第2話:あなたが運命の人なのでしょうか?
少女は目を見開いていた。コウモリの命が尽きたことに驚いている訳ではない。いや、確かにそれも衝撃的な出来事ではあったが。それよりも何よりも驚くことがあった。
(今の……聞き間違え……?ううん、確かに聞いた……あの子は、俺の……モノだ、って)
ご丁寧に、あの子は、と言った後でチラリとこちらを見た。あの子、とは少女のことで、まず間違いないだろう。
(どういうこと……?この人と、私……前にどこかで、会ったことがあるのかな……?)
思い返そうと考えを巡らそうとしていると、いつの間にか男性が、うずくまったままの少女に手を差し伸べてくれていた。
「立てるか?」
「えっ、あっ…は、はい!」
「ゆっくりでいい」
「ありがとうございます……」
同年代の男性の手を握ったことなんか、今まで生きてきて、きっと一度も無い。少女は少し緊張しながら、その手にそっと手を乗せた。温かい手だと思った。男性が少女の手を握ってくれて、引っ張り上げようとしてくれるのを感じながら、両足に力を込めて、立ち上がろうとした。だけど無理だった。恐怖で腰が抜けたのか、足に上手く力が入らない。
「……ごめんなさい、立てません」
「そうか……」
男性は自分も腰を下ろして少女に目線を合わせてくれた。初めて目が合った気がする。少女の頬が赤く染まる。男性はその様子を見て、思わずふっと軽く微笑んだ。
「怖かったな、もう大丈夫だ」
もう大丈夫。今一番欲しかった言葉を言ってもらえて、安堵した少女は思わず涙をこぼした。ぽろり、ぽろりと、一粒、二粒。
「……ご、ごめんなさい…緊張が、解れて…な、涙が……」
「構わない。それだけ怖い思いをしたんだ、好きなだけ泣いていい」
素っ気ないのに、優しい声。少女はうーっと、声を押し殺して泣き出した。死ぬかと思った、でも生きている。こんな奇跡的な状況を、ようやく把握出来るような心境になってきた。
「クゥーン…」
黒い犬が、男性の腕の下から鼻を突き入れて、甘えるように寄り添った。
「ワンちゃん!」
犬が好きな少女はそれに気付くと、パッと顔を上げて、まだ涙で濡れているというのに瞳を輝かせた。
「な、撫でてもいいですか!?」
「え、ああ……俺はいいけど」
「やったあ!」
「ウゥーーーッ」
「ひゃっ!ワンちゃん怒ってる!?」
少女が犬の艶やかな黒毛を撫でようと手を伸ばすと、犬はたちまち威嚇するような前屈みな体勢で低く唸った。撫でようものなら、その指を噛みちぎってやる!とでも言いたげに、牙を剥き出しにして。その反応を見た少女は、慌てて手を引っ込めた。
「こら、ダスク。落ち着け。この子に噛み付いたりなんかしたら絶対に許さないからな」
「ガウゥ…グルルル…」
「悪い。ダスクは俺以外の誰にも懐かないんだ。撫でられるのも好きじゃないらしい」
「ワンッ!」
そうだ!とでも言いたげに、黒い犬が一声鳴いてそっぽを向くと、フンッと鼻息をひとつ。それから飼い主であろう男性に体を預けるように寄り掛かったまま横になると、ウトウトと目を閉じて眠ってしまった。
(寝ちゃった!疲れてたのかな?助けてくれてありがとう。お疲れ様、ゆっくり休んでね)
その様子を見て、少女はもう無理に撫でようとはしなくなった。寝入り端を起こすのは気が咎めるし、眺めるだけにしておこう。やっぱり犬ってかわいいなあ、と目を細めている少女は、よほど動物が好きらしい。
それから、何となく視線を感じた。見られている気がする。その視線を送っているであろう男性をチラリと見ると、少女はあることに気が付いた。
「……あ!あの、顔に、血が!ケガしてるみたい!」
「え?……ああ、さっきのか。これくらい放っておいても」
「いけません!お顔ですよ!傷跡が残ったらどうするんですか!?」
「別に困らないけど」
「困らなくても放っておいちゃダメです!感染症になったらどうするんですか!すぐ治した方が……わ、私!こう見えて、回復魔法が使えるんです!得意なんです、回復魔法!」
やっとこの人のお役に立つことが出来る!と、少女は張り切って身を乗り出した。
「回復魔法!?やめてくれ、それだけは!」
