第5話 不親切な転移⑤

翌日、空は泣き出したような重い雨に包まれていた。

 

視界の悪い崖の上、零とカズトは眼下を通る街道を、息を潜めて見下ろしていた。


 ターゲットは、裏組織『百足』の物資を、愚かにも横流しして私腹を肥やす商人の馬車隊。


組織は裏切りを絶対に許さない。その鉄の掟を執行するのが、今回の二人の任務だ。


 零はアルケミストの力で練成した「暗視スコープ付きの狙撃銃」を構えた。


 冷たい金属の光沢が、彼女の横顔をより一層鋭く見せる。


「……来たわ。合図したら予定通り突っ込んで。あんたの役割は、先頭の馬車を足止めして護衛を混乱させること。いいわね、殺す必要はないわ。痺れさせて動けなくすればいい」


「……わかった。やってみる」


 深く息を吐いた後、泥で汚れた地面に膝を曲げた。


 心臓が耳元で鳴っている。一週間、死ぬ思いで繰り返した魔力操作。


体中の神経が、爆発寸前のエネルギーで熱く疼いている。


「……死なないでよね。あんたに死なれたら、明日から誰がオムライス作るのよ。……行きなさい!」


 バァァン!


 雨音を切り裂く、乾いた発砲音。


 零の放った特殊弾が、先頭を走る馬車の車輪を正確に粉砕した。


それを合図に、カズトは崖から一気に飛び降りる。


「うおおおおおっ!!」


 着地の衝撃を魔力で受けると同時に、練り上げた雷属性の魔力を一気に解放した。


 バチバチバチッ!!


 全身から青白い火花が爆ぜ、未熟ながらも強烈な「雷の放出」が周囲へ伝播する。


降りしきる雨と地面を覆う水が導体となり、馬車の周りにいた護衛たちが、悲鳴を上げる暇もなく硬直し、その場に崩れ落ちた。


「な、なんだ!? 魔法使いか!? 構えろ、迎撃だ!」


 混乱の中、一際体格の良い護衛のリーダーが剣を抜き、こちらへと肉薄する。


 必死に感覚を研ぎ澄ませる。


(速い……! でも、零の、あの理不尽な蹴りに比べれば!)


 身体強化で跳ね上がった反射速度で刃を躱し、相手の懐へと潜り込む。


「これでも、食らえッ!」


 雷を纏わせた右拳を、相手の胸板に叩き込む。


バチッ! という衝撃波と共に、大男は白目を剥いて吹き飛んだ。

(やったか!?)


 確かな手応え。しかし、戦場は甘くない。


 死角である背後から、別の護衛が槍を構えて突進してくるのが見えた。


しかし体勢を崩しており、回避は間に合わない。


「しまっ……!」


 パァンッ!


 空気を切り裂く鋭い音。

 目の前で、迫りくる槍の穂先が粉々に砕け散った。零による、寸分の狂いもない援護射撃だ。


「ぼーっとしないで! 右からもう一人来てるわよ!」


 崖の上から響く凛とした声。

 

 その声に背中を押されるように、再び地面を蹴った。


 数分後。


 街道は、雨の音だけが響く沈黙に支配された。


 電撃で無力化された者、そして零の正確無比な狙撃によって戦闘不能になった者たちが泥の上に転がっている。


 膝をつき、荒い息をつきながら自分の両手を見つめた。


 人を傷つけ、吹き飛ばした、という生々しい振動がまだ拳に残っている。


「……これが、実戦か」


 震える声を絞り出すカズトの前に、崖から飛び降りてきた零が着地した。


彼女の銃はすでに消えており、その瞳には複雑な色が混じっていた。


「完璧ね。任務達成よ」


 零は、泥の中に倒れた護衛たちを冷徹な目で見下ろした。


 そして、自分の拳を見つめて震えているカズトの肩を、ほんの少しだけ、強く叩いた。


「よくやったわ。私の言った通り、あんたが道を切り開いた。あんたは先に帰ってなさい。……後始末は私がやるから」


 その「後始末」という言葉の裏にある重みを、深く追求はしなかった。


ただ、彼女の不器用な労いを受け、ようやく強張っていた顔を少しだけ緩めることができた。


 初めての実戦を乗り越え、拠点である小屋に戻った後も、心の中は晴れなかった。


 自分の手を汚さず、零にすべてを押し付けてしまったという罪悪感が胸を締め付ける。


帰ってきた零は、そんなカズトの様子を見て、ポツリポツリと、今まで決して語ることのなかった「昔話」を始めた。


「……あんたは運がいいわ。最初に私に出会えたんだから。……私はね、転移した直後、ある村の連中に捕まったの」


 零の言葉が、わずかに遅くなる。


「孤児だとでも思われたのでしょうね。汚いボロ布を着せられて、家畜小屋に閉じ込められて、無理やり働かされて。子供かどうかなんて、誰も気にしなかったわ。この世界の住人にとって、私は都合のいい奴隷に過ぎなかった。」


