第5話:あなたに祈りを
翌朝。早朝。ミッカは修道院にいる時に起きていたのと同じような時間に、自然と目を覚ました。昨日はずっと寝ていたから夜は寝付けないかと思ったが、習慣として体内時計が就寝と起床する時間を覚えていたようで、いつも通り眠ることが出来たし、朝もスッキリと目覚めることが出来た。ベッドや枕などの寝具が素晴らしく、最高の寝心地を与えてくれたおかげもあるかもしれない。
一晩ぐっすりと寝て、ミッカは上手く体が動かせるかどうか試してみた。毛布から手を出して、顔の前で閉じたり開いたりしてみる。上手く出来た。痛みや痺れも無い。今度は足を動かそうとしてみた。が、昨夜と同様、重石が置いてあるように上手く力が入らない。
(うーん……腕は動かせるようになったけど、足はまだ…あんまり動かないみたい。歩くのは難しいかも)
小さくため息を吐く。カーテンが掛かっているので詳しく分からないが、恐らく外はまだ暗い時間だろう。
(これじゃほとんど何も出来ないな……。体が自由に動くなら、身支度を整えて、朝の家事をして、そうしたら暇なんか無くなるのに)
修道院を出ることになったら、就寝も起床も、自由にしていいらしい。お祈りも、時間に余裕がある時だけでいいそうだ。物心ついてから毎日のようにやってきたことだから、急にそれをしなくてもいいと言われると、少々戸惑ってしまいそうになる。
とりあえず、時間になったら朝のお祈りはしておこうか。そう考えていると、キィ……と小さく音を立てて、部屋のドアが開いた。
「……?マヨイ様ですか?」
ドアを開けた人物は、まさか声を掛けられるとは思ってもみなかったらしい。入り掛けだった体がビクッと大きく揺れて、派手に驚いている様子だ。そのまま中へ入ると、部屋の明かりをつけてくれた。入ってきたのは、やはりマヨイだった。
「もう起きてたのか?それともやっぱり寝付けずに徹夜したのか?」
「ちゃんと寝て、先程起きたところですよ!」
「随分早起きだな、外はまだ暗い」
「修道院ではいつもこのくらいに目を覚ましていましたから」
「そうか……」
「マヨイ様こそどうしてこんな時間に?」
「う……。心配で、様子を見に来たんだ……。女性の寝室へ、こんな軽々しく足を踏み入れたりしてはいけないのだろうけど。寝顔を見たら安心するだろうと思って。まさか起きてるとは思わなかった」
「まあ!私を心配して来て下さったんですか!?ありがとうございます!」
ミッカは嬉しそうに微笑む。
「うん……一晩寝て起きて、体の調子はどうだ?」
「足の方は、まだ少し動かすのが難しいみたいです。でも腕は動かせるようになったんですよ、ほら」
そう言ってミッカは、マヨイに向かって両手を伸ばして見せた。傍から見たらハグをねだる時のポーズにそっくりなことに、ミッカは気付いていなかったが。
「……上半身を起こすのを、手伝おうか」
「はい!お願い出来ますか?」
マヨイが自らの額に手を当てながら、少し俯いて視線を逸らしながら、そう言ってくれたので、ミッカは躊躇無く頷いて、手伝ってもらうことにした。自分の腕の力だけで上体を起こすのは、不可能では無いが、大変だろうと思ったから。
「もう少ししたら俺は寝るから、日中はダーナに世話を頼んでくれ」
ミッカの背中に手を回して支えながら、マヨイが呟くようにそう言った。
「かしこまりました!マヨイ様は、今までずっと起きてらしたのですか?」
「ああ。俺は宵っ張りなんだ。夜目も利くし、夜狩りに行って、朝になったら日が昇る前に眠ることにしてる。魔物は夜の方が動きが活発だから、その方が探す手間が省けるんだ」
話しながらも、マヨイはそつなく手を動かしていた。昨夜のダーナと同じように、背中とベッドの間にクッションを挟んでくれた。ミッカが礼を述べると、マヨイはそっと、頭をひとつ撫でてくれた。
「なるほど……魔物の活動時間に合わせて……。私とは正反対みたいな生活をなさっているんですね……!」
「そうなるだろうな。悪いが、俺の仕事を手伝ってくれるのなら、俺の方の生活に合わせてもらわないといけなくなる。急には無理だろうが、夜更かし出来るようになってもらわないと」
「大丈夫です!私、徹夜も得意ですから!」
「へえ」
「たくさん課題が出た時なんか、ずーっと起きてやってたんですよ!後は、読書に夢中になってたら、気付けば朝になってたこともよくあって」
「本を読むのが好きなのか」
「はい!代わり映えしない生活に、彩りを添えてくれるものでした。修道院に図書室がありましたから、本はたくさん読めたのです」
