第3話 弱肉強食

「うあああああッ!」


 レイが叫び声を上げながら、鋭いナイフを突き出してきた。  その瞬間、俺の頭の中に「知識」が反射的に浮かぶ。


(――正中線への突き。腕を払って重心を崩せば、容易く……)


 だが、体が動かない。  十日間、満足な食事も与えられなかった十歳の体は、鉛のように重かった。


「……っ!」


 反射的に体を捻ったが、間に合わない。  ナイフの刃先が肩を浅く切り裂いた。焼けるような熱さと、じわりと染み出す血の感触。


「……はあ、はあ……ごめん。ごめんよ、ノア……!」


 レイは泣きそうな顔をしながら、何度もナイフを振り回す。  必死なのは俺だけじゃない。こいつも、殺さなければ自分が殺される「ルール」の中にいるのだ。


(クソッ、これが現実か……!)


 平和な日本での常識、本で読んだだけの戦術。  そんなものは、砂と血の臭いが混じるこの空間では何の役にも立たない。  必要なのは、知識を形にするための、圧倒的な「力」だ。


 観客席からは、容赦のない罵声と歓声が降り注ぐ。 「おい! さっさと殺せよガキ!」 「逃げ回るだけか? 踊り食いにされる方がマシだぞ!」


 彼らにとって、俺たちの命はただの暇つぶしのショーに過ぎない。  その事実が、恐怖に震えていた俺の心に、どす黒い怒りを灯した。


(娯楽……? 俺の死が、お前らの娯楽だって……?)


 ふざけるな。  まだ自分が誰かも思い出せていないのに。こんな理不尽な場所で、何も成せずに終わっていいはずがない。


「……ノア、これで終わりだ!」


 レイが涙を拭い、トドメを刺すべく大きく踏み込んできた。  俺は逃げるのをやめ、砂を掴んだ拳を握りしめる。  死にたくないという執念だけを武器に、俺は砂をレイの目へと叩きつけた。


「くっ!?」


 視界を奪われたレイが、苦悶の声を上げてたたらを踏む。  その隙を見逃すほど、俺は甘くなかった。


(今だ――!)


 もつれる足で地面を蹴り、レイの体に飛びつく。  そのまま地面に押し倒し、手首を石畳に叩きつけてナイフを奪い取った。


「が……っ、ノア……やめ……っ! 死にたくないっ!」


 泣きじゃくるレイに馬乗りになり、その首筋に冷たい刃を押し当てる。  殺さなければならない。そうしなければ、俺が死ぬ。  だが、震える俺の手は、あと一寸のところで止まっていた。


(……いや。ここでこいつを殺しても、あいつらの思うツボだ)


 見上げれば、期待に満ちた顔で「刺せ!」「殺せ!」と叫ぶ観客たち。  反吐が出る。  俺はナイフをレイの首から離し、観客席を、そして「運営」の仮面を、射抜くような視線で見据えた。


「……殺さない。俺は、お前らの操り人形じゃない」


 精一杯の拒絶。しかし、ここはそんな甘えが許される場所ではなかった。  高みの見物をしていた「運営」が、つまらなそうに溜息をつき、短く呟いた。


 それが何かの呪文だったのか、あるいはスイッチだったのか。  直後、俺の首筋に刻まれた紫の紋様――『奴隷紋』が、禍々しく拍動した。


「あ、が……あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 強烈な痛みが全身の神経を駆け巡る。  ただの激痛じゃない。魂を直接握り潰されるような恐怖が、強制的に脳へ刻み込まれていく。


「ハァ……ハァ……っ!」


 俺が地面でのた打ち回っている隙に、レイが俺を突き放し、距離を取った。  その瞳には、先ほどまでの迷いは消え、生存本能だけがギラついている。


「……僕たちは死ぬまで戦わせられるって言っただしょ? ここでは綺麗に生きることなんてできない。死ぬか、生きるかなんだッ!」


 レイは落ちたナイフを再び構え、狂気に満ちた瞳で俺を見据える。


「君を殺したくはない! でも無理なんだ。抗えないんだよ!」


 レイが突っ込んでくる。  奴隷紋の苦痛で膝をつく俺に、それを避ける術はない。


 ――グサリ。


 肉を断つ嫌な音が、耳元で響いた。


「……っ、が……」


 ナイフが、俺の脇腹を深く抉っていた。  激痛が熱に変わり、視界が急速に白んでいく。  観客席からは、待ちわびた「流血」に割れんばかりの喝采が上がった。


(ああ……そうか。俺は、弱いんだな)


 知識があっても、それを振るう体がない。  誇りがあっても、それを守る力がない。  ここでは、正義も友情も、力の前には無意味だ。


 レイの言う通りだ。ここでは生きるか、死ぬか。  ……なら。


(……なら、俺は、どんなに手が汚れても生きてやる)


 甘えは捨てた。  ここから俺の生きる邪魔をする奴は、友であろうと、神であろうと、全て切り伏せる。

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「刀鬼」は全てを切り伏せる 〜異世界に転生したが状況が詰んでいるので死ぬほど努力する〜 @dcy

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