第十一章 魔王軍の影

倒れていた男が意識を取り戻したのは、三日後のことだった。


「お前……誰だ……」


かすれた声で男が尋ねた。詰め所のベッドに寝かされた彼は、まだ顔色が悪かったが、目には意識の光が戻っていた。


「城門警備隊の桐生誠一だ。俺たちがお前を発見して、保護した」


「警備隊……」


男は天井を見つめた。


「俺は……生きているのか」


「なんとかな。傷は深かったが、治療師に診てもらった」


男はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと口を開いた。


「俺の名はマルコ。もとは商人だった」


「もとは?」


「今は——魔王軍に捕らわれていた」


誠一は椅子を引き寄せ、マルコの横に座った。


「話を聞かせてくれ」


マルコは重い口を開いた。


彼はもともと王都で小さな商売を営んでいた。しかし二ヶ月前、妻と娘がスラム街で行方不明になった。必死に探したが、見つからない。やがて噂を聞きつけた——魔族が人間を連れ去っているという噂を。


「俺は自分で調査を始めた。そして——奴らの拠点を見つけた」


「拠点?」


「王都の地下に、巨大な空間がある。古い下水道の奥だ。奴らはそこに人間を閉じ込めている」


「人間を閉じ込めて、何をしている」


マルコの顔が歪んだ。


「儀式だ」


「儀式?」


「魔王を復活させるための儀式らしい。詳しいことはわからない。だが、大量の人間の生命力が必要だと言っていた」


誠一は顔をしかめた。


魔王の復活。それは単なる噂ではなく、現実に進行している計画だった。


「お前は、その拠点に潜入したのか」


「ああ。妻と娘を助け出そうとして——見つかった。拷問された。奴らの計画を喋らせようとしたが、俺は何も知らなかった。だから殺されかけた。逃げ出したのは奇跡だ」


「妻と娘は」


「……わからない。まだあの中にいるはずだ」


マルコの目に、絶望と焦りが浮かんだ。


「頼む……助けてくれ……俺の家族を……」


「落ち着け。まずは情報を整理する」


誠一は手帳を取り出した。


「その拠点の場所を、詳しく教えてくれ」


マルコは地下への入り口、道順、見張りの配置——覚えている限りのことを語った。誠一はそれをすべて書き留めた。


「わかった。騎士団に報告する」


「騎士団? 奴らが動くとは思えない」


「今度は証拠がある。お前という生き証人だ」


誠一は立ち上がった。


「休んでいろ。俺が何とかする」


「頼む……」


マルコは目を閉じた。


* * *


誠一はすぐにリーゼロッテに連絡を取った。


「魔王復活の儀式だと?」


リーゼロッテは驚きを隠せなかった。


「証人がいる。拷問から生き延びた男だ。彼の証言によると、王都の地下に魔族の拠点があり、そこで大規模な儀式が準備されている」


「……にわかには信じがたいが」


「信じがたいことこそ、真実であることが多い」


リーゼロッテは腕を組んで考えた。


「団長に報告する。しかし、動くかどうかはわからない。証拠が——」


「証人を連れてくることができる。ただし、彼はまだ怪我人だ。無理をさせたくない」


「わかった。私から団長に話を通す。お前も同席しろ」


「了解した」


その日の夕方、誠一は騎士団本部の会議室にいた。


レオンハルト団長、ハインリッヒ副団長、リーゼロッテ、そして数人の高級騎士。彼らの前で、誠一はマルコから聞いた情報を報告した。


「王都の地下に、魔王軍の拠点がある。そこで魔王復活の儀式が準備されている。これが、証人の証言です」


「証人? どこの誰だ」


ハインリッヒが問いただした。


「商人のマルコという男です。妻子を魔族に攫われ、救出しようとして捕らわれ、拷問されました。辛くも脱出し、我々に保護されました」


「商人の言葉を信じろと?」


「彼の傷は本物です。拷問の痕跡があります」


「自作自演かもしれん」


「何のためにそんなことを?」


「知らん。だが、警備員が連れてきた証人など、信用に値しない」


ハインリッヒの態度は、相変わらず敵対的だった。


しかし今回、誠一には切り札があった。


「団長閣下、お願いがあります」


「なんだ」


「マルコの証言の真偽を確かめるため、彼が示した場所を調査させてください」


「調査?」


「地下への入り口の位置は特定されています。私が潜入し、拠点の存在を確認します」


「危険すぎる」


リーゼロッテが口を挟んだ。


「誠一、お前には戦闘能力がない。単独潜入など——」


「戦闘はしません。確認するだけです。拠点の存在が確認できれば、騎士団が動く根拠になる」


レオンハルトは黙って誠一を見つめていた。


「……なぜそこまでする」


「私の仕事だからです」


誠一は真っ直ぐに団長を見た。


「警備員の仕事は、異常を発見し、報告することです。異常があるかもしれない場所を、確認しないわけにはいきません」


「命を懸けてまで?」


「必要であれば」


沈黙が流れた。


やがて、レオンハルトが口を開いた。


「リーゼロッテ、お前も同行しろ」


「は?」


「誠一一人では危険だ。騎士が一人ついていれば、万が一の際に対処できる」


「しかし——」


「これは命令だ」


リーゼロッテは口をつぐんだ。そして、頷いた。


「了解しました」


「ハインリッヒ、予備部隊を待機させろ。合図があれば、すぐに突入できるようにしておけ」


「……承知しました」


ハインリッヒは不満そうだったが、従った。


レオンハルトは誠一に向き直った。


「誠一、無理はするな。確認ができたら、すぐに戻れ」


「了解しました」


誠一は深々と頭を下げた。


* * *