「えっ…いけませんか?」
だが相手の男性はかぶりを振った。どうやら遠慮しているのとはまた違うらしい。本気で嫌がっているようだ。
「俺は…そう、体質の問題で…回復魔法が大の苦手なんだ。使われるとすごく痛む」
「あ…あの、そうだったんですか…ごめんなさい……」
回復魔法による回復痛の感じ方は、個人差がある。大抵は痛みを感じさせずに治すことが出来るのだが、この男性のように、酷く痛むから苦手だと言う者も、ごく稀にいると聞いたことがある。少女はその回復痛すら和らげることが出来る回復魔法特化のスペシャリストなのだが、それでもここまで嫌がる相手に無理強いする気にもなれなかった。命の恩人に、嫌われたくなかった。
「謝らなくていい、気持ちだけ受け取っておく。君が気にしなくてもいいんだ、直に治るから」
「ううう……はい……」
得意分野でお礼が出来るかと思ったが、断られてしまった少女は項垂れた。
「……あ!じゃあお薬は?お薬はどうですか?私、よく効く塗り薬を持っています!」
新しい提案を思い付いた少女は、顔を上げて片手を挙げて、また身を乗り出す。放っておいていいと言われても、ヒーラーである少女にとっては由々しき事態だ。男性は少女の勢いに気圧されたように、観念した顔をした。
「……まあ、薬も好きではないが……、回復魔法よりはマシか。……じゃあ、それを頼む」
「はい!お任せください!」
少しは恩返しが出来るかもしれない!そう思った少女は嬉しそうに鼻歌混じりで、身につけていたポーチから手のひらに乗る小さな丸い銀色のケースに入った軟膏を取り出すと、その蓋を開けた。辺りに薬特有の独特な匂いが広がって、それが苦手なのか、男性は思わず顔を顰めてしまった。
「お顔ですから、私が塗ってもよろしいでしょうか?」
自分では見えない部分は、鏡でも無いと塗るのが難しい。そう思って提案した。男性がこくんとひとつ頷くのを確認して、少女は指先に薬を乗せると、「じっとしていてくださいね…」と言って、男性の顔の傷にそれをそっと塗った。頬を斜め横に引っ掻いたような、いかにも痛そうな傷口だったが、血は既に乾き始めている様子だった。男性は声を上げなかったが、眉を顰めていて、薬が沁みているのかもしれないとその表情から察せてしまった。
薬を塗ったら、その上に清潔なガーゼを被せて、医療用テープで貼ってあげる。簡単だけど、応急手当としては申し分無いだろう。
「…はい!出来た!我慢出来て偉かったですね!」
少女がにっこり笑う。直後に、ついうっかり、小さな子供を相手した時のような対応になってしまったことに気が付いて、しまったなあ…と思ったが、男性は男性で顔を赤くして照れながら、「ありがとう……」と呟いた。よかった、不快な気分にはさせなかったみたいだ。少女はホッとして、また微笑む。
「君はケガは無いのか?痛むところは?」
「え?私?私は……」
痛むところは無い。無いはずだった。静かに首を振る。
「そうか。ならよかった。……なあ、……よく、顔を……見せてもらっても、いいか?」
「え、ええ…はい、大丈夫ですよ」
男性の手がそっと伸びて、少女の顔に優しく触れた瞬間、少女の胸が高鳴った。
「顔が、少し汚れている」
う……と、少女は決まりが悪くなった。走って逃げている間はなりふり構っていられなかったし、たった今泣いてしまって、きっと顔面は酷いことになっているのだろうと、この場に鏡が無くとも容易に想像がつく。
「じっとしててくれ」
男性は軽く拳を握ると、小指の付け根から下辺りの柔らかな部分で、少女顔に付いているのであろう汚れを拭ってくれた。少女は目を閉じてそれを受け入れていた。温かな手で顔を撫でられるのは、まるでマッサージをされているみたいに心地が良い。しかし気が付くと、男性の手は止まり、少女から見て左目のまなじりの下辺りを、そっと、何度も親指を往復させてなぞっていた。その辺りには、少女が生まれつき持っているある特徴がある。
「あの……今撫でているそれは、ほくろでして…汚れではないんですよ……?いくら撫でても、落ちないですよ……?」
