第十二章 王女の護衛

地下拠点の発見から一週間が経った。


騎士団は魔王軍の残党を追跡していたが、目立った成果は上がっていなかった。敵は撤退の際、ほとんどの痕跡を消し去っていた。捕虜は一人も残されておらず、情報源は途絶えていた。


「完全に消えたわけではないだろう」


定例の会議で、レオンハルト団長が言った。


「奴らはどこかに潜んで、次の機会を窺っている」


「警戒を続けるべきですね」


誠一が発言した。


「特に、王族や要人が公の場に出る際には、厳重な警備が必要です」


「そのことで、話がある」


レオンハルトは誠一を見た。


「来週、第一王女アリシア殿下が王都南部の孤児院を視察される。その警備に、お前を加えたい」


会議室がざわめいた。


「王女の警備に警備員を?」


ハインリッヒが声を荒げた。


「団長、それは——」


「意見は聞いていない」


レオンハルトが遮った。


「誠一の『予兆感知』は、これまで何度も危機を事前に察知してきた。暗殺の脅威がある中、この能力を活用しない手はない」


「しかし、王女殿下のお側に警備員風情が——」


「ハインリッヒ、お前は黙れ」


珍しくリーゼロッテが口を挟んだ。


「誠一の能力は実証済みだ。私も彼を推薦する」


ハインリッヒは苦い顔をしたが、それ以上は反論しなかった。


「決まりだ」


レオンハルトが言った。


「誠一、視察の当日までに、孤児院とその周辺の地形を把握しておけ。リーゼロッテ、お前が補佐役を務めろ」


「了解しました」


二人は頭を下げた。


会議が終わった後、誠一はリーゼロッテと共に会議室を出た。


「大変なことになったな」


リーゼロッテが言った。


「王女殿下の警備となると、責任が重い」


「ああ。しかも、貴族たちからの風当たりが強くなりそうだ」


「覚悟はしている」


誠一は淡々と答えた。


「俺の仕事は、王女殿下を守ること。それ以外のことは、関係ない」


「お前は本当に——」


リーゼロッテは何か言いかけたが、言葉を呑み込んだ。


「何だ?」


「いや……何でもない」


彼女は首を振った。


「準備を始めよう。時間はあまりない」


* * *


視察の前日、誠一は孤児院の周辺を入念に調べた。


孤児院は王都南部の貧民街に近い場所にあった。石造りの二階建ての建物で、周囲には小さな庭園がある。


誠一は建物の周囲を歩き、死角になりそうな場所をチェックした。裏手には古い倉庫があり、そこから孤児院の窓が見える。狙撃のポイントになり得る。


「あそこは封鎖が必要だ」


「了解」


リーゼロッテがメモを取った。


「他には?」


「孤児院の正面に広場がある。視察の際、そこに群衆が集まるはずだ。群衆の中に工作員が紛れ込む可能性がある」


「騎士を配置する」


「人数は多いほうがいい。ただし、目立ちすぎると逆効果だ。私服で紛れ込ませる手もある」


「私服の騎士か。珍しい発想だな」


「警備は、威圧と隠密の両方が必要だ。見える警備で抑止し、見えない警備で実際の脅威に対処する」


リーゼロッテは感心した顔で頷いた。


「お前の知識は、いつも新鮮だ」


「現代——いや、俺の故郷では当たり前のことだ」


誠一は孤児院の建物の中にも入った。院長に許可を得て、すべての部屋と廊下を確認する。


「ここで王女殿下がお茶を召し上がる予定です」


院長が応接室を指さした。


誠一は部屋を観察した。窓は二つ。どちらも庭に面している。扉は一つ。廊下からしかアクセスできない。


「窓には鎧戸をつけてください。視察の間は閉めておく」


「しかし、光が——」


「蝋燭で十分です。外から見えない状態にすることが重要です」


院長は戸惑った様子だったが、誠一の真剣な表情を見て頷いた。


「わかりました。手配します」


* * *


視察当日の朝、誠一は詰め所で準備を整えていた。


「誠一さん、大丈夫ですか」


エルナが心配そうに声をかけた。


