第3話 静かな王都の、静かな規則

 王宮は、音を許さない場所だった。


 門をくぐった瞬間、空気が変わる。

 足音が吸い込まれ、声が自然と小さくなる。


(……息、しづらい)


 豪奢な回廊。

 磨き抜かれた床。

 壁に並ぶ、歴代王族の肖像画。


 どの視線もこちらを見ていない。

 それでも、常に測られている気がした。


「荷物はこちらへ」


 案内役の侍女が、淡々と言う。


 冷たいわけではない。

 けれど、感情が外に出ないよう、きっちりと仕舞われた声音だった。


◇◇◇


 通されたのは、北宮の侍女詰所だった。


 机と椅子が整然と並び、紙とインクの匂いがする。

 余計な飾りはない。

 仕事のためだけに用意された空間だ。


 そこにいた女性が、顔を上げた。


「あなたが、ララ・シルヴェリス」


 年齢は分からない。

 背筋はまっすぐで、無駄な動きが一切ない。


「私は、侍女長のイザベルです」


 名乗りは形式的だった。

 自己紹介というより、確認に近い。


 視線は鋭いが、敵意はない。

 ただ、感情を挟む余地がないだけだった。


「辺境伯家の四女。侍女見習いとして、本日付で配属」


「はい」


 ララは、教えられた通りに姿勢を正す。


 侍女長は書類に目を落としたまま、続けた。


「まず、覚えなさい」


 一拍。


「北宮は、王妃殿下の管轄です」


 声の調子は変わらない。


「私たち北宮の侍女が、近づいてはいけない場所が三つあります」


 指が、一本ずつ折られる。


「本宮」

「東宮」

「西棟――禁図書館」


 最後の名が出た瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。


 気づかれない程度の、ほんのわずかな反応。


「理由は、聞かないこと」


 侍女長は、顔を上げた。


「知る必要がないからです」


「特に」


 声が、わずかに低くなる。


「禁図書館は、その名を外で口にすることも、関係者との関与も厳禁」


 一拍、置いて。


「違反した者の名前は、ここには残りません」


 淡々とした口調。

 だが、その一文だけが、重く沈んだ。


「……本が、あるだけでは」


 気づけば、口をついて出ていた。


 一瞬。


 部屋の空気が、止まる。


 誰も動かない。

 けれど、はっきりと“線”が引かれたのが分かった。


 侍女長の視線が、真っ直ぐララを捉える。


「質問は、許可制です」


 声は変わらない。

 怒りも、威圧もない。


 ただ、拒絶だった。


「覚えておきなさい」


「王宮では、“知らない”ことが、最大の安全です」


「ここは、優しい場所ではありません」


 ララは、唇を結んだ。


 納得はしていない。

 けれど、反論する理由も、言葉も、今は持っていない。


「勝手な行動は慎みなさい」


 それだけ告げると、侍女長は書類に視線を戻した。


 面談は、それで終わりだった。


◇◇◇


 廊下に出た瞬間、ララは小さく息を吐いた。


 王宮は、安全な場所だと聞いていた。

 母も、そう言っていた。


 けれど。


 禁じられている場所。

 聞いてはいけない理由。

 説明されない規則。


 静かすぎる秩序の下で、何かが伏せられている。


 歩きながら、ララはふと、列の先を見る。


 侍女が数人、すれ違っていく。

 皆、名を呼ばれ、短く応じている。


 ――ひとりだけ。


 名を呼ばれない侍女が、いた。


 視線を合わせない。

 声も発さない。

 最初から、数に入っていないような扱い。


(……あの人)


 問いを口にする前に、列は進む。


 ララは、窓の外に視線を逃がした。


 西の奥。

 高い塔の向こうに、ぼんやりとした違和感。


 建物の輪郭が、どこか曖昧だ。

 薄い膜のようなものが、揺らいでいる。


(……馬車からも見えた……)


 隣を歩く侍女が、首をかしげる。


「……? 何かありましたか」


「いえ……」


 その目には、何も映っていないらしい。


 ララは、視線を戻す。


 今見えたものは、もう分からなくなっていた。


(……あの場所は、たしか、禁図書館)


 近づいてはいけないと言われると、余計に、気になる。


 知らないことが、安全。


 そう教えられた瞬間、

 ララはそれを、守る気がなくなった。

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お菓子と本だけで生きたい侍女には、王都が危険すぎる〜気づけば、王国革命記〜 水戸直樹 @mito_naoki

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