そう、少女の左目の下にはほくろがある。いわゆる泣きぼくろというものが。ピンクベージュの髪、深い緑色の瞳、左目の下には泣きぼくろ。これが、彼女の持つ外見の特徴だった。
おずおずとそう告げると、男性は少し驚いた表情を見せた後、それからすぐにふっと笑って、「ああ、知ってる」と嬉しそうに言った。
「知ってる……?」
どうして知ってるのだろう?少女が少し怪訝な顔をすると、男性は少しだけ慌てた様子を見せたが、その表情はすぐに元通りになった。
「あ!……いや、俺にもほくろに見えたから」
「ああ!そういうことでしたか!」
言われなくてもほくろだと分かっている、という意味だったのか。少女は納得して、こちらも表情を元に戻した。
「なあ、顔が赤くないか?」
「えっ!?そ、そう…ですか!?」
同年代の男性から、優しく顔を撫でられて。こんなことは初めてで、どうしても頬が染まってしまうのは仕方がないことだと思う。
「息も少し荒い、自分で気が付いているか?」
「え?いえ……?」
「呂律が怪しい」
「そんにゃこと……」
「熱がある!」
おでこに手のひらを当てられて、男性はそう声を上げた。
「すごい高熱だ!君、ケガはしてないって本当か!?よく思い出してくれ!あのコウモリに噛まれなかったか!?」
「コウ…モリ……そういえば、大きいの、に…噛まれて……血を、吸われ、ました……。……でも、少しだけ……で……すぐに、回復魔法を使ったから……痛みも、無くて……」
「どうしてすぐに言わなかったんだ!どこを噛まれた!?」
「あの、この……辺……」
震える指先で自分の二の腕を指し示すと、そこには確かに、小さな穴が並んで2つ。長袖の服の上から鋭い牙を刺した痕跡が見付かった。
「やはり噛まれている…クソッ、あの時コウモリが急に強くなったように見えたのは、君の血を吸ったからか!もっと早く気付いておくべきだった!あのコウモリの牙には毒があるんだ!回復魔法で痛みは消えても、毒は消えない!おい、服を破くぞ!」
「はい……」
少女が許可を出すと、男性は短剣を取り出し、噛まれた方の二の腕の袖に切り込みを入れると、そのまま引きちぎって脱がせて、片方だけノースリーブ状態にした。男性は少女を支えるように自分へ体を預けさせ、露わになった二の腕をじっと見詰める。男性にもたれかかって寝ていた黒い犬は、男性が少女の方へ寄ったせいで支えを失い、ガクンと体勢を崩して目を覚ました。不満げな顔をしている。
「傷口は深いが、回復魔法のおかげで毒の巡りも遅かったのか…だからなかなか気が付かなかったんだ。君は毒消しの魔法は使えるか?毒消しの薬は持ち歩いていないのか?」
「ごめんなさい……まだ、覚えてません……。薬も……あれだけしか……」
「分かった、ならいい、気にするな。……おい!毒を吸い出すからな!」
「何、を……」
そこで少女の言葉はぱたりと途切れてしまった。全身から力が抜けて、毒による高熱で気を失ったらしい。完全に男性に体を預ける状態になった。男性は、もう遅い、無駄かもしれないと頭の隅で思いつつも、それでも何もしないよりはマシだと、噛まれた傷口に唇を寄せて、その血を吸って…そして、飲み込んだ。
(……う、苦い。毒が混じった味がする)
口に合わない野菜を食べた時の子供のような顰めっ面を浮かべながら、それでもそれを何度か繰り返した。何度目かで、ようやく、あまり毒が混じらない味になった気がする。どうやら毒は傷口に多く留まり続けていたようで、全身には少量しか回っていないのかもしれない。咄嗟の回復魔法が功を奏したのだろう、きっと。
あらかた体から毒が抜けても、高熱は出たままだし、少女も気を失ったままだ。男性は引きちぎった服の袖を、患部に触れないように心臓に近い肩側へ結び付けると、目を覚まさない少女を抱いたまま立ち上がり、眠そうにあくびをしている黒い犬へ声を掛けた。犬は指示通り少女が持っていたランタンを咥えると、男性を先導するように駆け出した。男性は少女を横向きから縦向きに抱き直すと、その後をついて走り出した。
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