第三章 冒険者ギルドの門前払い
翌朝、誠一は日の出と共に目を覚ました。
体内時計が、まだ前の世界のリズムを覚えている。夜勤明けでもない限り、誠一は早起きする習慣があった。巡回は、人が少ない時間帯にこそ真価を発揮する。
詰め所の一階に降りると、ガルバスが既にいた。
「早いな」
「おはようございます。今日から、よろしくお願いします」
ガルバスは頷き、食堂のテーブルを示した。質素な朝食が用意されていた。硬いパンとチーズ、そして薄いスープ。
「これが朝飯だ。文句は受け付けん」
「十分です」
誠一は席につき、食事を始めた。パンは確かに硬かったが、味は悪くなかった。異世界の小麦は、微妙に香りが違う。
食事を終えると、ガルバスが立ち上がった。
「今日は見学だ。仕事の流れを覚えろ。来い」
詰め所を出て、北門へ向かう。朝の街は静かだった。商店はまだ閉まっており、通りを歩くのは早起きの職人や農民だけだ。
北門は、街の中でも比較的人通りの少ない場所にあった。主要な商業ルートは東門と南門を通るため、北門を利用するのは近隣の村人や、あまり裕福でない旅人が多いという。
門の前に着くと、既に二人の男が立っていた。
一人は老人だった。白髪で、背は曲がり、手には使い古された槍を持っている。もう一人は若い男で、だらしない姿勢で柱にもたれかかっていた。
「ジョルノ、カルロ、こいつが新入りの誠一だ」
ガルバスが紹介した。老人——ジョルノは、眠そうな目で誠一を見た。
「ほう、また新人か。何日もつかな」
「三日だ。俺は三日と見た」
若い男——カルロが、くすくすと笑った。
誠一は二人に軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「礼儀正しいじゃないか。まあ、すぐに腐るさ」
カルロは欠伸をしながら言った。ジョルノは何も言わず、門の柱に背を預けて目を閉じた。
これが同僚か、と誠一は思った。老人と怠け者。ガルバスの言葉通りだ。
「今日の配置は俺とジョルノが門番、カルロが巡回だ。誠一は俺について、仕事を覚えろ」
「了解しました」
門番の仕事は、シンプルなものだった。
門を通る人々を確認し、不審者がいれば呼び止める。荷物検査が必要な場合は、中身を確認する。入市税を徴収し、記録を残す。
しかし誠一は、すぐに問題点に気づいた。
「隊長、質問があります」
「なんだ」
「入城者の確認基準は、どうなっていますか」
ガルバスは首を傾げた。
「基準? そんなものはないな。怪しい奴を止めろ、それだけだ」
「怪しい奴の定義は?」
「見ればわかるだろう。挙動不審とか、武装してるとか」
誠一は内心でため息をついた。これでは、ザルと変わらない。
「武装している人は全員止めますか」
「冒険者は武装してるのが普通だ。いちいち止めたら切りがない」
「では、冒険者かどうかの確認は」
「ギルドカードを見せてもらう。持ってなければ理由を聞く」
「偽造カードの可能性は」
ガルバスの目が、わずかに鋭くなった。
「お前、何を考えてる」
「すみません。以前の職場では、こうした基準を明確にしていたもので」
「ふん。お前の国はよほど厳しかったんだな。ここはそんな余裕はないんだ」
誠一は黙った。確かに、人員も予算も足りない状況で、厳密なセキュリティを求めるのは無理がある。
しかし、だからといって諦めていいわけではない。
その日の午前中、誠一は門番の業務を観察し続けた。
入城者の数。一時間あたり約二十人。そのうち、荷物検査を受けたのは三人。ギルドカードの確認を求めたのは一人。
時間帯による人の流れ。朝は農民が多く、昼に向けて商人が増える。午後は旅人が多くなる。
頻繁に通る人物の顔。野菜を運ぶ農夫、酒樽を転がす商人、毎日のように街と村を往復する獣人の女性。
誠一は、すべてを頭に叩き込んでいった。
午後になると、カルロが巡回から戻ってきた。
「交代だ。誠一、お前も巡回を見てこい」
ガルバスが言った。誠一はカルロの後について、街の中を歩き始めた。
「なあ、新入り」
カルロが話しかけてきた。
「お前、なんでこんな仕事に就いたんだ」
「警備の経験があるからです」
「経験? どこの田舎だよ」
「遠い国です」
「ふーん」
カルロは興味なさそうに前を向いた。
「俺は借金があるんだ。他に雇ってくれるところがなくてな。まあ、適当にやって、借金を返したらトンズラするつもりさ」
「そうですか」
誠一は相槌を打ちながら、周囲を観察していた。
巡回ルートは、北門から城壁沿いに東へ向かい、東門の手前で折り返すコースだった。城壁の内側を歩き、異常がないかを確認する——はずだが、カルロは明らかに確認などしていなかった。
足元を見ない。壁に目を向けない。ただ漫然と歩いているだけだ。
「カルロさん」
「なんだよ」
「あの壁、ヒビが入っていませんか」
誠一が指さした場所を、カルロは見た。城壁の石積みの一部に、細い亀裂が走っている。
「ああ、あれか。前からあるよ。別に問題ないだろ」
「雨水が入れば、崩れる可能性があります。報告しておいた方がいいのでは」
「面倒くせえな。誰もそんなこと気にしないって」
カルロは手を振って、先へ進んだ。
誠一は亀裂の位置と状態を記憶しながら、後を追った。
巡回は一時間ほどで終わった。北門に戻ると、ガルバスが待っていた。
「どうだった」
「勉強になりました。一つ報告があります」
「なんだ」
「城壁の亀裂について——」
誠一が説明を始めると、ガルバスの顔が曇った。
「ああ、あれか。前から知ってる。修繕の予算がないんだ」
