第七章 騎士と警備員

騎士団本部は、王城の隣に位置する壮麗な建物だった。


白い石造りの壁、高い塔、そして正門を守る完全武装の騎士たち。城門警備隊の詰め所とは比べものにならない威容が、誠一を圧倒した。


「止まれ。何者だ」


門番の騎士が、槍を構えて誠一を遮った。


「城門警備隊の桐生誠一です。リーゼロッテ様にお呼びいただきました」


「警備員だと?」


騎士の目に、露骨な侮蔑が浮かんだ。誠一は気にしなかった。


「確認を取ってください」


騎士は渋々ながら、詰め所に戻って確認を取った。数分後、別の騎士がやってきた。


「リーゼロッテ様がお待ちです。ついて来い」


誠一は案内に従って、騎士団本部の中に入った。


廊下は広く、天井は高い。壁には歴代の騎士団長の肖像画が掛けられ、甲冑が展示されている。すれ違う騎士たちは、誠一を一瞥しては眉をひそめた。


「ここは警備員が来る場所じゃないぞ」


「なぜあんな奴がリーゼロッテ様に呼ばれる」


小声だが、聞こえるように言っている。意図的な嫌がらせだ。


誠一は黙って歩き続けた。


やがて、一つの扉の前に着いた。案内の騎士が扉を叩く。


「リーゼロッテ様、桐生誠一をお連れしました」


「入れ」


扉が開いた。中は執務室だった。広くはないが、整理された机と本棚、そして壁に掛けられた剣が、主の性格を物語っている。


リーゼロッテが椅子から立ち上がった。


「来てくれたか。座れ」


「ありがとうございます」


誠一は勧められた椅子に腰を下ろした。リーゼロッテは向かいに座り、真剣な目で誠一を見た。


「改めて礼を言う。お前のおかげで、多くの命が救われた」


「私一人の力ではありません」


「謙遜するな。私は知っている。騎士団が動かない中、お前だけが警告を発し続けた。そして、城門警備隊を動かして、避難誘導を行った。あれがなければ、死者は千人を超えていた」


