第6話:あなたの特別

ミッカは1冊目の本を読み終えて、感嘆のため息と共に余韻に浸っていた。とても素晴らしい物語だった。話の展開も、登場人物達のそれぞれのキャラクターや会話も、引き込まれる世界観も、最後まで読むとあっと驚くような仕掛けも、全てがミッカの好みだった。過去に読んだことがあったような気は、読み進めても読み終えても結局拭い去ることが出来なかったが、それでも最後までページを捲る手が止まらなかった。夢中になってしまった。こんなに良い本と出会えるなんて、なんて幸せなことだろう。

浸っていた余韻からようやく抜け出し、2冊目の本に手を伸ばそうか迷っていたところで、ドアをノックする音が聞こえた。ミッカがどうぞ、と返事をする。

「ミッカちゃーん、こんにちは!ダーナさんが来ましたよお!」

「ダーナさん!こんにちは!」

ドアを開けて、ダーナが入ってくる。もうすっかり昼になっていたのか、とミッカは時間を忘れて読書に耽っていたことを省みた。

「あーら!カーテンが閉めっぱなしじゃないのぉ!今開けてあげるわね!」

ダーナが部屋を横切って、カーテンを開けた。明るい日差しが部屋に入る。明るくなる前からずっと部屋の明かりがついていたので、明るさの問題は特に無かったが、それでも日の光を目にすると清々しい気分になれる。

「今日もとっても良いお天気ね!お洗濯物がよく乾きそうだわ!」

「ああ、本当ですね!」

「ミッカちゃん、体の具合は……あらぁ!どうしたの、その眼鏡!かわいいわねぇ、似合うわあ!昨日は掛けてなかったわよね?」

「はい!マヨイ様が、今朝用意して下さったんです!」

「あらぁ、若様が!そりゃーよかったわね!」

「はい、おかげさまで本がとっても読みやすくって!」

「ご本を読んでたのねぇ」

「そうなんです!マヨイ様が、本を何冊か貸して下さって、それを読んでて……すっごく面白くて、夢中になっちゃいました!」

「まっ!よかったわねっ!体の具合はどうかしら?動けるようになった?」

「腕は動かせるようになったんですけど、足がまだちょっと……」

「あーらまぁ、自分で動けないんじゃ大変ね!分かったわぁ、困ったことがあれば、なーんでもこのアタシに相談しなさいね!」

ダーナが、任せなさいと言わんばかりに、自分の胸を軽く叩いた。

「ありがとうございます!頼りにさせて頂きますね、とっても助かります!」

それにミッカが笑顔で返すと、ダーナもニコッと笑ってくれて嬉しかった。

「これからお昼ご飯の準備をするのだけど、昨日よりももう少ししっかりした食事でも大丈夫そうかしら?体は動かなくても食欲はあるわよね?食べられないものとかある?」

「はい、午前中は読書しかしてないのに、すっかりお腹が空いちゃいました!食欲あります!食べられないものはありません、何でも美味しく食べられると思います!」

「そーお!しっかり食べた方が、治るの早そうだものね!いいわねーぇ、好き嫌いが無いなんて大助かり!じゃあ待っててちょうだいねぇ、すぐに作って持ってきてあげるわね!」

「はーい!楽しみにお待ちしております!」

ミッカの良い返事にまたニコッと笑ってくれて、ダーナは部屋を出て行った。ミッカは、ダーナさんの食事楽しみだな〜!何が出てくるかな〜!なんて鼻歌混じりで、2冊目の本を手に取った。


2冊目は絵本で、文章の量が少なく、お昼ご飯を待っている間に読み終えてしまった。文章の部分だけサッと読み終えると、最初に戻って今度は絵と一緒にじっくりと眺めた。この本を買った人は、我が子にこれを読み聞かせていたのだろうか。それとも、もしかしたら挿絵がかわいいので興味を惹かれて、大人が読むために買ったのかもしれない。1冊目の推理小説を読むような大人が。

(かわいい挿絵……私もこの絵本、好きだなあ……)

