第五章 鷹の眼が捉えたもの

城門警備隊での三ヶ月目に入った頃、誠一は自分のスキルについて、より深く理解し始めていた。


『鷹の眼』。


このスキルは、単に視力が良くなるというものではなかった。遠くのものがよく見えるのは確かだが、それ以上に「違和感」を察知する能力が強化されている。


例えば、入城者の列を見ているとき。


普通の人間には、ただの行列に見える。しかし誠一の目には、一人一人の微細な特徴が映る。歩き方の癖、視線の動き、呼吸のリズム、汗のかき方。


そして、それらの情報が無意識のうちに統合され、「この人物は普通ではない」という直感として現れる。


誠一はこの直感を「プロファイリング」と呼んでいた。前の世界でも似たようなことをしていたが、『鷹の眼』によってその精度が格段に上がっている。


今日も、誠一は門前で観察を続けていた。


午前中の入城者は比較的少ない。農民が収穫物を運び、行商人が荷車を引いている。見慣れた顔がほとんどだ。


「おはようございます」


誠一は一人一人に声をかけながら、確認を行っていく。ギルドカードか商工証の提示、荷物の申告、入市税の徴収。


「ちっ、面倒だな」


若い男が舌打ちした。冒険者風の装いで、腰に剣を佩いている。


「恐れ入ります。確認にご協力ください」


「俺は冒険者だぞ。ギルドカードがあれば問題ないだろ」


「拝見させてください」


男は苛立たしげにカードを差し出した。誠一はそれを受け取り、確認する。


「問題ありません。お通りください」


「当たり前だ」


男は肩をそびやかせて通り過ぎていった。誠一は特に反応せず、次の入城者に向き合った。


午後になると、人の流れが増えてきた。商人が多くなり、冒険者の往来も活発になる。


誠一は変わらず門前に立ち、観察を続けていた。


そのとき、『鷹の眼』が反応した。


列の中に、一人の男がいた。商人風の服装で、小さな荷車を引いている。年齢は四十代後半。一見すると、どこにでもいる普通の商人だ。


しかし、何かがおかしい。


誠一は意識を集中した。何が違うのか、言語化しようとする。


まず、服装。商人の服にしては、仕立てが良すぎる。生地の質が高く、縫製も丁寧だ。裕福な商人なら不思議ではないが、引いている荷車は粗末なもの。アンバランスだ。


次に、動き。荷車を引く手つきがぎこちない。慣れていない動きだ。本職の商人なら、もっと自然に扱えるはずだ。


そして、視線。商人は通常、周囲の店や人を観察する。売れ筋を把握し、取引相手を見定めるためだ。しかしこの男は、周囲をほとんど見ていない。代わりに、門番——つまり誠一たちを、ちらちらと見ている。


「警戒している」


誠一は直感的に悟った。この男は、警備に対して警戒心を持っている。それは、後ろめたいことがある証拠だ。


男が誠一の前まで来た。


「商人ギルドの者です。荷物は日用品です」


「拝見させていただきます。商工証をお願いします」


男は懐から証書を取り出した。誠一はそれを受け取り、確認する。


証書は本物のようだった。紙質も印章も正規のものだ。しかし——


『鷹の眼』が、わずかな違和感を捉えた。


証書の角が、ほんのわずかにめくれている。そこに、別の紙が重なっているように見える。


偽造か?