「大丈夫だ。いつも通りにやるだけだ」


「でも、相手は王女様ですよ……」


「王女であろうと庶民であろうと、守るべき対象であることに変わりはない。特別扱いはしない」


「……すごいですね、誠一さんは」


「すごくはない。当たり前のことだ」


誠一は制服を整え、詰め所を出た。


騎士団本部で合流したリーゼロッテと共に、孤児院へ向かう。すでに周囲には警備の騎士が配置されており、広場には見物の群衆が集まり始めていた。


「『予兆感知』はどうだ」


リーゼロッテが尋ねた。


「今のところ異常なし。ただ、油断はできない」


「わかっている」


やがて、王女の馬車が到着した。


白い馬車が広場に入ると、群衆から歓声が上がった。馬車の扉が開き、一人の若い女性が姿を現した。


第一王女アリシア。


金髪をなびかせ、優雅なドレスを纏った彼女は、まさに王族にふさわしい気品を漂わせていた。しかし、その表情には堅さがあった。緊張しているのだろうか、それとも——


誠一は『鷹の眼』で王女を観察した。


瞳孔の開き具合、呼吸の深さ、手の位置——すべてが緊張を示している。しかし、それだけではない。何か別のものがある。


——疲れ。


王女の目の下にはわずかな隈があり、肌の色も少し青白い。睡眠不足か、あるいはストレスか。いずれにせよ、彼女は何かを抱えている。


「護衛の者はこちらへ」


王女の侍従が声をかけた。


誠一とリーゼロッテは、王女の後方に控えた。他にも数人の騎士がいるが、最も近い位置にいるのは二人だけだった。


「あなたが、桐生誠一?」


不意に、王女が振り返った。


「は、はい。城門警備隊の——」


「話は聞いています。騎士団ではなく、警備隊の人間だと」


王女の目が、誠一を値踏みするように見つめた。


「なぜ、あなたのような人が私の警備に?」


「私の能力が、殿下のお役に立てると判断されました」


「能力?」


「『予兆感知』というスキルです。危険を事前に察知できます」


「ふうん」


王女は興味深そうに首を傾げた。


「面白い。期待していますよ」


「光栄です」


誠一は頭を下げた。


王女は前を向き、孤児院へと歩き出した。誠一たちはその後に続いた。


* * *


孤児院の中では、子供たちが王女を歓迎した。


「王女様だ!」


「きれい!」


子供たちの歓声に、王女の表情が和らいだ。先ほどまでの堅さが消え、柔らかな笑みが浮かぶ。


「みんな、元気にしていますか?」


王女は子供たちの前にしゃがみ込み、目線を合わせて話しかけた。


「元気です!」


「ごはん食べてます!」


「昨日はお肉が出ました!」


子供たちは口々に答えた。王女は一人一人の頭を撫で、名前を聞いた。


誠一はその様子を見守りながら、周囲への警戒を続けた。


院内には騎士が数人配置されている。窓には予定通り鎧戸がつけられ、外からの視線は遮断されている。問題はなさそうだ。


しかし——


『予兆感知』が、かすかな警告を発した。


まだ遠い。まだ曖昧だ。しかし、何かが近づいている。


「リーゼロッテ」


誠一は小声で呼びかけた。


「何かあるか」


「わからない。しかし、警戒レベルを上げてくれ」


「了解」


リーゼロッテは他の騎士に合図を送った。


視察は続いた。王女は孤児院の各施設を見て回り、院長から説明を受けた。寮室、食堂、教室——子供たちが生活する場所を、丁寧に確認していく。


やがて、応接室に案内された。


「殿下、お茶の用意ができております」


院長が恭しく言った。


「ありがとう。いただきましょう」


王女が椅子に座ると、侍女がお茶を運んできた。銀のティーポットから、芳香の立つ紅茶がカップに注がれる。


誠一の『予兆感知』が、急激に強まった。


——これだ。


危険の源は、目の前にあった。


「お待ちください!」


誠一は咄嗟に声を上げ、前に飛び出した。


「何事——」


