝に会いに行ったら、ダスクちゃんもご迷惑なんじゃ……」
「ダスクちゃん……。……あ、いや、ダスクもさっき俺と一緒に仕事から帰ってきたところだから。きっとまだ起きてるよ。俺と一緒に寝起きすることが多いから」
「そうですか……!?で、でしたら……!でしたら、是非……!!」
「うん。じゃあ一緒に行こうか。ただ、前も言ったが、俺以外には懐かない気難しい奴なんだ。威嚇されたり、吠えられたりしてしまうかもしれない。だから、あんまりかわいげが無いかもしれない。君に怪我をさせるようなことだけは、絶対にさせないつもりではいるけど」
「平気です!前も言いましたが、私、それでもきっと好きになりますから!」
「……ん、分かった。じゃあ一緒においで。今なら多分、俺の寝室にいると思う」
「はい!」
マヨイが椅子から立って、誘うようにミッカに片手を差し伸べる。ミッカはその手に手を乗せて立ち上がると、マヨイと手を繋いだまま部屋を出た。
思い返してみると、ミッカはこの家に来てから、あの部屋を出るのは初めてだった。部屋を出ると廊下があり、隣の部屋がマヨイの寝室なのだそうだ。マヨイの自室は寝室の向かいにある部屋で、廊下の突き当たりがリビングダイニングになっているそうだ。想像していた以上に広々とした家のようだった。君の部屋はここだから、それだけは覚えておいてくれ。マヨイにそう言われて、ミッカは頷いた。
ミッカの部屋にあるものとよく似たマヨイの寝室のドアを、マヨイが無遠慮に開ける。マヨイの顔を見たダスクが、寝転がった状態からすぐに立ち上がり、しっぽを振って寄ってきたが、その後ろにミッカがいることに気が付くと、途端に鼻先に皺を寄せて牙を剥き、グルルル……!と唸り始めた。
「あ、あの……ダスクちゃん、おはようございます」
「ガウッ!!」
「ひゃっ!!」
「ワンワンッ!!ワンッ!!」
「ダスク!」
ミッカがダスクの威嚇姿勢にも怯まずにマヨイの後ろから声を掛けると、ダスクは怒り狂ったように吠え立てるので、マヨイはミッカを庇うように手を広げながら、注意するようにダスクの名を呼んだ。
「落ち着け、吠えるな。うるさい」
「ウーーーッッッ……」
吠えるなという命令を聞き入れたのか、ダスクは低く唸るだけの状態になった。威嚇している表情は変わらなかったが。
「わあ、ダスクちゃん賢い!人間の言葉が分かるみたい!」
「……フンッ!」
ダスクは、そう褒められても至極当然といった様子で、鼻息をひとつ鳴らし、そっぽを向いた。
「そこをどいてくれ。俺達を部屋に入れろ」
「グルルル……ウウウ……」
ダスクは不満げに唸ったまま、それでもその場所から仕方が無さそうにどいてくれた。ミッカは更に、賢い!と目を輝かせた。
やれやれ、と、マヨイは目を閉じてため息をつく。それからマヨイは、部屋の中へミッカを案内した。
マヨイの寝室は、ミッカの部屋と似た広さと間取りで、部屋の中央に、ミッカが寝ているのと同じ大きさのベッドが備わっていた。その隣には、ダスクのものと思われる犬用のベッドと、きっとお気に入りなのであろう、既にボロボロになっている犬用のおもちゃがいくつか転がっていた。それで遊ぶダスクの楽しそうな姿を想像して、ミッカは思わずクスッと笑う。
「グルルル……」
「あっ!ごめんなさい!」
何を笑ってるんだ、とでも言いたげに、またダスクが機嫌悪そうに唸り声を上げるので、ミッカは思わず身をすくめてそれに謝った。しかしどれだけ唸っても吠え立てても、ダスクがミッカに飛びかかって襲ってくるようなことは無いようだった。許可さえあれば今すぐにでもそうしたい、という気持ちだけは伝わってきたが。マヨイの躾が行き届いているようだ。