絵もお話も、かわいくて、優しい。動物がたくさん出てくる。絵本はあまり読んできたことがなかったミッカだったが、この本はとても気に入った。

読み終えて余韻に浸っていると、ドアの外からダーナの「入りますよ〜!」という元気な声が聞こえてきた。ミッカがそれに了承の返事をする。

「お昼ご飯よお!」

ダーナが持ってきてくれたのは、ミートソースが掛かったスパゲッティだった。挽き肉がゴロゴロと入っている。それにスープとサラダが添えられていた。

「美味しそう!もしかしてこのミートソース、手作りですか?」

「そうよぉ!よく分かったわねー!」

食べる前に聞いてみたところ、正解だったようだ。ミートソースは温めればすぐに食べられるレトルトが主流だと思っていたが、手作りのミートソースはごちそう感がある。

「さ、食べてみて」

「はーい!いただきます!」

促されて、ミートソースがたっぷりと絡んだ部分を、フォークで巻いて一口。

「どーお?」

「……美味しいっ!!すごい、すっごく美味しいです!!うわぁ、私の大好きな味!!」

ミッカが目をキラキラさせて、嬉々として感想を述べる。こんなに美味しいミートソーススパゲッティを、今まで食べたことが無い。レトルトももちろん安定して美味しいが、こんなに鮮やかな味は出ない。もっとぼんやりとした印象の味になる。

「そーお!気に入ってもらえてよかったわぁ!そのミートソースねぇ、若様は好きじゃなかったみたいなのよねえ。野菜の味を効かせ過ぎちゃったみたいで、苦手みたい。でもそうとは知らずにたくさん作っちゃったから、冷凍して取っておいてたのよぉ。アタシが賄いで食べるし、グラタンやドリアにすれば、若様も食べられるんじゃないかと思ってねぇ。だけどなっかなか減らなくて……まー困ってたところだったのよぉ!気に入ってもらえて本当によかったわぁ!」

うんうんと話を聞きながら、ミッカはせっせと食べ進めていた。本当に美味しい。たっぷりと盛ってあるので量は十分過ぎる程なのに、食べると減るのが勿体ないと思ってしまうくらいに。

「こんなに美味しいのに……マヨイ様、お野菜は苦手なのでしょうか?」

「そうねえ……とっても偏食家よね。放っておいたら好きな食べ物しか食べないのよぉ。お肉やお魚や野菜ももっと食べなさいって言っても、なかなか難しいみたい」

「マヨイ様の好きな食べ物って?」

「お芋を細長く切って油で揚げた、フライドポテトだけは好きみたいね。それ以外に好きな食べ物は……ちょっと思いつかないわぁ……。出せば一応は食べてくれるんだけど、特に嫌いな野菜だけ避けて残したり、次から作らないでくれって言われたり」

「あらら……」

「特に好きでは無さそうだけど、文句は出ない料理はそれなりにあるから、まあそこまでメニュー決めには困ってないんだけどねぇ……。あーら!ちょっと喋り過ぎちゃったかもしれないわね!こんな話アタシから聞いたなんて、シーッよ、シーッ!内緒にしててねぇ?」

ダーナが片目を閉じ、人差し指を立てて唇に当てながらそう言った。ミッカはそれにクスクスと笑って、はいと頷く。

「さ、じゃあ遠慮せずにたくさん食べてちょうだいね!多かったら残していいし、少なかったらおかわりもあるわよ!アタシはちょっと席を外すけど、食べ終えた頃にまた来るわぁ!そしたらミッカちゃんは、体を拭いて、着替えましょうかねぇ。支度してくるわねえ!」

「あの、何から何までお世話になってしまって……すみません」

「いいのよぉ、そんなこと気にしないでー!そのミートソース食べてくれるだけで、もう大助かりよぉ!」

「ありがとうございます!とっても美味しいです!」

「ウンウン!じゃ、また後でね!ゆっくり食べててちょうだい!」

そう言ってダーナはひらひらと手を振って見せて、部屋から出て行った。


食事を終えて、お腹がいっぱいになった。いつもは腹八分目程度で食べ終えるので、こんなに満腹になったのは久しぶりな気がする。少しだけ苦しい。

ミッカは窓の外で小鳥が鳴いているのを、ぼんやりと聞きながら食休みしていた。

「ミッカちゃーん!入るわよー!食べ終えたかしらぁ!?」

ダーナの元気な声が聞こえてきて、ミッカが返事をする前にドアを開けて入ってきた。タオルが掛かった洗面器とバッグを持っていて、部屋の中にそれを置くと、ドアの鍵を掛けて、カーテンを全て閉めていった。