王女が驚いた声を上げた。その手が、カップに伸びかけていた。


「失礼します!」


誠一は王女の前に立ち、カップを取り上げた。


「誠一、何をしている!」


リーゼロッテが駆け寄ってきた。


「このお茶は飲めません」


「なぜ——」


「毒が入っています」


室内が凍りついた。


「毒だと?」


リーゼロッテがカップを覗き込んだ。しかし、見た目には何の異常もない。普通の紅茶にしか見えなかった。


「どうしてわかる」


「『予兆感知』が警告しています。このお茶を飲めば、殿下は——」


誠一は言葉を切った。言わなくても、意味は通じるはずだ。


「確かめましょう」


リーゼロッテが侍従を呼び、毒味役を連れてこさせた。


毒味役がカップから一口飲むと——


数秒後、彼の顔色が変わった。


「がっ……」


毒味役は喉を押さえ、その場に崩れ落ちた。泡を吹き、全身が痙攣している。


「解毒だ! 早く!」


リーゼロッテが叫んだ。


治療師が駆けつけ、毒味役に解毒の魔法をかけた。ぎりぎりで一命を取り留めたが、意識は戻らなかった。


「……本当に、毒が」


王女が青ざめた顔で呟いた。


「もし、あのまま飲んでいたら——」


「殿下、ご無事でよかった」


誠一は安堵の息をついた。


「あなたのおかげです」


王女は誠一を見つめた。その目には、驚きと——何か別の感情が浮かんでいた。


「桐生誠一。あなたが、本当に私の命を救ってくれたのですね」


「当然のことをしたまでです」


「いいえ、当然ではありません」


王女は首を横に振った。


「貴族の中には、私の命よりも自分の保身を優先する者が多い。しかし、あなたは——警備員という立場でありながら、真っ先に動いてくれた」


「それが私の仕事ですから」


「仕事、ですか」


王女は小さく笑った。


「面白い人ですね、あなたは」


* * *


視察は中止となり、王女は王城へ戻った。


誠一は騎士団本部で事後報告を行った。


「毒の出所は特定できたのか」


レオンハルトが尋ねた。


「調査中です。しかし、孤児院の厨房には外部からのアクセスがありました。何者かが侵入し、茶葉に毒を仕込んだと思われます」


「魔王軍の仕業か」


「おそらく。王女殿下は王族の中でも民衆に人気が高い。彼女を狙うことで、王国の混乱を狙ったのでしょう」


「未然に防げたのは、お前のおかげだ」


「私は自分の仕事をしただけです」


誠一は謙遜した。しかし、レオンハルトは首を振った。


「謙遜するな。お前の能力がなければ、王女殿下は命を落としていた。これは大きな功績だ」


「ありがとうございます」


「それから、王女殿下がお前に会いたいと仰せだ」


「殿下が?」


「明日、王城に参内せよ。殿下直々に礼を述べたいとのことだ」


誠一は戸惑った。王女に謁見など、予想外の展開だった。


「わかりました」


「失礼のないようにな」


「肝に銘じます」


* * *


翌日、誠一は王城を訪れた。


案内されたのは、王女の私室に隣接する小さな書斎だった。壁には本棚が並び、窓からは庭園が見える。落ち着いた雰囲気の部屋だった。


「来てくれましたね」


王女アリシアが椅子から立ち上がった。昨日と違い、シンプルなドレスを着ている。


「殿下、お召しにより参上いたしました」


誠一は深々と頭を下げた。


「堅苦しい挨拶は不要です。どうぞ、座ってください」


王女が椅子を勧めた。誠一は遠慮がちに腰を下ろした。


「改めて、礼を言わせてください。あなたのおかげで、私は命を救われました」


「恐れ入ります」


「しかし、一つ聞きたいことがあるのです」


王女は真剣な目で誠一を見た。


「あなたは、なぜ警備員なのですか」


「なぜ、とは」


「あなたほどの能力があれば、騎士団に入ることもできたでしょう。レオンハルト団長からも勧誘があったと聞いています。にもかかわらず、なぜ警備員という立場に留まるのですか」