マヨイはミッカに椅子を勧めて、自分はベッドの縁に腰掛けた。ミッカの寝室にいた時と逆だ。ミッカは思わず部屋の中を見回したが、私物はほとんどしまってあるかこの部屋には置いていないようで、目につくのはベッドとペット用品くらいだった。飾り気が全然無い。ミッカの部屋とは違って、本棚もどこにも無さそうだった。自室の方に置いているのかもしれない。マヨイがどんな本を読むのか、ミッカは少し興味があったが、残念ながらそれは分からないままだった。
「はぁ……やっぱり俺以外には誰にも懐かないな。悪い、大丈夫か?」
「はい!ダスクちゃん、とっても賢いですね!まるでマヨイ様の言葉が分かって、それに従ってくれてるみたい!」
「言葉ならきっと分かってるよ。俺もダスクが言いたいこと分かるし、会話も出来る」
「え!?ほ、本当ですか!?マヨイ様は、動物と会話が!?」
「ああ」
「す、すごいです!すごいです、マヨイ様!!」
ミッカは目をキラキラさせて、パチパチと拍手した。こんな風に褒められるとは思ってなかったマヨイは、少し照れた様子で「俺はダスクとしか出来ないけど」と付け足した。ミッカは、「十分すごいです!」と尊敬の眼差しを止めなかった。
「すごいですね、動物の言葉が分かるようになるスキルもあると聞いたことがあって、私も憧れたものですが、それを習得するのはとってもとっても難しいそうで!マヨイ様、私と年齢はそんなに変わらないように見えるのに、やっぱりたくさん修練を積んでいらっしゃるのですね!」
「……どうかな」
「……クーン」
「ダスクちゃん!」
マヨイの足元に、ダスクが甘えるように寄ってきた。ミッカはそれをじっと見ている。ダスクは、真っ黒で艶やかで短い毛並みの、スラッとスマートで引き締まった体躯の大型犬だった。飼い主への忠誠心も高いが、同じくらい他者への警戒心も強いようだ。番犬としてはこれ以上無いくらい優秀なのかもしれない。
「どうした、ダスク」
ダスクはようやく唸ることに飽きてくれたらしい。今は落ち着いている。マヨイに頭を撫でられて目を細めている。
「ワン」
ミッカとマヨイの会話を聞いていたのか、ダスクはマヨイに向かって話し掛けるように一声鳴いた。さっきまでの吠え立てるような鳴き声とは全く違う、マヨイを呼ぶような声だった。
「ダスクちゃん、なんて言ってますか?」
「え?あー……」
「ワン、ワンワン……クゥーン」
「……はぁ?」
ダスクがミッカの方をチラチラ見ながら、マヨイに何かお喋りしているように見える。マヨイはそれに少し呆れたように返し、そしてミッカの顔を見た。
「な、なんと!?もしかして私に関して何かおっしゃってますか!?」
「あー……うん。……すまない、ダスクが……」
「はい!ダスクちゃんが、なんと!?」
「……ダスクさまと呼べ、だと。ちゃん付けが気に食わないんだそうだ」
「ダスクさま!」
「フン!」
そう言われたミッカが反射的にダスクをさま付けで呼ぶと、ダスクは上を向いて満足げに鼻息を鳴らした。その言動だけで、ダスクがとてもプライドが高い性格なのだと分かる。
「別にそんなわがまま聞いてやる必要は無いんだぞ、呼びたいように呼べばいい」
「いえ!ダスクさまがそうお望みなのでしたら、私は叶えて差し上げたいです!今まで気が付かずにちゃん付けをしてしまってごめんなさい、ダスクさま」
「ワフ!」
ダスクはミッカの従順な態度に少しだけ機嫌を良くしたのか、それでいい、とでも言いたげに一声鳴いた。ミッカはその様子に、なんてかわいい生き物なんだろう!と感激したように顔を綻ばせた。目を細めて、そのかわいさを噛み締めているような顔をする。マヨイはそんなミッカをじっと見ていて、ダスクは全然興味が無さそうにあくびをひとつした。
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