リーゼロッテの声には、真摯な感謝が込められていた。


「騎士として、お前に詫びなければならない。私たちは、お前の警告を軽視した。結果、テロを許してしまった」


「過ぎたことです。大切なのは、これからどうするかです」


「そうだな」


リーゼロッテは頷いた。


「だから、話がある」


彼女は机の引き出しから、一枚の書類を取り出した。


「これは、騎士団と城門警備隊の協力体制に関する提案書だ」


「協力体制?」


「お前の能力は、騎士団にとっても有用だ。特に、内部浸透を察知する力は、今後の魔王軍対策に不可欠と言える」


誠一は書類に目を通した。内容は、城門警備隊を騎士団の「情報協力機関」として位置づけ、定期的な情報共有を行うというものだった。


「悪くない提案です。しかし、騎士団内部の反対は?」


「当然ある。特に副団長のハインリッヒは、猛反対している」


「でしょうね」


「だが、今回の件で状況は変わった。団長のレオンハルト様は、この提案に前向きだ」


リーゼロッテは身を乗り出した。


「誠一、私はお前に正式な協力を求めたい。騎士団と警備隊の橋渡し役として、情報収集と分析を担当してほしい」


「なぜ、私なんですか」


「お前には、騎士にはない視点がある」


リーゼロッテは言った。


「騎士は戦うことを考える。敵を倒し、勝利を収めることが最優先だ。しかし、お前は違う。お前は、戦いが起きる前に防ごうとする」


「それが、警備員の仕事ですから」


「そうだ。そして、それこそが今の騎士団に欠けているものだ」


リーゼロッテの目が、真剣に誠一を見つめた。


「魔王軍の浸透工作は、これからも続くだろう。正面から戦うだけでは、防ぎきれない。お前のような者が必要なんだ」


誠一は考えた。


騎士団との協力。それは、誠一の活動範囲を大きく広げることを意味する。城門警備隊の小さな世界から出て、王国の安全保障に関わる立場になる。


リスクもある。騎士団内部には、誠一を快く思わない者が多い。政治的な駆け引きに巻き込まれる可能性もある。


しかし——


より多くの人を守れるかもしれない。


「わかりました。協力します」


誠一は答えた。


リーゼロッテの顔に、安堵の表情が浮かんだ。


「感謝する。これで、少しは前に進める」


「ただし、条件があります」


「何だ?」


「私の本分は、あくまで城門警備隊の隊員です。騎士団の指揮下に入るわけではありません」


「承知している」


「それから、私に情報を求めるなら、私にも情報をください。一方的な搾取は受け入れられません」


リーゼロッテは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。


「当然だ。対等な協力関係として、必要な情報は共有する」


「ありがとうございます」


誠一は立ち上がり、手を差し出した。リーゼロッテも立ち上がり、その手を握った。


「よろしく頼む、誠一」


「こちらこそ」


二人の手が、固く握られた。


* * *


騎士団本部を出た誠一は、城門警備隊の詰め所へ戻った。


「おう、帰ったか」


ガルバスが声をかけた。


「何の話だった?」


「協力体制の構築、だそうです」


「騎士団と? そいつは大したもんだ」


ガルバスは皮肉っぽく笑った。


「これで、うちの隊の扱いも変わるかもな」


「そうなればいいのですが」


「ま、無理だろうな。騎士団の連中は、根っこのところで警備員を見下している。一朝一夕には変わらん」


「そうですね」


誠一は詰め所の椅子に座った。


「でも、少しずつ変えていくしかありません」


「お前はどこまでも真面目だな」


「そうですか?」


「ああ。見ていて疲れるくらいにな」


ガルバスは笑って、誠一の肩を叩いた。


「だが、嫌いじゃない。お前みたいなやつがいてくれると、俺たちも少しはマシな気持ちになれる」


「ありがとうございます」


その日の午後、誠一は巡回に出た。


いつものルート。城壁沿いに歩き、門扉を確認し、不審者がいないかを観察する。何も変わらない、日常の業務だ。


しかし誠一の頭の中には、新しい課題が渦巻いていた。


騎士団との協力体制。魔王軍の浸透工作。王国の安全保障。


自分に何ができるのか。どこまでできるのか。


わからないことだらけだ。しかし、わからないからといって立ち止まるわけにはいかない。


「まずは、目の前のことを」


誠一は呟いた。


巡回を続ける。観察を続ける。記録を続ける。


基本を積み重ねることでしか、前には進めない。


「異常なし」


誠一は空に向かって呟いた。


今日も一日が終わる。そして明日も、また巡回が始まる。


それでいい。


警備員とは、そういう仕事だ。


* * *


翌週から、誠一の生活は忙しくなった。


通常の警備業務に加えて、騎士団との情報共有会議に参加するようになったのだ。週に二回、騎士団本部で開かれる会議。そこで誠一は、城門警備隊の観察報告を行い、騎士団からは王国各地の情勢報告を受けた。


最初のうち、誠一の発言は軽視された。


「警備員の報告など、信用できるか」


「どうせ大げさに言っているんだろう」


「くだらん。次の議題に移れ」


会議室には十人ほどの騎士がいたが、誠一に好意的な者はリーゼロッテ以外にほとんどいなかった。


しかし誠一は怯まなかった。


毎回の会議で、誠一は詳細なデータを提示した。入城者の数、不審者の傾向、パターンの分析。すべてを数字と記録で示す。


「先週の入城者は合計一万二千三百二十人。そのうち、商人が六千人、冒険者が二千人、一般市民が四千人です。商人の中で、ギルドカードの確認を拒否した者は十七人。そのうち十二人は、後日改めて確認が取れましたが、残り五人は追跡不能です」


