第12話 伯爵暗殺③
冷たく言い放ち、零が闇に消えようと背を向けた、その時だった。
ズサッ
背後で、枯れ葉を踏みしめ、無理やり体を引きずるような音が響いた。
零の背中が、凍りついたように固まる。
「……げほっ……、……はぁ、……はぁ……。俺は、……まだ、死んでないぞ……」
血を吐き出しながら、震える膝を叩いて、俺はゆっくりと立ち上がった。
全身の骨が悲鳴を上げ、意識は霞み、立っているのが奇跡のような状態だ。
それでも、俺の目はまっすぐに零の背中を射抜いていた。
「……あれだけ、殺すって……言っておいて……。あんたも、やっぱり……甘いな……。本気で殺す気なら……首の骨でも折れば、よかっただろ?」
口の端を吊り上げ、挑発するように、けれどどこか愛おしそうに笑った。
「嘘、でしょ……」
振り向いた零の瞳に、本物の戦慄が走る。
分かっている。彼女は「加減」なんてしていなかった。
死なない程度、けれど二度と立ち上がれず、トラウマを植え付けて自分を嫌いになるはずの、そんな致命的な暴行を加えたはずなのだ。
(なんで立てるのよ!)
零の内心の叫びが聞こえるようだった。だが、俺は止まらない。
「……あんたがどれだけ……俺を突き放しても……、俺は何度でも……あんたの前に立ってやる。……あんたを、一人になんか……させない……!」
フラフラと、けれど確かな足取りで、一歩、また一歩と近づく。
「来ないで、、来ないでよ! あんた、そんな体で……ほんとに死ぬわよ!?」
その声は、もはや命令ではなく、悲鳴に近い叫びだった。
光を知らない彼女にとって、ボロボロになっても手を伸ばし続ける存在は、眩しすぎて心を狂わせる毒のようなものなのかもしれない。
その時、カズトの全身から、先ほどとは比較にならないほどの激しい雷が噴き出した。
「本当に俺を捨てたいなら、しっかり殺していけ! 生きている限り、あんたから離れはしない!!」
青白い電光が森の闇を白日のように照らし出す。
ボロボロの肉体に鞭打ち、無理やり雷を纏う。
その姿は、自分でもわかるほど痛々しく、同時に異常な執念を放っていた。
「……っ! 出来ないと思ってるの? ちょっと優しくしてやったからって、高を括ってるのかしら!?」
零は奥歯を噛み締め、再び殺意を練り上げる。
しかし、その瞳の奥は、恐怖にも似た動揺で激しく揺れていた。
「安心しろ、お前が俺を殺しやすいように、全力で抵抗してやるよ!」
カズトは叫び、最後の一歩を踏み出す。
「雷、装……行くぞ!!」
叫びと共に地面を蹴った。
加速。雷の力が神経を焼き、千切れかかった筋肉を強引に駆動させる。
自傷ダメージすら無視した、命を削る突撃。
「またそんな使い方をっ!」
零もまた、魔力を全開にして応戦せざるを得なかった。
手加減をすれば、今の捨て身の一撃に自分が飲み込まれてしまう。
それは彼女にとって、かつてないほど「本気」でカズトと向き合わざるを得ない瞬間だった。
ドォォォォォン!!
