第13話 伯爵暗殺④
ゆっくりと瞼を持ち上げると、視界に入ってきたのは、月明かりに照らされた暗い森の木々と、自分を見下ろす零の顔だった。
「……あれっ、おれ、生きてる?」
掠れた声でそう呟くと、自分の体が驚くほど温かいものに包まれていることに気づいた。
零が地面に座り込み、カズトの頭を膝に乗せ、さらに折れそうなほど強く抱きしめていたのだ。
「……っ! ……バカ!ほんとに死ぬところだったわよ!」
その声はひどく震えていた。
顔を見上げると、そこにはいつもの冷徹な仮面など微塵もない。
目元を赤く腫らし、頬に涙の跡をつけた、年相応の怯えた少女の顔があった。
「生意気なのよ。。またあんな無茶苦茶な力の使い方して、心臓が止まりかけてたんだからね……」
零はそう言いながら、カズトの頬についた泥を震える指先でそっと拭った。
その手つきは、先ほどまで自分をボコボコにしていたものとは思えないほど、壊れ物を扱うように優しく、繊細だった。
「……へへ、やっぱり零は、俺を殺せなかったな」
「うるさいわね! 次は、、次は本当に殺してやるんだから。……だから、それまで勝手にくたばるのだけは、絶対に許さないんだからね」
零は手を離そうとせず、さらに力を込めて抱きしめ直した。
零の心臓の鼓動が、後頭部にトクトクと激しく伝わってくる。
「…もう、嫌。あんたがいなくなったら、私、本当にバケモノになっちゃうじゃない。だから、いなくならないで。……ずっと、私のそばにいなさい」
裏世界の人間としての「正解」を捨て、彼女はついに、カズトという「光」を自分の闇の中に留めることを選んだのだ。
腕の中で痛みには顔を歪めながらも、俺はいたずらっぽく、それでいて挑発的な笑みを浮かべた。
「ここで俺を殺さないなら、次はあんたの邪魔をするかもしれないぞ? 伯爵の時みたいに、また仕事を台無しにするかもな」
その言葉を聞いた瞬間、零の顔にいつもの負けず嫌いな険しさが戻った。
泣き腫らした目でこちらを睨みつけると、抱きしめる力をさらに強め、わざと傷に響くようにぐいっと顔を寄せてくる。
「……できるものならやってみなさい!」
「……ああ。死ぬ気で、あんたの邪魔をしてやるよ」
力なく、けれど確かな意志を持って応えると、零は「ふん、勝手にしなさい」と毒づいた。
そして再び、カズトの頭を自分の膝へと、今度は少しだけ丁寧に置き直す。
夜の森の静寂の中、二人の荒い吐息だけが重なり、嵐のような死闘の余韻がゆっくりと溶けていった。
〜
夜が明けて、森に白い霧が立ち込める頃。
零に背負われて眠りについたカズト目を覚ますと、彼女はすでにいつもの無表情な顔に戻っていた。
けれど、伏せられた睫毛の隙間から向けられる視線には、昨日までのような「拒絶」は感じられなかった。
〜
出発の準備を整えようとしたその時、上空から一羽の漆黒の伝令鳥が舞い降り、彼女の肩に止まった。
「……組織からね。新しい指令よ」
零は鳥の脚に括り付けられた小さな筒から紙を取り出し、内容に目を通す。
その横顔に、一瞬だけ刺客としての冷徹さが戻った。
「『道中の山道にある特定の小屋に寄り、そこで詳細な指示を受けろ』……とのことよ」
「小屋? ……そこには誰がいるんだ?」
「さあ。連絡員か、あるいは別の『百足ムカデ』のメンバーでしょうね。ここからその山道までは、あんたのそのボロボロな足取りなら……十日程度といったところかしら」
零はそう言うと、わざとらしく溜息をつき、目の前で背中を向けた。
「ほら、さっさと歩きなさい。十日もかけるつもりはないんだから。もし遅れたら、山の中に置いていくわよ」
冷たい言葉とは裏腹に、彼女の歩き出しは驚くほどゆっくりだった。
重い怪我を負ったカズトが、無理なくついてこれるよう気を配っているのは明白だ。
「……ああ、分かってるよ。置いていかれないように、必死でしがみついてやるさ」
苦笑いと共に、全身に走る激痛を魔力で強引に麻痺させて一歩を踏み出した。
「伯爵の死」という消えない傷。そして、零との「殺し合い」。
地獄をくぐり抜けるたび、俺たちの関係はより歪に、より強固なものへと変質していく。
霧の向こうに待つのがどんな結末であれ、もうこの背中を見失うことはないだろう。
〜
それからの十日間、二人きりの山道は、嵐の前の静けさのような時間だった。
零が持っていたファンタジーな回復薬の効果は凄かった。
「この薬、すごく高いんだけどなぁ」という恨めしそうなぼやきは聞こえないふりをしたけれど、そのおかげで、ズタボロだった筋肉や焼き切れた魔力回路は、わずか三日で完治に近い状態まで回復した。
歩みを止めぬ旅路の中、あの死闘で掴んだ感覚を必死に手繰り寄せていた。
バリッ……バリバリィッ!
「……よし、今のはスムーズだったな」
全身に微細な雷を纏わせ、神経を加速させる。
以前のような暴走に近い放出ではなく、筋肉に馴染ませるように。
あの戦いで零の技術を身を以て知ったからこそ、繊細な制御の重要性が骨身に染みていた。
十日間の旅の終わり、険しい峠を越えた先に、一軒の古びた丸太小屋が見えてきた。
周囲に人影はなく、森の静寂に溶け込んでいる。
「……あそこね。ようやく着いたわ」
指示を出す「何者か」が待っているはずの場所。
小屋の扉は古く、風が吹くたびにギィ……と不気味な音を立てていた。
「行くわよ。……何があっても、私の後ろから離れないこと」
零がゆっくりと扉を押し開ける。
中は埃っぽく、人の気配がなかった。
使い込まれた家具の上に積もった薄い塵が、最近まで誰もいなかったことを示している。
「誰もいない……? どういうことかしら。指定の時間は間違っていないはずだけど……」
零が眉をひそめ、部屋の奥へ踏み込もうとしたその時だった。
「やぁ。久しぶりだね」
背後から、あまりにも自然で、それでいて心臓を直接掴まれるような滑らかな声が響いた。
弾かれたように振り向くと、そこには小屋の入り口に佇む、一人の男の姿があった。
こんな不親切な異世界転移は間違っている! ころあん @aibbm6wh5
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