「だから何だ」


ハインリッヒが鼻で笑った。


「追跡不能の五人が、魔王軍の工作員かもしれないと言うのか?」


「可能性はあります。少なくとも、監視リストに加えるべきです」


「馬鹿馬鹿しい。お前の妄想に付き合っている暇はない」


ハインリッヒは席を立った。


「団長、私は失礼する。この程度の報告なら、書面で十分だ」


「ハインリッヒ」


団長のレオンハルトが声をかけた。五十代の堂々たる体躯の男で、騎士団の最高責任者だ。


「座れ。まだ会議は終わっていない」


「しかし——」


「座れ」


レオンハルトの声には、有無を言わせぬ重みがあった。ハインリッヒは渋々ながら席に戻った。


「桐生誠一」


「はい」


「お前の報告は、確かに瑣末に見えるかもしれない。しかし、先日のテロ未遂を考えれば、軽視はできない」


「ありがとうございます」


「今後も、詳細な報告を続けろ。そして——」


レオンハルトは誠一を真っ直ぐに見た。


「何か異常を察知したら、遠慮なく報告せよ。お前の観察眼は、この騎士団に欠けているものだ」


「はい」


会議が終わった後、リーゼロッテが誠一に近づいてきた。


「よくやった」


「何もしていません。データを報告しただけです」


「それが重要なんだ。騎士団は、数字で語ることに慣れていない。感覚と経験に頼りすぎている」


リーゼロッテは小さくため息をついた。


「ハインリッヒは面倒だが、気にするな。団長が味方についてくれたのは大きい」


「そうですね」


「これからも頼む。お前がいてくれると、私も心強い」


リーゼロッテは微笑んだ。その笑顔は、いつもの厳しい表情とは違い、柔らかかった。


「私も——」


誠一は何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。


「どうした?」


「いえ、何でもありません」


誠一は頭を下げて、会議室を後にした。


帰り道、誠一は自分の心に湧いた感情を整理しようとした。


リーゼロッテ。彼女は騎士として優秀で、志が高い。そして、誠一の能力を認め、協力を求めてくれた。


それは純粋に嬉しかった。


しかし——それだけだろうか。


「考えすぎだ」


誠一は首を振った。


自分は三十八歳の中年男で、異世界に転生した警備員だ。二十代の若い騎士に、余計な感情を抱くべきではない。


仕事に集中しよう。守るべき人々がいる。やるべきことが山ほどある。


私情に流されている場合ではない。


誠一は足を速め、詰め所へ向かった。


* * *


数日後、予期せぬ来客があった。


「誠一様はいらっしゃいますか」


詰め所の扉を開けたのは、見慣れない獣人の少女だった。猫のような耳と尻尾を持ち、年齢は十代半ばくらいに見える。ボロボロの服を着て、裸足だった。


「俺のことか?」


誠一が名乗り出ると、少女の目が輝いた。


「あなたが誠一様ですか!」


「様はいらない。何か用か」


「お礼を言いに来ました!」


少女は深々と頭を下げた。


「先日、スラム街で——」


誠一は記憶を辿った。スラム街?


ああ、そうだ。先週の巡回で、スラム街の入り口付近を通ったとき、獣人の少女が何人かの男たちに囲まれているのを見た。誠一は近づいて、「城門警備隊だ、何をしている」と声をかけた。男たちは舌打ちして去っていった。


それだけのことだ。


「あれは——大したことじゃない」


「大したことです! あの人たちは魔族の下っ端で、私を連れ去ろうとしていたんです。誠一様が来てくれなかったら、私は——」


少女の目に涙が浮かんだ。


「とにかく、助けてくれてありがとうございました!」


「いや、だから礼には及ばない」


誠一は困惑した。確かにあのとき、男たちの雰囲気は良くなかった。しかし、まさか魔族の構成員だったとは。


「名前は?」


「エルナです。スラム街で暮らしています」


「家族は」


「いません。孤児です」


誠一は少女——エルナを見た。痩せていて、栄養状態も良くない。しかし、目には強い光が宿っている。


「今日は本当に礼を言いに来ただけか」


「……はい」


エルナの視線が、一瞬だけ揺れた。嘘だ。何か他に目的がある。


「正直に言え」


「……お願いがあります」


エルナは俯いた。


「私を、弟子にしてください」


「弟子?」


「誠一様みたいに、人を守れるようになりたいんです。私には何もない。でも、誠一様から学べば、何かできるようになるかもしれない」


誠一は黙った。


この少女に、何を教えられるというのか。自分は警備員だ。戦い方を教えることはできない。魔法も使えない。


しかし——


「俺には、戦い方は教えられない」


「知っています」


「魔法も使えない」


「それでも構いません」


「じゃあ、何を学びたいんだ」


エルナは顔を上げた。その目は、真剣そのものだった。


「人を守る方法です」


誠一は、しばらくエルナを見つめた。


彼女の目に、かつての自分を見た気がした。十五年前、警備会社に入社したばかりの頃。何も持っていなかったが、「人を守りたい」という思いだけはあった。


「わかった」


誠一は言った。


「ただし、弟子というのは大げさだ。俺に教えられるのは、観察の仕方と、巡回の基本だけだ」


「それで十分です!」


エルナの顔が、ぱっと輝いた。


「ありがとうございます、誠一様!」


「だから様はやめろ。誠一でいい」


「はい、誠一さん!」


こうして、誠一に初めての「弟子」ができた。


エルナは獣人として、優れた聴覚と嗅覚を持っていた。誠一の『鷹の眼』が視覚に特化しているのに対し、彼女の能力は聴覚と嗅覚に優れている。二人で組めば、互いの弱点を補えるはずだった。


「まずは、観察の基本から教える」


誠一は言った。


「見ることは、ただ目を開けることじゃない。何を見るべきか、何に注意するべきかを知ることだ」


「はい!」


エルナは目を輝かせて頷いた。


新しい仲間が加わった。


城門警備隊は、少しずつ変わりつつあった。


そして誠一自身も、この異世界で、自分の居場所を見つけ始めていた。

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