雷を纏った拳と、超高密度の魔力を乗せた彼女の掌が正面から激突した。
雷鳴と衝撃波が森を震わせ、周囲の木々をなぎ倒していく。
「ははっ、いい、拳だ!」
血を吐きながら笑う。対する零は、その衝撃に顔を歪めた。
「……っ、ぐ……ぅ……っ!!」
彼女の瞳に驚愕が走る。拳から伝わる感覚は、重く、熱く、何より意志に満ちていた。
零が放つ氷のように冷たい魔力が、カズトの放つ熱い雷にじりじりと押し返されていく。
さらに魔力を絞り出し、防御をこじ開けようと踏み込んだ。
これはもはや戦闘ではない。互いの魂をぶつけ合う、剥き出しの対話だった。
雷の光が爆ぜる中で、彼女の冷徹な仮面が剥がれ落ちていく。
露わになったのは、歪んだ泣き顔だった。
「なんで……なんでよ! 捨てるって言ってるのに、楽になりなさいよ! こんな汚い世界、あんたが見る必要なんてないのに!!」
叫びと共に、零の魔力が爆発した。俺の雷と混ざり合い、巨大な光の渦となって二人を包み込む。
閃光と衝撃が止むことなく森に響き渡った。
血を撒き散らしながら、何度も、何度も拳を振るう。
全身を駆け巡る雷が、傷口を焼くと同時に肉体を強制的に動かし続けていた。
今のカズトは、文字通り「動く雷」そのものだ。
しかし、それでも届かない。
死を賭して加速してもなお、零の動きはその先を行っていた。
最小限の動きで猛攻をいなされ、そのたびに身体には新たな衝撃が刻まれていく。
「……やめて、もうやめてよ! それ以上魔力を使ったら、あんたの身体は本当に焼き切れるわ!」
その声は、もはや怒りではなく懇願だった。
零は、自分の放つ自分の拳が本当にカズトの命を削っているという事実に、かつてないほどの恐怖を感じていた。
「まだだ……! まだ、あんたの……懐にさえ……入ってない!!」
意識が朦朧とする中、さらに魔力を絞り出した。
それは零に勝つためではなかった。
零が自分を殺すことを諦めるまで、あるいは、彼女が自分の本心を隠せなくなるまで立ち塞がり続ける。
ただそれだけのための、あまりにも不器用な、命の使い道だった。
(なんでよ……私を憎めばいいじゃない。人殺しの私を、軽蔑して去ればいいじゃない! なんで、そんなにボロボロになってまで!)
彼女の防戦は、次第に精彩を欠いていった。
カズトの「死んでも離さない」という執念が、彼女の冷徹な技術を鈍らせ、その魔力操作に迷いを生じさせていた。
この戦いが辛うじて成立しているのは、カズトが強いからではない。
零が「本気で殺す」という最後の一線を超えられず、その心の隙を、カズトが執念だけで突き続けているからに他ならなかった。
「……っ、あんたの……『嘘』を……殴ってやる……!!」
最後の一歩。
足の骨が軋むのも構わず、雷の爆発を一点に集中させ、彼女の心臓めがけて飛び込んだ。
全身から溢れ出した雷が、夜の森を一瞬だけ白日のように染め上げる。
命を薪まきにして燃やすような、無謀で純粋な特攻。
その凄まじい「覚悟」に、彼女の冷徹な計算は完全に打ち砕かれた。
(……あ。)
零が目を見開くのが分かった。
反射的に防御に回ることも、避けることもしていない。
何があっても隣に居続けると言い切った光が、あまりにも眩しくて、零の心身をわずかに硬直させた。
ドッ、と彼女の胸元に、俺の拳が真っ直ぐに突き刺さった。
零は内臓を破壊されるような衝撃を覚悟して目を閉じる。しかし――。
「……え……?」
襲ってきたのは、暴力的な衝撃ではなかった。
胸に当たったカズトの拳には、もう彼女を傷つける力など一片も残っていなかった。
指先は彼女の服を弱々しく掴んだまま、ただ震えている。
全身を覆っていた青白い雷は霧が消えるように霧散し、焦げた匂いと熱だけが肉体の限界を物語っていた。
「……やっと……捕まえ……た……」
力なく笑う。
そのまま、糸の切れた人形のように、カズトの体は零の胸元に崩れ落ちた。
「……え? 」
零が慌てて倒れ込む身体を抱きとめる。
その腕の中に伝わってくるのは、尋常ではないほど速く、けれど今にも止まりそうな細い鼓動。
そして、無理な魔力駆動によって跳ね上がった、ボロボロの肉体の熱さだった。
「なんなのよ、本当に……! 私を殴る力さえ残ってないくせに、何が『殴ってやる』よ……!」
零の声が、激しく震え始める。
カズトの顔は血と泥に汚れ、服は無惨に裂けていた。それでも、その指は、二度と離さないと誓うように、彼女の服をギュッと握りしめたままだった。
「……嫌……。死なないで……お願いだから……」
零は膝をつき、カズトの頭を自分の胸に強く抱き寄せた。
鉄の仮面は、もうどこにもない。ただの一人の少女として、彼女は声を上げて泣きながら、震える手で必死に回復薬を、消え入りそうな命へと注ぎ込み始めた。
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