第十七章 群衆を動かす

「皆さん、落ち着いてください!」


誠一の声が、広場に響き渡った。


拡声の魔道具によって増幅された声は、広場の隅々まで届いた。市民たちが一斉に時計塔を見上げた。


「私は城門警備隊の桐生誠一です! 今から、皆さんを安全な場所へ誘導します!」


市民たちがざわめいた。


「警備員?」


「何を言っている」


「俺たちを助けられるのか」


疑念の声が上がった。しかし誠一は構わず続けた。


「パニックを起こさないでください! 冷静に、私の指示に従ってください!」


誠一は広場を見下ろし、状況を把握した。


魔族は広場の北側と東側に集中している。南側と西側は比較的空いている。


「南側の出口から退出する方は、左側通行でお進みください! 西側の出口から退出する方は、右側通行でお進みください!」


具体的な指示を出す。これが群衆誘導の基本だ。


「前の方、立ち止まらないでください! 後ろの方、押さないでください!」


市民たちは最初、戸惑っていた。しかし、誠一の冷静で明確な指示に、徐々に従い始めた。


「お子様連れの方は、優先的に南側へ! お年寄りの方は、西側の商店街へ!」


群衆が動き始めた。


最初はゆっくりだったが、次第に流れができていく。誠一の指示通り、左側通行と右側通行が分かれ、混乱なく移動が進んでいく。


「その調子です! 焦らないでください! 時間はあります!」


誠一は声を張り上げ続けた。


これは、現代日本で学んだ技術だった。


大規模なイベントや災害時の群衆誘導。パニックを防ぎ、人々を安全に導く方法。


「前の方、左に寄ってください! 右側を空けてください!」


「お子様の手を離さないでください! はぐれた場合は、南門で待ち合わせてください!」


「荷物は捨ててください! 命より大切なものはありません!」


一つ一つの指示が、群衆の動きを整えていく。


誠一は広場全体を俯瞰しながら、最適な指示を出し続けた。


* * *


魔族たちは、予想外の事態に戸惑っていた。


彼らは市民を虐殺するつもりだった。パニックに陥った群衆を、追い詰めて殺す。それが計画だった。


しかし、群衆はパニックに陥らなかった。


誰かの声に従い、整然と移動している。逃げ惑うのではなく、秩序を保って避難している。


「何が起きている……」


魔族のリーダーが呟いた。


「あの声だ。塔の上から聞こえる」


「止めろ! あいつを殺せ!」


魔族の兵士が時計塔に向かった。


しかし——


「させるか!」


ゴルドが立ちはだかった。


「誠一を邪魔させねえぞ!」


ゴルドは斧を振るい、魔族の兵士たちと戦った。他の城門警備隊の隊員たちも加わり、時計塔を守った。


誠一は彼らの奮闘を見ながら、声を出し続けた。


「南側の避難は順調です! 西側の方も、引き続き移動をお願いします!」


群衆の約半数が、すでに広場を離れていた。残り半数も、着実に移動している。


「あと少しだ……」


誠一は声を張り上げ続けた。


喉が痛くなってきた。しかし、止めるわけにはいかない。


「最後尾の方、急がないでください! 押さないでください!」


やがて、最後の市民が広場を離れた。


「避難完了!」


誠一は叫んだ。


広場には、魔族の兵士たちだけが残された。彼らは茫然と、空っぽになった広場を見つめていた。


「何が……起きたんだ……」


魔族のリーダーが呟いた。


「たった一人の声で……数百人の人間を……」


「俺たちの仕事だ」


時計塔から降りてきた誠一が言った。


「人を守ること。それが、警備員の仕事だ」


「くそっ……殺してやる!」


魔族のリーダーが剣を抜いた。


しかし——


「そこまでだ」


新しい声が響いた。


広場の入り口に、騎馬の集団が現れた。


先頭にいるのは——レオンハルト騎士団長だった。


「騎士団主力、帰還した」


レオンハルトは剣を抜き、魔族たちを睨んだ。


「王都に侵入した魔族ども、一人残らず殲滅する」


騎士たちが一斉に突撃した。


魔族の兵士たちは、なすすべなく斬り伏せられていった。


* * *


戦闘は、数時間で終結した。


騎士団主力の帰還により、形勢は一気に逆転した。街中に散らばっていた魔族たちは、各個撃破されていった。


城門は奪還され、火災は消し止められ、王都は再び人間の手に戻った。


誠一は時計塔の前で、崩れ落ちるように座り込んだ。


「終わった……」


全身の力が抜けていく。


喉は枯れ、足は震え、腕の傷からはまだ血が滲んでいた。


「誠一!」


エルナが駆けつけてきた。


「大丈夫ですか! 怪我してる!」


「大丈夫だ……大したことない……」


「嘘です! 血がいっぱい出てます!」


エルナは誠一の腕を見て、顔を青くした。


「治療師を呼んできます!」


「いい、俺より先に他の怪我人を——」


「誠一さんだって怪我人です!」


エルナは走り出した。


誠一は彼女の後ろ姿を見ながら、小さく笑った。


「強くなったな、あいつも……」


空を見上げた。


夜明けが近づいていた。


長い夜が、ようやく終わろうとしていた。


* * *


「誠一」


声が聞こえた。


顔を上げると、リーゼロッテが立っていた。


彼女の全身も傷だらけだった。鎧は焼け焦げ、マントは裂け、顔には血が付着していた。


「リーゼロッテ……無事だったか」


「辛うじてな。暗殺者は撃退した」


「そうか……よかった」


誠一は安堵の息をついた。


リーゼロッテは誠一の隣に座った。


「聞いたぞ。お前が群衆を誘導して、数百人の市民を救ったと」


「俺一人じゃない。隊員たちが——」


「謙遜するな」


リーゼロッテは誠一を見た。


「お前は、本当にすごい奴だ」


「すごくなんかない。俺は戦えなかった。ただ、声を張り上げただけだ」


「それが、お前の戦い方だ」


リーゼロッテは微笑んだ。


「騎士は剣で戦う。お前は——声で戦う。どちらも、人を守るための戦いだ」


誠一は黙った。


何も言えなかった。


しばらくの沈黙の後、リーゼロッテが立ち上がった。


「行こう。まだやることがある」


「ああ……」


誠一も立ち上がろうとした。


しかし——


「あれ……」


足に力が入らなかった。


視界がぐらつく。


「誠一?」


「すまない……ちょっと……」


誠一の体が傾いた。


「誠一!」


リーゼロッテが支えた。


「おい、しっかりしろ!」


「大丈夫だ……ただの疲労——」


言い終わる前に、意識が遠のいていった。

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