「ふうん……。体が動かせないと暇だろう。本を渡せば、時間が潰せるか?」
「え!よろしいのですか!?」
「もちろん。この部屋にも本棚があって、いろんな本が揃ってる。きっと君の気に入る本もあると思う」
「嬉しい!でしたら、お手数ですが、本棚から適当に何冊か取って頂けますか?」
「適当でいいのか?」
「はい!私、どんな本でも読みますから!」
「そうか。……じゃあ、そうだな」
マヨイはベッドの足元側に回ると、屈んで棚から本をいくつか引っ張り出した。寝ている状態では気が付かなかったが、そこにロータイプの本棚があったらしい。
「はい」
マヨイは何冊か本を抱えて、ベッドの上の、ミッカの手の届く位置に置いてくれた。
「よく分からないし、本当に適当に選んだけど」
「構いません!わあ……嬉しいなあ、どうもありがとうございます!」
「うん。読み終えてしまったら、ダーナに頼んで新しい本と入れ替えてもらってくれ」
「分かりました!ダーナさんは、いつ頃こちらへいらっしゃるのでしょうか?」
「昼頃だ。俺は朝食を食べないから。……ああ、でも君は食べるよな。昨夜と同じメニューでもいいか?温め直して持ってくる」
「あんなに美味しいスープとパンを、また食べられるのですか!?」
身を乗り出したミッカの目が輝いて、マヨイはその勢いに一瞬驚いた顔をした後、ふっと軽く笑った。
「ダーナにもそう言ってあげてくれ。きっと喜ぶから。朝食は、もう用意してもいいか?すまないが、俺も寝る時間が迫っている」
「あ、はい!すみません、すぐに食べられます!」
「よかった。じゃあ、用意するまで本でも読んで待っててくれ」
「喜んで!」
微笑ましいような顔をして、マヨイはもう一度ミッカの頭を優しく撫でると、部屋を出て行った。その背中を見送って、ミッカは一番上に置いてある本を手に取って開いた。
それは、推理小説のようだった。冒頭から引き込まれる急展開で、ミッカは夢中になって読み進めた。背中を丸めて、本に顔を近付けて、文字通り、本にのめり込むような体勢で。何となく、昔読んだことがある話のようにも思えたが、詳細に内容を覚えている訳ではなかったので、特に気にしないことにした。
「入るぞ」
「あ、はーい!どうぞ!」
読書をしていると時間を忘れる。本を開いてから一体どれくらい経ったのか分からないが、ドアの向こうからマヨイの声がして、ミッカは返事をした。マヨイが朝食が乗ったトレーを持ってやって来たが、丁度面白い場面だったので、ミッカは本から目が離せずに読み耽っている。
「すみません、ここの、この部分だけ!今すごく面白くて……目が離せなくて……読みながらで、失礼します!」
「ああ、構わないよ」
「……ああ!……はぁ……キリが良くなりました」
本にしおりを挟んで、胸に抱えて、ミッカはまだ本の世界から抜け出し切っていないようにうっとりとため息を吐いたが、ぼんやりとした顔でマヨイの方を見て、途端にハッと気が付いたような顔をした。
「すみません!マヨイ様にご用意してもらったのに、私ったら……」
「気にしないでいい」
そう返したマヨイが、少し苦笑しながらミッカの膝の上にトレーを置いてくれた。昨日と同じポタージュスープに、白いパン。ひとつ違うのは、デザートのヨーグルトに、果物のピューレの代わりに蜂蜜が掛かっているようだった。
「美味しそう!」
「ひとりで食べられそうか?手伝いは?」
「大丈夫です!腕でしたらもう自由に動かせるんです!ありがとうございます、マヨイ様!」
「うん……食べる時は、本から手を離した方がいいな。汚してしまうかもしれない」
ミッカが大切そうにずっと胸に本を抱えていることに気が付いて、マヨイがそう言うと、ミッカは言われて初めて気が付いたような顔をした。照れながら謝って、重なっている本の一番上に乗せた。
「そんなに面白い本なのか」
「はい、とっても!……でも不思議なんです、前に読んだことがあるような、無いような……?そんな気もするんです。でも何となくそう思うだけで、内容までははっきり覚えていないから、すごく面白くて。図書室にあった本だったかしら」
「…………」
マヨイは黙っていた。真相を確かめる術は無いからだろうか。
「……それよりも、君は。本を読むのに、少し顔を近付け過ぎなんじゃないか?」
「……え、あっ……そ、そうですか……?あれくらいまで近付けないと、小さな文字はどうにも読みにくくて……」
「視力が良くないのかもしれない。眼鏡は?持ってないのか?」
「眼鏡……?ええと……」
「持ってないのか。もしかして作ったことも無いんじゃないか?」