いや、判断するのは早い。たまたま紙が二重になっているだけかもしれない。


「失礼、この証書は——」


「どうかしましたか」


男の声が、わずかに硬くなった。


誠一は男の目を見た。目は嘘をつく。しかし、嘘をついているときの目は、無意識に特定のパターンを示す。


男の瞳孔が、わずかに収縮した。心拍数が上がっている証拠だ。


「いえ、何でもありません。お通りください」


誠一は証書を返した。男は小さく頷いて、荷車を引いて門をくぐった。


その背中を見送りながら、誠一は無線——ではなく、この世界では「伝声管」と呼ばれる装置に口を寄せた。


「こちら誠一。不審者を確認。尾行をお願いします」


『了解。どんな人物だ?』


ガルバスの声が返ってきた。


「四十代の男性、商人風の服装、小さな荷車を引いている。北門から入って、中央通りを南に向かっています」


『わかった。カルロに追わせる』


誠一は詰め所から出てきたカルロに、男の特徴を伝えた。


「わかったよ。しかし、本当に怪しいのか?」


「確証はない。だが、確認しておきたい」


「へいへい」


カルロは面倒くさそうに歩いていった。以前ならサボっていただろうが、最近は少しずつ真面目に動くようになってきた。


誠一は門に戻り、観察を続けた。


三十分後、カルロが戻ってきた。


「尾行してきたぞ。あの男、中央通りの倉庫街に入っていった」


「倉庫街?」


「ああ。空き倉庫の一つに荷物を運び込んで、そのまま出てこない」


誠一は眉をひそめた。商人が倉庫に荷物を運ぶのは普通のことだ。しかし、空き倉庫というのが気になる。正規の商人なら、ギルド管理の倉庫を使うはずだ。


「カルロ、その倉庫の場所を教えてくれ」


「え? なんで」


「今日の勤務が終わったら、少し調べてみたい」


「お前、仕事熱心すぎだろ」


カルロは呆れたように言ったが、倉庫の場所は教えてくれた。


その夜、誠一は倉庫街に向かった。


王都グランザリアの倉庫街は、南門の近くにある。商業ギルドが管理する大規模な倉庫群で、日中は商人や運搬業者で賑わっている。


しかし夜になると、人通りは極端に少なくなる。街灯の明かりもまばらで、影が深い。


誠一は慎重に歩を進めた。


カルロから聞いた倉庫は、倉庫街の端にあった。周囲の倉庫と比べて、明らかに手入れが行き届いていない。壁は煤けて、屋根の一部が崩れている。


「空き倉庫、か」


誠一は倉庫の周囲を観察した。


入り口の扉。錠前がかかっているが、最近開けられた痕跡がある。錆びた蝶番に、新しい油が塗られている。


窓。すべて板で塞がれているが、隙間から微かに光が漏れている。中に人がいるのだ。


地面。足跡が複数ある。一人ではない。少なくとも五人以上が、この倉庫を出入りしている。


「組織的な活動か」


誠一は呟いた。商人を装った男は、おそらく何らかの組織の一員だ。しかし、何の組織なのか。密輸? 盗賊団? それとも——


『予兆感知』が、警告を発した。


危険が迫っている。方向は——背後。


誠一は反射的に身を翻した。


空気が唸った。何かが、誠一の頭があった場所を通過した。


「なんだ、避けたか」


低い声が聞こえた。闇の中から、人影が現れる。


黒いローブを纏った男だった。フードで顔を隠しているが、その目は異様な光を放っている。


「誰だ」


誠一は警戒しながら尋ねた。


「質問するのはこちらだ。なぜここにいる、警備員」


「仕事の延長だ。怪しい人物を追跡していた」


「追跡、か。余計なことを」


男の手が動いた。何かを投げる動作。


誠一は再び身を翻した。今度は完全には避けきれなかった。左腕に鋭い痛みが走る。見ると、袖が切れていた。飛び刃——短剣を投げたのだ。


「ほう、また避けたか。面白い」


男が歩み寄ってくる。その動きは、明らかに訓練された者のものだった。


誠一は距離を取りながら、状況を分析した。


相手は戦闘のプロだ。暗殺者か、あるいは工作員。こちらには武器がない。戦えば、確実に負ける。


逃げるか? しかし、背を向ければ殺される。


「お前の情報収集能力は厄介だな。このまま放置するわけにはいかない」


男が短剣を構えた。


誠一は覚悟を決めた。


逃げることはできない。ならば——


「待て」


誠一は声を上げた。


「お前たちは何者だ。この倉庫で何をしている」


「死にゆく者に教える義理はない」


「魔王軍か」


男の動きが、一瞬止まった。


誠一は続けた。


「禁制品の密輸。空き倉庫を拠点にした工作活動。王都内部への浸透——魔王軍の手口だと聞いたことがある」


「……どこでそれを」


「調べた。俺の仕事は情報を集めることだ」


実際には、リーゼロッテから聞いた話だった。騎士団が警戒している、魔王軍の工作活動。その手口の一つが、商人を装った浸透工作だと。


「なるほど。やはり放置できないな」


男が再び短剣を構えた。


そのとき——


「そこまでだ!」


鋭い声が響いた。


誠一と男が同時に振り返ると、通りの向こうから人影が駆けてきた。銀色の鎧が、街灯の光を反射している。


リーゼロッテだった。


「騎士団か。面倒だな」


男は舌打ちすると、身を翻した。驚くべき速さで、闇の中に消えていく。


「待て!」


リーゼロッテが追おうとしたが、誠一が止めた。


「追うな。罠かもしれない」


「しかし——」


「あの倉庫に仲間がいる。まずはそちらを押さえるべきだ」


リーゼロッテは歯噛みしたが、誠一の言葉に従った。


その夜のうちに、騎士団の部隊が倉庫を急襲した。中にいた五人の男が拘束され、大量の禁制品が押収された。


後の取り調べで、彼らが魔王軍の工作員であることが判明した。王都内で協力者を増やし、いずれ大規模な破壊工作を行う計画だったという。


「またお前のおかげだな」


翌日、ガルバスが渋い顔で言った。


「すみません、勝手な行動を」


「勝手な行動で、テロを未然に防いだんだ。文句は言えん」


ガルバスは肩をすくめた。


「だが、お前一人で危険な場所に乗り込むのはやめろ。次は俺たちに相談しろ」


「わかりました」


誠一は頷いた。確かに、今回は危なかった。リーゼロッテが来なければ、殺されていただろう。


その日の夕方、リーゼロッテが北門を訪れた。


「誠一、話がある」


「はい」


「騎士団として、お前に正式な協力を要請したい」


「協力、ですか」


「お前の観察能力は、騎士団にとっても有用だ。これからも、不審な動きがあれば報告してほしい」


誠一は少し考えてから、答えた。


「わかりました。ただし、私は警備員です。騎士団の指揮下に入るわけではありません」


「承知している。あくまで協力関係だ」


「それなら」


誠一は頷いた。


リーゼロッテは満足そうに微笑んだ。それは、いつもの厳しい表情とは違う、柔らかい笑みだった。


「お前と話していると、不思議な気持ちになる」


「どういう意味ですか」


「騎士として育った私には、お前のような視点がなかった。戦って勝つことばかり考えていた。だが、お前は戦う前に防ごうとする」


「それが警備員の仕事ですから」


「ああ。そうだな」


リーゼロッテは空を見上げた。


「お前に会えてよかった、誠一」


その言葉に、誠一は少し戸惑った。どう返せばいいのかわからない。


「……こちらこそ」


結局、無難な言葉しか出てこなかった。


リーゼロッテは笑って、去っていった。


誠一は門に戻り、いつものように観察を続けた。


『鷹の眼』が、街の風景を鮮明に映し出している。人々の動き、商店の賑わい、子供たちの笑い声。


平和な日常だ。しかし、その裏には魔王軍の影が忍び寄っている。


「守らなければ」


誠一は呟いた。


この街を。この人々を。


警備員として、できることを続ける。


それが、誠一の戦い方だった。

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