 カズトは隣で、黙って耳を傾けた。


今の彼女からは想像もできない、無力で、尊厳を奪われていた頃の姿。


「ある日、村を襲った魔物から逃げるために、私を『餌』にして村人全員が逃げ出した。その時よ。死への恐怖と、裏切られた怒りで、私のスキル『アルケミスト』が覚醒したのは」


 零は右手を空中に掲げた。青い火花が散り、拳銃が形作られる。


「その銃で魔物を殺し、次に、私を捨てた村人たちの後を追った。……その後のことは、あまり覚えていないわ。気がついたら、私の周りには誰もいなくなっていて、服が真っ赤に染まっていたことだけ」


 それは、彼女が「人」であることを捨てた瞬間だった。


「一人で彷徨っていた私を拾ったのが、『百足』の先代幹部だった。今のあんたと同じよ。特別な力を持つ私は、村人とはまた違う形で利用された。

私の場合は生きる術を教えられたんじゃない。『殺す術』を叩き込まれたの。私は、私自身を守るために、心を殺したわ」


 零はそこで言葉を切り、こちらを真っ直ぐに見つめた。


 その瞳は、凍てつくような拒絶の裏側に、触れれば壊れてしまいそうなほど痛々しい孤独が透けて見えた。


「だから、カズト。あんたが言った『私を死なせたくない』なんて言葉……正直、反吐が出るくらい甘くて、気味が悪い。……でも……」


 彼女はふいっと顔を背けた。


「この世界にきて、初めてな気がするわ。自分の利益じゃなく、私のために動く奴の言葉なんて。本当に、馬鹿じゃないの」


 拠点の入り口に着いた時、零は立ち止まり、カズトの服の袖をグイと引っ張った。


「任務、お疲れ様。明日も、私の後ろ、ついてきなさいよね。……それと、今夜はオムライスじゃなくて、もっとこう、甘いものが食べたいわ。そうね、『パンケーキ』を作りなさい」


 カズトは、零が初めて見せた18歳の少女らしいワガママに、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。


「わかったよ、最高のパンケーキを焼いてやるよ。シロップたっぷりのな」


「期待、しておくわ」


 不親切で、間違った異世界。


 けれど、二人の間に流れる空気だけは、確かに少しずつ「親切」なものへと変わり始めていた。


拠点の奥、静まり返った夜の帳とばりの中で。


初任務の興奮と泥のような疲れが混ざり合い、意識が微睡まどろみの境界を彷徨っていた。


ガサリ、と硬いシーツが擦れる音が響く。


不意に、鉄と血の匂いではない、甘く、けれどどこか心臓をかき乱すような香りが鼻をくすぐった。


目を開けると、窓の隙間から差し込む月光に照らされた零がそこに立っていた。


「……起きてるんでしょ。初任務、私の期待以上の働きだったわ」


零はいつもの戦闘服を脱ぎ、薄手のインナー姿だった。


月の光に縁取られた彼女のシルエットは、驚くほど細く、そして危うい。


「だから、言った通り『ご褒美』をあげに来たのよ」


零はそう言うと、隣に静かに腰を下ろした。


普段の冷徹さはどこへやら、彼女の華奢な指先が首筋から胸板へと、その熱を確かめるようにゆっくりと這う。


熱を帯びた指先の感触に、鼓動は暴力的なまでに跳ね上がった。


隠しきれない身体の反応を示すと、零は口角を吊り上げ、暗闇の中で意地の悪い、けれどどこか艶っぽい笑みを浮かべた。


「静かに。動くと殺すわよ」


耳元で囁かれる冷たい言葉。

けれど、その裏にある響きは、いままでになく慈愛に満ちていた。


零はカズトの身体に寄り添い、もう片方の手で彼の乱れた髪を優しく、慈しむように撫で始めた。


「よしよし。よく頑張ったわね、カズト」


子供をあやすような、あるいは大切な宝物に触れるような手つき。


裏社会でしか生きられなかった彼女が、唯一差し出すことのできる、不器用で直接的な「愛」の形。


その熱に浮かされながら、彼女の不思議な優しさに身を委ねるしかなかった。


少しして、満足したのか零はふいと身体を離した。


満足そうにフンと鼻を鳴らす。


その表情には、幹部としての仮面ではなく、悪戯を成功させた少女のような達成感が滲んでいた。


「あなたの初任務の報酬としては、破格だったんじゃないかしら? 明日からの修行も、精を出しなさい」


彼女は背を向けて自分の寝所へ戻ろうとしたが、去り際に一度だけ振り返った。月の光に照らされた頬が、わずかに朱に染まっている。


「頑張ったら、またしてあげるわ。おやすみなさい、カズト」


彼女の背中を見送りながら、ポツリと独りごちた。


彼女の「エッチなご褒美」が、まさかこんなにも可愛らしい「撫で撫で」だったなんて。


「……酷い世界だけど、まあ、悪くないか」


カズトは火照った身体を落ち着かせ、今度こそ深い眠りへと落ちていった。

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