「えっと……はい……。今まであまり困らなかったので……」
「いや、困るだろう。本当は困ってるのに自分で気が付かない振りをしていただけだ、きっと。待ってろ」
「えーと……はい……?」
「食べながらでいい。冷めない内に食べてしまってくれ」
「かしこまりました」
マヨイはそれにひとつ頷くと、また部屋を出て行った。ミッカは言われた通りに、受け取った朝食を食べ始めた。温かいスープを口にすると、体と心がじんわりと満たされていく感覚がある。柔らかなパンも温めてくれていて、ふんわりとした口当たりが、更に美味しさを引き立てているようだ。
ミッカが寛いで朝食を味わい、デザートまで残さず綺麗に完食したタイミングで、マヨイは戻ってきた。どうやら何かを取りに行っていたらしい。
ミッカが食べ終わったことを確認すると、膝の上からサイドテーブルに、トレーを下げてくれた。
「これを、掛けてみてくれないか」
そう言って、細長いケースを手渡してくれた。促されたので開けて見てみると、中には眼鏡が入っていた。細いフレームの眼鏡だ。ミッカは詳しい名称を知らなかったが、アンダーリムという、レンズの下側にだけフレームがあるタイプだった。
「あの、これは……?」
「眼鏡だ。少し、試しに掛けてみてくれないか」
マヨイがケースから大切そうに眼鏡を取り出し、たたまれたテンプルを広げると、掛けさせてくれた。眼鏡を掛けたミッカは、自分の手のひらを裏表見ている。
「……あっ!すごい!すごいですこれ!よく見えます!」
「そうか、よかった」
顔を上げて、今度はマヨイの顔を見た。今までよりもはっきりと、どんな顔をしているのかよく見える。美しく整っている、とても素敵な顔立ち。ミッカは思わず照れてしまい、赤くなりそうな顔を両手で被って、困った顔をした。マヨイはその様子を、微笑んで見ていた。それからミッカは思い出したように本を手に取り、ページを開いた。……読める!あれだけ顔を近付けなくても、全く問題なく!
「すごい!本が……読みやすいです!」
「よかった。度数やサイズは合ってるか?文字を読んでいて違和感は無いか?掛けていて痛かったり、下を向くと落ちそうだったりしないか?」
そう言われてミッカは、本の字を数行読んだ後に、ゆっくりと頭を上下左右に振ってみた。違和感も、痛みもズレも無い。物が二重に見えたり、見え過ぎて気分が悪くなったりもしない。どこも何も問題無さそうだ。
「……はい!大丈夫だと思います!すごいです、まるで私の為にあつらえてもらったかのように、ぴったりです!」
「何よりだ。それならその眼鏡は、君にやる。そのまま使い続けて構わない」
「え!?これ、マヨイ様に必要なものでは……?」
「それは別に、俺の眼鏡じゃない。俺の……とても大切な人の、形見なんだ。持ち主はもういないから、君のものにしていい」
「形見!?……マヨイ様、大切な方を……亡くされたのですか……?」
「ああ。でもずっと前のことで、俺はもう気持ちの整理がついてる。気にしないでくれ」
マヨイが失った、大切な人。昨日ダーナが大旦那様はいない、と言っていたから、もしかしてマヨイも、自分と同じように両親がいなかったりするのだろうか。想像して、思わずミッカの目が潤む。次にお祈りをする時、マヨイの大切な人の魂の安らぎも一緒に祈ろうと、そう思った。
「そんな大切な形見を……私に……?本当に……よろしいのですか?」
「ああ。ずっとしまっておくよりも、君に使ってもらえる方が、その眼鏡だって嬉しいだろう」
「眼鏡が……嬉しい……」
まるで物にも気持ちが宿っているかのような表現をこの男性がするので、ミッカは少し意外に思ったが、自分まで嬉しい気持ちになったので、ついクスッと笑ってしまった。
「いや。変な言い方したな、忘れてくれ」
「ふふふ、私はその表現が好きです」
「……そうか」
「はい!」
マヨイは少し照れてしまったのか、それを隠すようにコホンと小さく咳払いをした。
「もし度やサイズが合わないようなら、無理に掛け続ける必要は無い。その時は、出掛けられるようになった際改めて君専用の眼鏡を作ってもらうつもりでいたが」
「この眼鏡を頂けるのであれば、必要ありません!それくらい私にぴったりです!」
「そうか、よかったな。それじゃ、そのまま掛けていてくれ。その眼鏡はもう、君のものだ」
「ありがとうございます!私、大切に……大切に、使わせて頂きますね!」
「ああ。そうしてもらえると、眼鏡も喜ぶだろう」
「まあ!」