その夜、誠一とリーゼロッテは王都の下水道に潜入した。


マルコが示した入り口は、スラム街の片隅にあった。古い井戸の底から、地下へ続く通路が伸びている。


「ここか」


リーゼロッテが松明を掲げた。通路は狭く、天井は低い。空気は湿っぽく、かすかに腐臭が漂っている。


「音を立てないように」


誠一が先頭に立った。


通路を進んでいくと、やがて広い空間に出た。古い下水道の本線らしい。天井はアーチ状になっており、両側に水路が流れている。


「『鷹の眼』で確認する」


誠一はスキルを発動させた。


視界が鮮明になった。暗闘の中でも、細部まで見える。そして——


「いる」


「何が」


「見張りだ。二百メートル先に二人。武装している」


リーゼロッテは剣の柄に手をかけた。


「どうする」


「避ける。見つからないように迂回する」


誠一は周囲を観察した。下水道には複数の支線がある。見張りの視界に入らないルートを探す。


「こっちだ」


細い支線に入り、大きく迂回する。見張りの背後を通り、さらに奥へ進む。


やがて、巨大な空間が現れた。


「これは……」


リーゼロッテが息を呑んだ。


地下に、大きな広場のような場所があった。天井は高く、魔法の明かりがぼんやりと空間を照らしている。


そして、その中央には——


檻があった。何十もの鉄格子の檻が並び、その中に人間が閉じ込められている。


「人質だ」


誠一は『鷹の眼』で確認した。子供、老人、女性——様々な人々が、狭い檻の中に押し込められている。


「マルコの証言は本当だったんだな」


「ああ。これが証拠だ」


誠一は周囲を観察し続けた。


広場の奥には祭壇のようなものがある。複雑な魔法陣が描かれ、魔法の道具が並んでいる。


「儀式の準備か」


「おそらく。しかし、まだ完了していないようだ」


「証拠は十分だ。戻るぞ」


誠一は踵を返した。


しかし——


「待て」


リーゼロッテが誠一の腕を掴んだ。


「何か来る」


誠一も気づいた。『予兆感知』が警告を発している。


足音。複数の足音が、こちらに向かってくる。


「まずい、見つかった」


「逃げるぞ」


二人は来た道を引き返した。しかし、通路の向こうからも足音が聞こえる。


「挟まれた」


「こっちだ」


誠一は別の支線に飛び込んだ。リーゼロッテがそれに続く。


狭い通路を駆け抜ける。背後から追っ手の声が聞こえる。


「逃がすな!」


「見つけ出せ!」


「このままでは追いつかれる」


リーゼロッテが言った。


「私が食い止める。お前は先に行け」


「馬鹿なことを言うな」


「馬鹿じゃない。お前が生きて戻らなければ、情報が伝わらない」


「それでも——」


「行け!」


リーゼロッテは振り返り、剣を抜いた。


追っ手が姿を現した。黒いローブを纏った魔族が三人。


「騎士か。面白い」


「通すわけにはいかない。覚悟しろ」


リーゼロッテは剣を構えた。


誠一は——


「リーゼロッテ!」


「行けと言っているだろう!」


「……くそっ」


誠一は走り出した。振り返らずに、ひたすら前へ。


背後から剣戟の音が聞こえる。リーゼロッテが戦っている。


誠一は歯を食いしばりながら、出口を目指した。


やがて、井戸の底に辿り着いた。梯子を登り、地上へ出る。


「騎士団に——」


誠一は走った。


騎士団本部へ。予備部隊へ。リーゼロッテを救うために。


街中を駆け抜け、騎士団本部に飛び込んだ。


「緊急事態だ! リーゼロッテ様が地下で交戦中! 応援を!」


予備部隊が動き始めた。ハインリッヒが指揮を取り、騎士たちが地下へ向かう。


誠一は息を切らせながら、祈った。


「無事でいてくれ……」


* * *


一時間後、リーゼロッテは救出された。


傷だらけだったが、命に別状はなかった。騎士団の突入によって、魔族たちは撤退を余儀なくされた。


「お前のおかげだ」


病室で、リーゼロッテが言った。


「すまなかった。お前を置いて逃げた」


「謝るな。正しい判断だった」


「しかし——」


「私が食い止めなければ、二人とも捕まっていた。お前が情報を持ち帰ったから、騎士団が動けた。結果として、私は助かり、魔族の拠点も発見できた。これ以上の結果はない」


誠一は黙った。


「落ち込むな」


リーゼロッテは微笑んだ。


「お前は自分の役割を果たした。それでいい」


「……ああ」


誠一は頷いた。


翌日、騎士団の報告会が開かれた。


地下拠点は発見され、捕らわれていた人質は全員救出された。マルコの妻と娘も、無事に見つかった。


「魔王軍の計画は頓挫した」


レオンハルトが言った。


「少なくとも、王都での儀式は阻止できた。しかし——」


「まだ終わっていない」


誠一が口を開いた。


「魔族たちは撤退しただけです。計画を諦めたわけではない」


「その通りだ。警戒を続けなければならない」


レオンハルトは誠一を見た。


「桐生誠一、今回の件、礼を言う」


「私は自分の仕事をしただけです」


「その仕事が、多くの命を救った。これからも、協力を頼む」


「もちろんです」


誠一は頭を下げた。


会議室を出るとき、リーゼロッテが追いかけてきた。


「誠一」


「何だ」


「また、一緒に戦えて嬉しかった」


リーゼロッテは微笑んだ。


「次は、もっとうまくやろう」


「……ああ」


誠一も、かすかに笑った。


魔王軍との戦いは、まだ始まったばかりだ。


しかし今、誠一には仲間がいる。


一人ではない。


それが、何よりも心強かった。

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