「では、せめて応急処置を——」
「材料もない。人手もない。わかるだろう」
誠一は口をつぐんだ。わかる。予算がなければ何もできない。それは前の世界でも同じだった。
しかし、だからといって放置していいわけではない。
「私に少し時間をいただけますか」
「何をするつもりだ」
「巡回ルートと、チェック項目を整理したいのです。現状を把握してから、できることを考えます」
ガルバスは誠一を見つめた。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「好きにしろ。ただし、本来の業務を疎かにするなよ」
「了解しました」
その夜、誠一は自室で紙とペンを広げた。
文具は詰め所の備品を借りた。紙は粗末なもので、ペンはインク式だった。書き慣れない道具だが、贅沢は言っていられない。
まず、巡回ルートを図示した。北門を起点に、東へ向かう現行ルート。しかしこれでは城壁の南側がカバーできていない。
次に、チェック項目をリスト化した。城壁の状態、門の蝶番、施錠装置、見張り塔の状況——前の世界で使っていたチェックシートを思い出しながら、この世界に適用できる項目を選び出していく。
引き継ぎノートも必要だ。誰が何を確認したのか、どんな異常があったのか、記録がなければ情報が蓄積されない。
「基本に立ち返るか」
誠一は呟いた。
警備の基本。観察、記録、報告。何も特別なことではない。しかし、それすら行われていないのがこの隊の現状だ。
変えられるだろうか。変えなければならない。
なぜなら、それが警備員の仕事だからだ。
翌日から、誠一は自分なりの工夫を始めた。
巡回時には、自作のチェックシートを携帯した。城壁の亀裂、門扉の軋み、排水溝の詰まり——目についた問題点を、すべて記録していく。
「何やってんだ、お前」
カルロが不審そうに聞いた。
「記録をつけています。後で見返せるように」
「そんなことして、何になるんだよ」
「問題が起きたとき、原因を特定しやすくなります」
「問題なんか起きないさ。こんな辺鄙な門でよ」
カルロは鼻で笑って、さっさと歩いていった。
誠一は構わず、記録を続けた。
一週間が過ぎた。
誠一のチェックシートには、膨大な情報が蓄積されていた。城壁の損傷箇所、門扉の不具合、見張り塔の老朽化——どれも小さな問題だが、放置すれば大きな事故につながりかねないものばかりだ。
そしてもう一つ、誠一は重要な発見をしていた。
入城者のパターンだ。
毎日の観察を通じて、誠一は「普通」が何かを把握し始めていた。農民は早朝に来て夕方に帰る。商人は昼前後に集中する。冒険者は不規則だが、顔見知りが多い。
そして、パターンから外れる人物がいた。
週に二度、必ず同じ時間に入城する男。商人を名乗り、荷車を引いているが、荷物の中身を確認されることを極端に嫌がる。ギルドカードは持っていないが、「商工ギルドの正会員だ」と主張して入城する。
「隊長」
ある日の夕方、誠一はガルバスに報告した。
「例の商人について、少し気になることがあります」
「なんだ」
「週二回、同じ曜日の同じ時間に来ます。しかし、商人の行動パターンとしては不自然です。通常、商人の入城時間はもっとばらつきがあります」
「それで?」
「荷物の確認を嫌がるのも気になります。正規の商人なら、むしろ積極的に見せるはずです。税関で揉めたくないでしょうから」
ガルバスは腕を組んだ。
「密輸でも疑ってるのか」
「可能性はあります。少なくとも、次回入城時にはしっかり確認すべきかと」
「……ふん」
ガルバスは何も言わなかった。しかし、次の入城時——誠一の予測通りの曜日と時間——に、その商人が来たとき、ガルバス自らが対応に出た。
「荷物を見せてもらおうか」
「なぜだ。俺は商工ギルドの——」
「会員証を見せろ」
男の顔色が変わった。一瞬の躊躇。そして、逃走。
ガルバスは追いかけなかった。その必要はなかった。門の外には、誠一が立っていたからだ。
「止まってください」
誠一は男の前に立ちはだかった。男はナイフを抜いた。
「どけ!」
誠一は動かなかった。男がナイフを振り上げる。
その瞬間、誠一の体が反応した。
『予兆感知』。
ナイフが振り下ろされる軌道が、まるでスローモーションのように見えた。誠一は半歩横に動き、男の腕を掴んだ。そのまま体重を預けるように押し込み、男のバランスを崩す。
「な——」
男が地面に倒れた。ナイフが手から離れ、石畳の上を滑っていく。
誠一は男の背中に膝を乗せ、腕を捻り上げた。
「大人しくしてください。抵抗すると、腕が折れます」
騒ぎを聞きつけて、衛兵が駆けつけてきた。
後の調べで、男は禁制品の密輸に関わっていたことが判明した。荷車には、王国で取引が禁じられている薬物が隠されていた。
「よくやったな」
その夜、ガルバスが珍しく誠一を褒めた。
「いえ、たまたま気づいただけです」
「たまたまじゃない。お前は毎日、記録をつけていただろう。あれがなければ、気づかなかった」
ガルバスはグラスを傾けながら、誠一を見た。
「お前、本当に十五年やってたんだな」
「はい」
「そうか」
ガルバスは何かを考えるように、しばらく黙っていた。
「なあ、誠一。お前、この隊を変えられると思うか」
「変えるつもりでいます」
「そうか。……期待しているぞ」
その言葉は、誠一にとって、異世界に来て初めて受けた評価だった。
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