ミッカが気に入った表現を、また使ってくれた。ミッカは嬉しくなって、クスクスと笑った。その様子を、マヨイはじっと見ていた。
「……眼鏡を掛けた君の顔を、よく見せてもらってもいいか?」
「え?あ、はい……どうぞ?」
そう言われて、改めて顔を上げて、マヨイの方を見る。頬に手を添えられて、優しく撫でられて、それから輪郭にそって指先が滑るようにして、顎の下から指で軽くクイッと持ち上げられて、マヨイとまともに目が合った。急激に頬が熱を持つのを感じたミッカは、すぐに困ったような顔で目を泳がせ、その後で無意識に目を閉じた。が、しばらく待ってもそのまま何もされないので、そっと目を開けて、またマヨイの顔を真正面から見た。マヨイはどこか遠い目をしていて、少しだけ泣きそうな、辛そうな、寂しそうな。そんな顔で、ミッカを見ていた。眼鏡を通して、故人を思い出してしまったのかもしれない。気持ちの整理はついていると言っていたが、あれは彼なりの強がりだったのかもしれない。何よりも、私を見ているけど、私を見ていない。そう感じたミッカは、マヨイの手に両手を添えて、包み込むようにして握った。それに気が付いたマヨイの表情が、ハッとしてから、きまり悪そうに目を逸らした。すまない、と一言だけ謝りながら。
「マヨイ様、故人を悼むそのお気持ち、あなたのその表情から痛いほど伝わってまいりました。私に出来ることは少ないですが、せめて気持ちに寄り添い、あなたの心が少しでも安らぎますよう、私もお祈りをさせて頂いてよろしいでしょうか?」
ミッカはマヨイの手を離し、自分の胸の辺りで両手を重ねてマヨイの顔を、目を、じっと見ている。
「祈り……」
俺には必要無いと、マヨイは断ろうかと思った。だが、ミッカの真剣な顔を見ていたら、断ることが憚られるような気になった。
「……頼めるか、ミツカ」
「はい!お任せください!」
名前を呼ばれて、頼りにされて。ミッカは張り切っているようだ。
胸の前で手の上に手を重ねたまま軽く握ると、ミッカは目を閉じて、祈りの言葉を口に出した。今ではほとんど失われたいにしえの言語なのか、聞いていても言葉の意味は理解出来なかったが、だけどミッカの祈りの声を聞いているだけで、ほんのりと心の中が柔らかく、温かくなるような。そんな気持ちになることが出来た。
……気持ち、だけは。
マヨイは目を閉じて聞いていたが、次第に眉根を寄せて、口元を手で覆い、頭を手で押さえて、顔を歪めて辛そうな顔をした。苦しそうな息遣いを決して察されないように、息を殺して。じっと耐えるように、黙って聞いていた。
「……はい、終わりました。……マヨイ様?あの……大丈夫、ですか……?」
お祈りを終えて目を開くと、マヨイは少しだけ、辛そうな顔をして目を閉じ、じっと立っていた。もしかしたら故人のことを偲んで、ひっそりと涙していたのかもしれない。ミッカはそう思った。声を掛けられたマヨイが目を開くと、少しだけ赤く充血しているようだった。
「あ、ああ……ありがとう。取り乱してすまない、俺は大丈夫だ」
「そうですか、ならよかったです!」
「……なあ」
「はい、なんでしょう?」
「すまないが、これ以降は祈りの言葉を俺に聞かせないようにしてもらえないだろうか。聞いていると……亡くなった大切な人のことを思い出してしまって、すごく辛くなるんだ」
「あ……わ、分かりました!気を付けますね……?」
「すまない、俺の都合で」
「いえ!黙祷も出来ますから!いつもはそうしているんです、今のが特別だっただけで!」
「そうか……。でも、君の祈りの言葉は、温かい気持ちになれたよ。それは本当だ。ありがとう」
「どういたしまして!」
「さて。すまない、俺はそろそろ眠気が限界のようだ。この辺で失礼するよ。さっきも言ったが、日中の用事はダーナに頼んでくれ。昼ご飯と夕飯は、ダーナが作って持ってきてくれるはずだ」
「はい!ありがとうございます!あの……」
「ん?」
「おやすみなさい、マヨイ様」
「ああ。おやすみ、ミツカ」
頬をそっと撫でられて、ミッカはくすぐったそうに微笑む。その顔を見てひとつ頷いてから、マヨイは下げたトレーを手に部屋を出て行った。眠気が酷いのか、足取りが少しだけフラついたような気がするが、その後はしっかりしたものだったので、ミッカの気のせいだったかもしれない。
マヨイが部屋を出て、扉が閉まる音を聞いてから、ミッカは積み上げられた中の一番上の本を、また手に取って読み始めた。大切な眼鏡を掛けたままで。
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