誠一は少し考えてから答えた。


「私は——戦うことが得意ではありません」


「しかし、危険を察知する能力がある」


「それは、戦う能力とは違います。私にできるのは、異常を見つけ、報告し、人々を導くこと。剣を振るうことではありません」


「それでも、人を守ることはできる」


「はい。だから、私は警備員なのです」


王女は黙って誠一を見つめた。


「面白い考え方ですね」


「そうでしょうか」


「ええ。王国では、力こそが正義とされています。強い者が弱い者を守る。それが当然の秩序だと。しかし、あなたは違う。力がなくても、守ることができると言う」


「力がないわけではありません。ただ、力の形が違うだけです」


「力の形——」


王女は窓の外を見た。庭園では、花が咲き誇っている。


「私も、力がないと思っていました」


「殿下が?」


「王女という立場は、一見すると権力があるように見えます。しかし実際には、私は何も決められない。父王の意向、貴族たちの思惑——すべてに縛られて、自分の意思で動くことができない」


王女の声には、悲しみが滲んでいた。


「だから、昨日のあなたを見て驚いたのです。警備員という——王国では最も低い立場にありながら、あなたは自分の意思で動き、私を守ってくれた。誰の許可も待たずに」


「それは——」


「うらやましかった」


王女が振り返った。


「私も、あなたのようになりたい。自分の意思で、人を守れる人間に」


誠一は何と答えるべきかわからなかった。


王女は窓際に歩み寄り、花瓶に活けられた花を見つめた。


「一つ、お願いがあります」


「何でしょうか」


「時々、私に会いに来てください。あなたの話を聞きたいのです」


「私などの話が——」


「興味があるのです。あなたの考え方、あなたの経験——すべてが新鮮です。王宮の中では、誰も本音を話してくれません。あなたは違う」


王女は誠一を見つめた。


「約束してくれますか」


誠一は少し迷った。しかし、王女の真剣な表情を見て、頷いた。


「……承知しました。時間が許す限り、参上いたします」


「ありがとう」


王女は微笑んだ。


その笑顔は、公式の場で見せる作り笑いではなかった。本当の、心からの笑顔だった。


誠一は、不思議な気持ちで王城を後にした。


王女アリシア。彼女もまた、何かを守りたいと願っている人なのかもしれない。


城門に戻る道すがら、誠一は空を見上げた。


雲一つない青空。しかし、その向こうには嵐が近づいている。


魔王軍の陰謀は、まだ終わっていない。


王女暗殺未遂は、ほんの序章に過ぎないのだろう。


「守らなければならない」


誠一は呟いた。


この国を。この人々を。そして——王女殿下を。


それが、今の自分にできる、唯一のことだった。


* * *


城門警備隊の詰め所に戻ると、エルナが駆け寄ってきた。


「誠一さん、お帰りなさい! 王城はどうでしたか?」


「問題なかった。王女殿下から、直接お礼を言われた」


「すごい! 誠一さん、王女様に認められたんですね!」


「大げさに言うな。仕事をしただけだ」


ガルバスが近づいてきた。


「聞いたぞ。王女殿下の命を救ったとか」


「偶然です」


「偶然で命は救えん。お前の実力だ」


ガルバスは珍しく真剣な顔で言った。


「誠一、お前は——俺たちの誇りだ」


「隊長……」


「だから、気をつけろ。目立ちすぎると、妬む者も出てくる。貴族たちは、警備員が手柄を立てることを快く思わん」


「わかっています」


「わかっているなら、いい。これからも、いつも通りにやれ」


「はい」


誠一は詰め所の中に入った。


いつもの場所。いつもの仲間。何も変わらない日常。


しかし、何かが少しずつ変わり始めている。


誠一の立場。誠一の役割。そして——誠一自身の気持ちも。


この異世界に来て、半年以上が経った。最初は一人だった。何も持っていなかった。


しかし今、自分の周りには仲間がいる。自分を認めてくれる人がいる。自分を必要としてくれる人がいる。


「異常なし」


誠一は窓の外を見ながら呟いた。


「本日も、ご安全に」


その言葉は、今では自分だけのものではなくなっていた。


城門警備隊全員の、合言葉だった。


そして、誠一がこの世界で生きていく上での、道標でもあった。


守ること。


それが、桐生誠一という男の、存在意義だった。

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