第6話 女神を殺す武器?

翌朝、まだ夜明け前の薄暗い室内。

 カズトが深い眠りについていると、横腹に容赦のない衝撃が走った。


 ドスッ!


「ぐはっ……!?」


 ベッドから無残に蹴り落とされ、硬い床に叩きつけられた。


悶絶しながら見上げると、そこには既に完璧に身支度を整えた零が、一切の情けを排した冷ややかな目で見下ろしていた。


「いつまで寝てるのよ。今日は拠点移動。一分でも早くここを発つわよ」


 今回の移動は、次の任務地へ向けた「移動兼・修行」だった。


 零は見た目以上に収納ができる大容量の「マジックバッグ」を肩にかけ、鼻歌まじりに軽装で歩き出す。


対してこっちは、パンパンに膨らんだ巨大な背負い袋を担がされていた。


「……おい零、それ多分マジックバッグってやつだよな? 俺のこの荷物も、それに入れて欲しいんだけど」


「馬鹿ね、これは修行だって言ったでしょ。いい? 常に全身に魔力を留めて、重さに耐えなさい。それから一歩踏み出すごとに、負荷のかかる足に魔力を多めに集中させるの。普通に走る時も足の筋肉に力を入れるでしょ?理屈はそれと同じよ。それができなきゃ、この山越えで潰れるわよ」


 歯を食いしばり、零の指示通りに魔力を操作した。


「踏み出す右足」に、次は「支える左足」に、そして「重みに軋む背中」へと、意識して魔力の流れを移動させる。


(……っ、きつい。けど……確かに、部分的に魔力を集めると、その瞬間だけかなり楽になる)


 数時間の行軍を経て、カズトの魔力操作はある程度に洗練されていった。


零は前を歩きながら、時折不意打ちで背後も確認せずに小石や木の枝を投げつけてくる。


「おっと……!」


 即座に腕に魔力を集め、防御力を高めた。


パキンッと乾いた音を立てて石を弾き返す。


この魔力操作の習得により、カズトの戦闘能力は飛躍的に向上していた。


 昼の休憩時。


 汗だくで地面に倒れ込むカズトに対し、零は汗ひとつかいていない涼しい顔で、マジックバッグから冷えた飲み物を取り出した。


「ふーん。思っていたよりはマシな動きね。荷物持ちとしては合格点。……でも、その程度で満足しないでよ? 私のスピードについてくるには、今の数倍は魔力の切り替えを速くしてもらわないと」


 零は煽るように飲み物を喉に流し込む。


その横顔は美しくも、圧倒的な実力差を見せつける強者の余裕に満ちていた。


「……わかったよ。絶対についていってやる。次は俺がマジックバッグを持って、あんたを担いでやるからな」


「減らず口だけは一流ね」


 零はカズトの不屈な目つきを見て、内心で(いい目になったじゃない)と呟いた。


 拾い上げた「駒」は、いつの間にか彼女にとって、単なる私物としては無視できない存在へと変わりつつあった。


「さあ、休憩終わり。次の峠を越えるわよ。遅れたら置いていくから」


「はいはい、零様……。おっと、零、だったな」


 二人は険しい山道を進む。


 三日間、食事と睡眠以外は常に魔力を練り続け、零の背中を追い続けたカズト。


自由都市「ステラ」の巨大な城門が陽光に照らされて見えた瞬間、張り詰めていた糸がぷつりと切れた。


「……れ、零……。もう、一歩も……動けな……」


 そのまま、前のめりに地面に倒れ込んだ。


土埃が舞い、背負わされていた巨大な荷物が重苦しい音を立てる。

もはや指先ひとつ動かす余力も残っていない。


 零は足を止め、死体のように動かないカズトを見下ろした。しかし、その瞳に浮かんでいたのは呆れではなく、隠しようのない「驚愕」だった。


(多少の睡眠があったとは言え、この三日間、一度も魔力を枯渇させずに魔力を維持し続けた。魔力操作は運動と同じ。常に多少の魔力を消費し続ける。普通なら、経験を積んだ魔導師でも連続では半日持てばいい方なのに……)


 零はカズトの傍らに静かにしゃがみ込み、その首筋に手を触れた。


 肉体は限界を超えてボロボロだ。気力も集中力も空っぽ。


 なのに、その内側に流れる「雷の魔力」だけは、依然として底知れぬ量を蓄え、穏やかに、力強く脈打っている。


(……化け物ね。今はまだ扱いが未熟だから気づかれないけど、この魔力保有量……。本当に、とんでもない素材を拾っちゃったみたい)