「あーら!足りないといけないと思って多めに盛り付けといたんだけど、ぜーんぶ食べてくれたのね!嬉しいわぁ!」

「はい!とっても……美味しかったです!もう、お腹……いっぱい、で!」

「あらあら、ちょっと苦しそうねぇ?多過ぎたんなら、残してくれてよかったのよお?」

「食べ物を、残すのは……なるべくなら、したくないんです……」

「そうなのね、ごめんなさいね!次からは、もうちょっと量を減らして盛るわね!」

「すみません……そうして頂けると助かります……。でも、とっても美味しいお料理を、たくさん食べられて幸せでした!」

「いい子ねぇ、ミッカちゃん!」

感激したような声でダーナがそう言うと、頭を撫でてくれた。

「さっ、体を拭きましょう。少し恥ずかしいかもしれないけど、着てるものを脱いでちょうだいね」

ミッカは言われた通りに結んであるローブの腰紐を解くと、肩をはだけて、下着も脱いで、上半身を露わにした。人並みよりは多少豊かに育った胸を、手で覆い隠しながら。洗面器にはぬるま湯が張ってあるらしく、ダーナはタオルをそれに浸して固く絞ると、まずはミッカの背中を優しい手付きで丁寧に拭き始めた。タオルの温度も、拭く時の力加減も、申し分無い。とても気持ちがよかった。

「痛くなぁい?」

「はい!大丈夫です、気持ちいいです!」

「そっ!よかったわぁ!」

「あの……ダーナさん」

「うん?なーに?」

「マヨイ様は……私のように、助けた人を家に連れ帰って看病すること、よくあるんですか?」

意外過ぎる質問だったので、ダーナはポカンと口を開けてしまったが、それからすぐに否定した。

「いーえ!全然!アタシ若様に仕えて結構長いと思うんだけど、ミッカちゃんが初めてよぉ!?若様が家に誰かを連れて来たのぉ!」

「……そうなんですか?」

「そうよぉ!」

「マヨイ様、人助けに理由はいらないって仰ってたから……私てっきり……」

「アタシは家事の手伝いしかしてないから、若様のお仕事に関しては詳しくは知らないんだけど……あの若様が、誰にでも優しいようには……ちょっと見えないわねぇ」

「そう……ですか?」

自力では手が届きにくい背中側と足の先辺りは全て拭いてもらって、またタオルをぬるま湯に浸して絞ってもらい、ミッカはそれを受け取ると、次は上半身の前側を自分で拭き始めた。ダーナは椅子を持ってきて座り、話し相手を続けてくれた。

「若様、こんな家に住んでアタシみたいな家政婦を雇ってるくらいだから、お仕事はお出来になるんでしょうけど……あの通り、気難しくて愛想が無いじゃない?物の言い方もキツくて、あんまり気が回らないし」

「……えーっと」

そう言われてミッカは、マヨイの今までの言動を思い出す。自分に対しては、大分柔らかく接してくれているように思う。人よりは少ないけど、ちゃんと笑顔も見せてくれる。気が回らないなんてことも無いと思う。むしろたくさん気遣ってくれて嬉しかった。

だけどダーナの言葉を否定することもしなかった。見方を変えれば、なるほどそんな意見も確かに出てくるだろうなあと思ったからだ。しかし肯定もしたくなかったので、ミッカは曖昧な返事をした。

「だから若様はね、人付き合いが苦手なんだと思ってたのよ。他人と積極的に関わりたくない人なんだと、アタシは長らくそう思ってたの。この仕事が長いアタシとも、常に一定の距離感を保っていたし。顔立ちはいいのに、勿体ないわよねぇ。あれで愛想さえよかったらって思うんだけど……あ、それ貸してちょうだい」

「はい」

ダーナはミッカからタオルを受け取ると、またぬるま湯に浸して絞って返した。ミッカはそれに礼を言うと、今度は下半身を拭き始めた。それを見ながら、ダーナは話を続ける。

「でも若様、ミッカちゃんは……ミッカちゃんだけは、特別みたいね!一昨日の夜は、そりゃもうびっくりしたわよぉ!アタシはこの近所に住んでるんだけど、夜中に家まで訪ねられて呼び出されたのは初めてだったもの!女の子を助けたいから手伝ってほしいって、必死な顔でね!あんな取り乱した若様、アタシ初めて見たかもしれないわ!」