 かつて自分が生きるために必死に食らいついた六年という歳月を、この男はたった一週間で、その圧倒的な「器」の大きさで塗り替えようとしている。


束の間の休息


 零は周囲に敵意がないか、警戒を強めた。そして、誰もいないことを確認すると、そっとカズトの頭を持ち上げ、自分の膝の上に乗せた。


「……ま、よく頑張ったわ。及第点以上よ」


 昨日までの厳しい顔は消え、そこにはただ、自分と同じ過酷な運命に巻き込まれた同郷の男を労わる、十八歳の少女の顔があった。


 零は、カズトの寝顔にかかる砂埃を指先で優しく払う。


「あんたが強くなれば……私は少しは、楽になれるのかしらね」


 独り言は風に消えた。


 膝の上で泥のように眠るカズトの温かさを感じながら、零は都市を眺める。ここでは次の任務が待っている。


 ドサッ、という鈍い音と共に、カズトは宿の冷たい板間に叩きつけられた。


「いってぇ! またかよ!?」


 痛む腰をさすりながら這い上がると、そこには窓から差し込む夕陽を背に、腕を組んで仁王立ちする零の姿があった。

 

 三日間の強行軍の後だというのに、彼女は既にシャワーを浴び終えたのか、清潔な香りを漂わせ、肌も心なしかツヤツヤとしている。


「いつまで寝てるのよ。朝に街に着いてから、もう夕方。あんた、イビキまでかいて死んだように寝てたわよ」


「……ほぼぶっ通しだったんだから、当然だろ。っていうか、ここ宿屋か? よく連れてきてくれたな。あの状態で俺を運ぶの、大変だったろ」


 感謝を込めて言うと、零は一瞬だけ視線を逸らし、すぐに心底嫌そうな顔をして鼻をつまんでみせた。


「あんたを外に転がしておいたら、泥棒に身ぐるみ剥がされて終わりだもの。それより、汚いから、早く身体を洗ってきなさい。」


 言葉は辛辣だが、その視線はカズトの足取りがしっかりしているかを確認しているようでもあった。


「悪いな。じゃあ、風呂借りるよ」


 ふらつきながら立ち上がり、風呂場へ向かおうとすると、背後から零が不敵な笑みを浮かべて声をかけた。


「言っておくけど、この街での潜入任務はもう始まっているのよ。身体を洗ってシャキッとしたら、今夜はさっそく情報収集に出かけるわよ。……そのための『衣装』も用意してあるから」


 零が指さした先には、この世界の上流階級が着るような、豪奢だが動きやすそうな装束が置かれていた。


「情報収集って……どこに行くんだよ?」


「カジノよ。あんたの仕事は、私の『付き人』兼『護衛』。少しは格好をつけなさい。」


シャワーの熱いお湯を浴びながら、放り投げられた上品な服と、零の言葉を思い出していた。


 三日間の地獄のような移動修行は、確実に彼の肉体と感覚を変えていた。以前は魔力を動かそうとすると、重い泥のような抵抗感があったが、今は違う。


(……軽い。意識した場所にスムーズに魔力が流れる……)


 目を閉じれば、体内の魔力がどこに、どれくらいの密度で滞留しているかがわかる。試しに、雫が滴る右手の指先にだけ、極小の雷を集中させてみた。


 パチッ……!


 以前なら制御できずに周囲へ火花を散らしていただろうが、今は指の間で青白い光が安定して揺らめいている。


(安定している。……あんなに厳しかったけど、零の言った通りだ。道具に頼る前に、自分の体を完璧な『導体』にするってこういうことか)


 シャワーを終え、用意された服に袖を通すと、鏡に映る体つきは以前よりも逞しく、精悍な印象に変わっていた。


 部屋に戻ったカズトは、その場で凍りついたように足を止めた。


 そこにいたのは、いつもの殺伐とした『百足』の幹部ではなかった。


 夜の闇を溶かし込んだような深いネイビーのイブニングドレス。


背中が大胆に開き、歩くたびにスリットから覗くしなやかな脚。


 普段は無造作に結んでいる黒髪も今日は下ろされ、艶やかに肩を流れている。


大人びた、けれどどこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「……え、零……なのか?」


「……何よ。潜入任務だって言ったでしょ。お金持ちを装うなら、連れている女がこれくらい着飾ってないと不自然だわ」


 零はカズトの熱い視線に気づくと、落ち着かない様子でふいっと顔を背けた。


 けれど、隠しきれない耳の赤さが、彼女もまたこの格好に慣れていないことを物語っている。


「いや、なんていうか。めちゃくちゃ綺麗だと思って。……見惚れた」


 飾らない本音を口にすると、零は一瞬だけ目を見開き、それから「馬鹿ね」と小さく毒づいた。


「……当たり前でしょ。ほら、行くわよ。あんたもその格好、意外と様になってるわ。少しはマシに見えるんじゃない?」


 零はカズトの腕に自分の細い腕を絡め、ぐいっと引き寄せた。


 ドレス越しに伝わる柔らかな感触と、石鹸の混じった甘い香り。


 必死に習得した魔力操作が、別の意味で乱れそうになる。


「……おい、零。そんなに密着されたら、歩きにくいんだけど」


「我慢しなさい。これが『エスコート』よ。……それとも、嫌なの?」


 少し上目遣いで覗き込まれ、カズトは完敗を認めるように溜息をついた。


 二人は夜の街へと繰り出す。目的地はカジノ『ルナ・パレス』。

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