「その節はどうも……ダーナさんにも多大なご迷惑をお掛けしてしまって……」

「いいのいいの!夜中と言ってもそんなに遅くなかったし!事情が事情だったもの、気にしないでぇ!ミッカちゃんがこうして元気になってくれたのが何よりだわぁ!」

「ダーナさん……!」

優しくされて、ミッカは少しだけ泣きたい気分になってしまった。目が潤む。

「だから、もし若様がミッカちゃんには優しいんだとしたら、それは若様にとって、ミッカちゃんが特別だから……なんだと思うのよねぇ。誰にでも優しく出来るような、そんな器用な人だとは思えないわねぇ、アタシには」

「私が……特別……」

「まっ、話しててアタシにも分かったけど、ミッカちゃんとってもかわいいもの!明るくて素直で、愛嬌があって!若様が夢中になるのも道理ってもんだわね!」

「わ、私に……む、夢中に……!?」

ミッカは照れて頬を赤くして、慌てて両手で押さえる。体を拭いていたタオルがパサッと音を立てて足の上に落ちた。

「あっははは!かわいいかわいい!……そろそろ全身拭き終わったかしら?そしたら着替えましょうね」

洗面器と一緒に持ってきたバッグから新しいバスローブを取り出し、ダーナはミッカに着せてくれた。洗いたてのようで、石けんの良い香りがして心地よかった。今まで着ていたバスローブと下着は、ダーナが空になったバッグへ詰め込んだ。洗ってくれるのだそうだ。下着の替えは無いので、上半身はバスローブだけ身につけている状態で、少しだけ落ち着かなくてソワソワした。

「着替えといえば、ミッカちゃんがここに来た時に着てた服だけど、腕なんか片方破れて取れちゃってたし、もう着られないくらいボロボロだったのよねぇ」

話しながら、ダーナはカーテンを再び開けてくれている。掛かっていたドアの鍵も開けた。バッグからヘアブラシを取り出し、ミッカの近くに戻ってくると、それを手渡してくれた。何本かのヘアゴムと一緒に。

「はい。使ってちょうだい」

「ありがとうございます、お借りしますね」

礼を言って、ミッカが髪を梳かす。ブラシに髪が絡むことも無く、広がっていた髪が整っていく。特別なことを何もしなくても、サラサラとしていてまっすぐな髪質は維持が楽で、自分でもとても気に入っている体の特徴のひとつだった。

「話を戻すんだけど、ミッカちゃんが着てた……あれ、大切な服?修繕も難しいくらいに見えたけど……一応取っておいてあるのよ」

「いえ!長く着てただけの安物ですから!捨ててしまって構わないです!」

ミッカは自分で、束ねた髪をくるくると巻きながら結って、後頭部の下の方でお団子を作った。いつもやっている簡単なやり方だったので、鏡が無くても手慣れたものだった。

「あーら!器用ねえ!その髪型もかわいいわ!」

「ありがとうございます!」

ダーナはパチパチと拍手までしてくれた。褒められたミッカは嬉しそうに微笑みながら、ダーナにブラシを返した。しかし問題を思い出したように、表情を曇らせる。

「……あ、でも……あれが無いと私、外に着ていける服が……買い替えるだけの手持ちも……」

「あーら!お金の心配ならいらないわよお!若様が、ミッカちゃんの世話に掛かる費用は全部出すって言ってるんだから!」

「そ、そうなのですか……?」

待遇が良過ぎて、だんだん不安になってきた。ダーナの冗談だとばかり思っていたが、本当に特別扱いをしてもらっている気分になってくる。それによって、ミッカの態度や考え方が変わることは無いが。

「まあ、例え若様が出さなくっても、服代くらいアタシが出してあげてたわよぉ!」

「えっ!?そんな!?ありがとうございます!お気持ちが嬉しいです……!」

「あっははは!ま、お金を出すのは若様だけどね!じゃあ、新しい服と替えの下着を何着か、アタシが何か見繕って買ってくるけど、よろしいかしらね?」

「はい!お願いします!特にこだわりとか無いので、着られればなんでもいいです!」

「分かったわ、任せてちょうだい!女の子が着る服を選べるなんてワクワクするわね!」

ダーナはミッカの服と下着のサイズを改めて確認すると、早速今日の買い出しで何か探してくるわね〜!とひらひら手を振って、洗面器とバッグを持って部屋を出て行った。

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